「体制選択選挙」の真の意味~「永続敗戦レジーム」からの脱却か護持か
共産党アレルギーの正体は対米従属批判というタブーへの恐怖だ
白井聡 京都精華大学人文学部准教授
いわゆる「共産党問題」~「左の全体主義」の脅威は本物か
この体たらくは何ゆえなのか。結局のところ、問題になり続けてきたのは、「共産党問題」にほかならない。旧民主党勢力が日本共産党と組めるか否か、である。長島昭久氏ら、共産党との共闘に強硬に反対してきた政治家はこの間に野党陣営から離脱した。それでもなお、立憲民主党は共闘を本格化させるか否かの決断を先送りし続けた。その直接的な原因は、連合(日本労働組合総連合会)の反対だったのであり、今回の選挙戦にすでに突入したいまでも、連合は共闘に反対している。
日本政治の動静や歴史に詳しい人でも詳しくない人でも、なぜ共産党と連携することに一部の旧民主党関係者や連合が執拗に反対するのか、彼らの共産党への忌避感は何ゆえなのか、素朴に「わからない」という疑問を持っているであろう。
連合の内外でしばしば援用されるのは、連合のスローガンにある「左右両方の全体主義に反対する」というイデオロギーについての文言だ。「左の全体主義」とはスターリン主義的なものを指し、「右の全体主義」とはファシズム・ナチズム的なものを指すのであろう。
2012年の第二次安倍政権成立以降、日本社会は目に見えて右傾化した。いま急浮上してきているツイッター・アカウントのDappiについての疑惑は、こうした右傾化を自民党政権が抑制しようとしなかったどころではなく、それに依拠し、主導・煽動してきたことのあらためての裏づけとなる公算が大きい。この間に、ネット空間を中心として、どれほどのレイシズムの発露、デマの嵐が巻き起こってきたか、指摘するまでもない。要するに、この10年の間に、「モッブの支配」(ハンナ・アーレント)、「右の全体主義」の脅威は現実的となった。
他方、「左の全体主義」とは何か。連合幹部の言動から推測するに、それは「スターリン主義的な日本共産党」を指しているようだ。ということは、旧民主党勢力が共産党と選挙協力を行ない、自公政権を下野させ、共産党が何らかのかたちで協力する政権をつくったならば、強制収容所や罪なき人々の粛清といった恐怖政治が始まるに違いない、と連合幹部は考えているのだろうか。だとすれば正気を疑うほかない。

連合会長に就任し、記者会見する芳野友子氏=2021年10月7日、東京都千代田区
すでに十分現実的になった右からの脅威を無視放置する一方で、およそ現実的とは思えない左からの脅威を口実として、「体制」を打倒しうる勢力の結集を妨害し続けることに連合は腐心してきた。
イデオロギーよりも、もっと卑近な人間的感情の次元の問題だとする説もある。すなわち、連合ならびにその前身たる同盟と総評は、共産党系の全労連と長年のライバル関係にあり、数々の対立を経験してきた。積み重なった感情的軋轢があるために、いまさら手を組むなど到底考えられないというのである。
この説が正しいのだとすれば、視野の狭さと人間的矮小性と無責任に驚くほかない。ある世代が持った感情的しこりを後生大事に抱え続けることによって後続世代の未来を奪うことについて、何らの痛痒をも感じないとすれば、指導者たる資格は到底ないだろう。過去を乗り越えるために和解が必要であるならば、なぜ和解のための努力をしないのか。
経済的利害の対立が根底にある、という説も唱えられている。その際、中核にあるのは原発の問題であり、今次の総選挙の野党共闘に国民民主党がとうとう加わらなかったのも、同党が速やかな脱原発という公約に同意できなかったからにほかならない。連合内では民間企業の労組が強力であり、電力会社の組合(電力総連)も強い影響力を持つ。彼らは電力会社の原発継続の路線を支持しているが、それは脱原発によって雇用が失われることを恐れているからだ、というのである。
この説もその奇妙さにおいて、イデオロギー説および感情説と選ぶところがない。というのも、再生可能エネルギーも無人で生み出されるわけではない。脱原発=代替エネルギーの拡大は、新たな雇用を間違いなく生む。だが、脱原発が電力労働者の雇用を完全に奪ってしまうことなどあり得ないにもかかわらず、連合は脱原発政策には乗れないと今回あらためて宣言したのである。