選挙より大事なものがあるから投票に行こう~私たちの一票マニュアル
バラバラになった「個人」がプカプカ浮かんでいる日本社会で一票を投じることの意味
倉持麟太郎 弁護士(弁護士法人Next代表)
非常に鬱々とした日々が続いている。激しい寒暖差や、雨が多いからではない。選挙の季節がきたからだ。
選挙型民主主義への習近平の痛烈な皮肉
過日、中国の習近平国家主席が、欧米の選挙型民主主義への痛烈な皮肉として、「人民が投票の時だけ呼び覚まされ、投票後は休眠期に入ったり、票をかき集める時だけかわいがり、選挙後は粗末に扱ったりするなら、本物の民主ではない」と言い放った。
本稿であえてこの発言を問題として取り上げるのは、習近平の傲慢(ごうまん)を言い募るためでも、権威主義の広がりを憂えるためでもない。この習近平の皮肉が、そのまま日本の選挙民主主義の本質を抉(えぐ)っているからであり、さらに言えば、現在行われている選挙運動における候補者という名の政治家たちが、まさにこの習近平の発言を台本にして踊るマリオネットのようだからだ。
習発言がただの難癖だと鼻で笑えない日本選挙型民主主義の現状は、文字通り「シャレにならない」状態である。本稿では、各党の政策の優劣などには立ち入らないが、回り回って政策の理解や選択につながる構造にもなっている。選挙を通じて、我々一人一人が市民社会に生きるとはどういうことなのかをより根源的に論じ、結果として投票行動に生かしていただければと願っている。

衆院選の候補者たちは街頭に立ち、それぞれの支持を訴えた。東京都内の商店街では演説を聞こうと集まった人たちに候補者が手を振る姿も見られた=2021年10月24日
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて……
政治を律する日本国憲法は、その前文で「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と規定する。この「国民の厳粛な信託」のプロセスの重大な一部が、現在行われている衆院選である。
また、憲法15条1項は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と謳い、同2項で「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」と宣言する。
こうして実態と手続の両方で正当性を付与された代表者たちが、立法権を担う国会に送り込まれ、憲法43条が定める「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」ということになる。
選挙を通じて「代表を選ぶ」という行為自体が、時の多数派でも侵し得ないルールである憲法に規定されていることには、何らかの“重み”があるはずだ。
その核心は、すでに上の条文の中にある。引用した箇所だけでも6カ所も現れる「国民」というワードだ。