2021年10月27日
2021年総選挙は、2019年末以降の新型コロナウイルス・パンデミックの感染拡大が終息しない中で実施される。故に、直接的には特に安倍晋三(元内閣総理大臣)と菅義偉(前内閣総理大臣)の二代の宰相によるパンデミック対応への評価を問うものになる。
菅における政権運営の失速は、パンデミック対応が本質的に「仕事の成果」を世に向けて語り難いたぐいの政策案件であったことによる。パンデミック対応には、何を以て「仕事の成果」と観るかの具体的な基準がない。しかも、「仕事の成果」それ自体をして語らしむという菅の職人肌の執政スタイルでは、感染が進行し経済も傷んでいく最中に国民各層からポジティブな評価を得るのは難しかったといえよう。
ただし、筆者にとっての主な関心が外交・安全保障政策領域にある以上、今次総選挙に向けた筆者の観察もまた、そうした関心に則ったものになる。外交・安全保障政策の観点からは、今次総選挙には、どのような位置付けが与えられるのか。本稿では、そうしたことについて考えてみたい。
菅義偉の後継となった岸田文雄(内閣総理大臣)麾下の自民党は、今次総選挙に際しての勝敗ラインを「自民、公明両党で過半数」に設定している。それは「改憲勢力で三分の二を確保する」という線からは明白に後退しているかもしれないけれども、岸田は、たとえば安倍晋三ほどには、その線に執着していないであろう。
安全保障政策の観点からすれば、憲法改正という政策案件それ自体は、既に象徴的な意味合いが濃いものになっている。憲法第9条改正などよりは、防衛費対GDP比2%確保といった具体的な政策方針が、安全保障政策の文脈からは、大事なものであるからである。
仮に今次総選挙後に岸田の政権運営が続くことになれば、そこに現れるのは、「安倍晋三の遺産」が承継され、展開される風景であろう。ここで言う「安倍晋三の遺産」とは、具体的には政策枠組としてのQuad(日米豪印四ヵ国戦略対話)や政策概念としての「自由で開かれたインド・太平洋」の提示であり、それを通じた対外「影響力」の獲得である。
そうした対外「影響力」を根底のところで裏打ちしているのが、2015年に策定された安全保障法制である。安全保障法制策定の結果、日本の安全保障は、従来の日米同盟という「線」としてだけではなく、多国間の協調による「面」として考える下地が出来上がった。
おりしも、「クイーン・エリザベス」空母打撃群の極東回航は、英国がインド・太平洋方面に回帰する動きを象徴的に表した。岸田とボリス・ジョンソン(英国首相)は、日英両軍部隊の相互訪問時の地位を定めた日英RAA(相互アクセス協定)交渉を早期に妥結させる方針を確認している。こうした動きは今後、多様にして多層的なものになっていくのであろう。
共同通信記事(10月17日配信)が報じたトレンド調査の結果は、「岸田政権が安倍、菅両政権の路線を継承するべきか」という問いを設定したうえで、「継承するべきだ」が26.7%、「転換するべきだ」が68.9%という数字を伝えている(参照)。ただし、外交・安全保障政策において、岸田は、「安倍・菅」路線を既に承継している。要は、それがどのように展開されるかということでしかない。
むしろ筆者が注目しているのは、野党の動向である。就中(なかんづく)、立憲民主党と共産党を軸にした「共闘」は、どのような成果を生むのであろうか。この「共闘」の行方は日本型「左翼・リベラル」政治勢力の命脈に関わっている。
日本型「左派・リベラル」政治勢力の特徴の一つは、「憲法第9条護憲主義」と呼ぶべきものへの帰依である。それは、冷戦期には自衛隊や日米安保体制へのネガティヴな評価に反映され、冷戦後には小沢一郎(衆議院議員)が「普通の国」と呼んだものに日本が脱皮することを妨げてきた。今次総選挙に際しての「野党共闘」の成否は、政治言語としての「憲法第9条護憲主義」に影響を与えるであろう。
無論、立憲民主党が発表した『立憲民主党政策集2021』には、「健全な日米同盟を外交・安全保障の基軸に、わが国周辺の安全保障環境を直視し、専守防衛に徹した防衛力を着実に整備し、国民の生命・財産、領土・領海・領空を守ります」と記されている。「基軸として日米同盟」という点では、既に与野党を超えた合意が出来上がっているという評は、成り立つかもしれない。
ただし、現今の国際政治環境の下では、「基軸として日米同盟」は、当然の前提であって、それを確認すること自体に何らかの政策上の意義があるわけではない。問われているのは、「基軸として日米同盟」の上で何を行うのかということである。
ジョセフ・R・バイデン(米国大統領)によって次期駐日大使に指名されたラーム・エマニュエル(バラク・H・オバマ政権時、大統領首席補佐官)は、連邦議会上院外交委員会公聴会での所信表明の席上、「私たちの同盟は共通の利益と価値観を促進する。最優先事項は共通の課題に立ち向かい、この関係を深めていくことだ」と述べたうえで、「米国の戦略は団結による安全保障だ。この地域の結束は日米同盟の上に築かれている」と訴えた。
エマニュエルが語った「団結による安全保障」の言辞には、「基軸としての日米同盟」がその「団結」に寄与すべきものであるという期待が含まれている。実際、日米豪加各国や西欧諸国のような「西方世界」諸国と中国の確執が鮮明に現れる中では、日本の安全保障もまた、そうした「西方世界」同盟網の中で追求すべきものになっている。前に触れたQuadの枠組だけではなく、英仏両国やEU(欧州連合)による「インド・太平洋」戦略策定を踏まえ、それにどのように呼応していくかが、問われているのである。
『立憲民主党政策集2021』にある「現行の安保法制については、立憲主義および憲法の平和主義に基づき、違憲部分を廃止する等、必要な措置を講じ、専守防衛に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策を築きます」というくだりは、「『野党共闘』の精神」を表した記述であろう。
立憲民主党や共産党を軸とした「野党共闘」の枠組の中で標榜される「安保法制の廃止や修正」という政策志向は、前に触れた「西方世界」同盟網を通じた安全保障の要請には、果たして応えられるのだろうか。筆者が見る限り、そうした政策志向は、「基軸としての日米同盟」の観点からは、「時計の歯車を逆に回す」趣きの濃いものではなかろうか。
それは、安全保障策定時に「歓迎」を表明した米国を翻意、納得させるに足るものなのか。立憲民主党の安全保障法制への評価や対応は、沖縄駐留米軍普天間基地の移設を巡って、独自の対米認識を掲げて自らの政権を頓挫させた鳩山由紀夫(元内閣総理大臣)の姿を思い起こさせる。過去に一度も政権を担ったことのない共産党はともかくとして、過去に政権担当の経験を持つ民主党の後身たる立憲民主党が、「自らの経験」すらも活かそうとしないのであれば、不誠実の誹りを免れまい。
加えて、「憲法第9条護憲主義」の影響という観点からすれば、今次総選挙に際して、日本維新の会、あるいは国民民主党が、どこまで党勢を持ちこたえることができるのかが、一つの注目点になる、というのも、この二つの野党における外交・安全保障政策志向は、「憲法第9条護憲主義」の影響から免れているからである。
たとえば国民民主党が発表した『日本を動かす政策五本柱』には、次のように記される。
「激変する安全保障環境に、日米安保体制をさらに安定的に強固なものにしていくことは、日本の安全のみならず、アジア太平洋地域の平和と安定にとって不可欠です。日本の外交・安全保障の基軸である日米同盟を堅持・強化します」
この記述を見る限り、「基軸としての日米同盟」について、国民民主党の方が立憲民主党よりも正確な認識を持っていると筆者には映る。『立憲民主党政策集2021』に記された「平和的かつ現実的な外交・安全保障政策を築く」という趣旨では、国民民主党の認識の方が余程、その趣旨に則ったものである。
今回の総選挙は「憲法第9条護憲主義」にどのような影響を与えるのか。そういう意味からも、筆者は今次総選挙の帰趨に大いに注目している。
現今の世界では、日米豪加各国や西欧諸国のような「西方世界」諸国と中国の確執の相が鮮明に表れるけれども、それが米国政治で姿を現したエポック・メーキングな出来事は、2018年10月にマイケル・R・ペンス(当時、米国副大統領)が披露し、「新しい冷戦の宣言」とも評された「ハドソン研究所演説」であろう。この演説以降、ドナルド・J・トランプ(米国前大統領)麾下の米国政府からは、中国に対する強硬にして峻厳(しゅんげん)な言辞が折々に発せられた。
トランプからジョセフ・R・バイデン(米国大統領)への政権移行に際して強調されるべきは、米国の深刻な政治「分断」が語られるなかでも、大枠としての対中強硬認識は引き継がれ、それに即した政策展開が披露されているということである。アフガニスタンからの撤退やAUKUS(米英豪三国安全保障合同)の樹立といった政策対応は、米国の対外政策の軸足が、中国を念頭に置きつつインド・太平洋方面に移るという観測に重ねられてこそ、その意味を理解することができよう。
およそ外交・安全保障に絡む諸々の政策展開は、変転する国際環境に対する「適応」の技芸としての意味合いを持つ。故に、それは自らの信条やイデオロギーといったものが反映された「自分の都合」を前面に押し出してはならない政策領域である。そうした認識が日本政治における「常識」として定着するのは、何時のことであろうか。今次総選挙は、その契機になるのであろうか。(文中、敬称略)
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