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選挙より大事なものがあるから投票に行こう~私たちの一票マニュアル

バラバラになった「個人」がプカプカ浮かんでいる日本社会で一票を投じることの意味

倉持麟太郎 弁護士(弁護士法人Next代表)

バラバラになって脅える個人

 ここでいう「国民」とは(ここでは、ひとまず国籍云々の論争はおくとして)、普遍的な「個人(individual)」を指す。このことを憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。」という簡潔な一文で言い表している。

 この「個人(individual)」が問題なのだ。

 近代革命や啓蒙思想を経て、王政、貴族政は打破され、人類は生まれながらの人種、性別、年齢といった属性を取っ払った「個人(individual)」として尊重されるという前提が共有された。この「個人」には、合理的かつ理性的で、意見の違う「他者」を尊重し、日々、政治的な問題や共同体の在り方について考えて自分を律することのできる「強い個人」が想定された。

 しかし、生身の人間はそんなに強くないし、皆が「意識高い系」ではない。自己決定を“強いられた”個人は、いきおい不安と疎外感に苛(さいな)まれ、彷徨(さまよ)っていく。そんな心の空洞とスキマを埋めたのが、歴史的にはファシズムやナチズムであり、近年であればポピュリズム、極右政党、そして原理主義等々である。

 日本では、個人の寄る辺であった共同体や中間団体の瓦解(がかい)が進み、「自由という刑に処せられ」(サルトル)、バラバラになった個人は、日々強いられる自己決定と「正解」に脅えるようになった。さらに、相互監視と同調圧力も強まり、日本はすっかり「高度不信社会」と化してしまった。

拡大Ergfoto/shutterstock.com

選挙に行くことに意味はあるのか?

 そうしたなか、半径50メートルしか見えてない、自分さえよければよいという個人は、政治のことなど考える余裕もないし、必要もない。それを誰よりも心得た与野党政治家たちは、自分たちの「票田」や「上顧客」のみに向けたプロモーションに励む。

 かくして多くの個人と代表は乖離(かいり)し、それが無党派・無関心・政治的ニヒリズムを著しく助長し、我が国最大の政治勢力たる「支持政党なし」の党勢拡大はとどまるところをしらない。

 選挙や代議制民主主義のみに依存するのは、もはや限界だ。民主主義のオプション自体を増やすことが、目下の急務であることは間違いない。しかし、本稿はそのことを指摘するのが目的ではない。バラバラになった「個人」がプカプカ浮かんでいるような市民社会で、選挙にいくこと、一票を投じることは意味があるのだろうかということを問いたいのだ。

 私の答えは簡単だ。行く意味はある。

 非常に逆説的だが、あなたが「日々生きているあなたには、選挙よりもっと大事なものがありますよね?」という問いかけに「YES」と答えるのなら、投票に行ってほしいと思うのだ。

拡大衆院選で期日前投票する高校生たち=2021年10月27日、新潟県柏崎市安田の新潟産業大付属高校


筆者

倉持麟太郎

倉持麟太郎(くらもち・りんたろう) 弁護士(弁護士法人Next代表)

1983年東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、中央大学法科大学院修了。2012年弁護士登録(第二東京弁護士会)。日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事、弁護士法人Next代表弁護士、慶応グローバルリサーチインスティチュート(KGRI)所員。ベンチャー支援、一般企業法務、「働き方」などについて専門的に取り扱う一方で、TOKYO MXテレビ「モーニングCROSS」レギュラーコメンテーター、衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考人として意見陳述、World Forum for Democracyにスピーカー参加、米国務省International Visitor Leadership Programに招聘、朝日新聞『論座』レギュラー執筆者、慶應義塾大学法科大学院非常勤講師(憲法)など多方面で活動。共著に『2015年安保 国会の内と外で』(岩波書店)、『時代の正体 Vol.2』(現代思潮新社)、『ゴー宣〈憲法〉道場』(毎日新聞出版)、著書に『リベラルの敵はリベラルにあり』(ちくま新書)がある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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