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眞子さんの結婚でメディアと「世間」は…~ダイアナ元妃の交通事故死と毀誉褒貶

結婚で「祝賀報道」は増えた。眞子さんと小室氏は新天地でどう生きていくのか

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

結婚の記者会見が終わり、あいさつする小室圭さんと眞子さん=2021年10月26日、東京都内のホテル、代表撮影

 眞子さんの結婚問題に関し、この4年間、日本のメディアの報道ぶりは、当事者の眞子さんからは見れば“誹謗中傷”と思えたのかもしれない。ところが結婚後は一転して、「愛を貫いた揺るぎのない思い」への賛辞が増えている。

 それで思い出したのが、英国のダイアナ元皇太子妃の場合だ。交通事故死をきっかけに、「スキャンダラスな恋多き女」から一転して、対人地雷禁止やエイズ対策に取り組む「闘士」、いや「聖女」になった。

 眞子さんとダイアナ元皇太子妃。2人をめぐる評価の反転はどこから来るのか。メディアの身勝手さだけではなさそうに思える。

秋篠宮邸を出発する秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま。秋篠宮ご夫妻が見守る中、次女の佳子さまと抱き合った=2021年10月26日、東京都港区、代表撮影

「スキャンダラスな恋多き女」の“誹謗中傷”合戦

 眞子さんの結婚問題に関する報道はすでに十分すぎるほどあるので、ここでは割愛する。ダイアナ元妃の場合は、1997年8月31日の交通事故死からすでに34年が経ち、未知の読者も多そうなので、おさらいをしてみよう。

 英国の由緒ある伯爵令嬢で清純な美女だったダイアナ元妃は、周囲から祝福されて結婚し、たちまちメディアの話題をさらった。2人の男子にも恵まれ、順調に結婚生活を謳歌しているように見えたが、突然、「おとぎ話の王女さまから王子さまに見捨てられた恋多き女」に一転。英国名物のイエロー・ペーパーを中心に、メディアは競って「スキャンダラスな恋多き女」の“誹謗中傷”合戦を展開した。

1986年、チャールズ英皇太子と来日、宮中晩餐会会場に到着したダイアナ皇太子妃=1986年5月13日、皇居・竹の間で

英BBCのロングインタビューに非難囂々

 そんななか、英BBCが特ダネとして報じた彼女が涙目で出演した長時間インタビュー(最近、弟のスペンサー伯爵がBBCの有名ジャーナリストにハメられたと指摘して話題を呼んだ)は、イギリスをはじめ、日本はもとより世界中で放映され、大きな反響を呼んだ。チャールズ皇太子の浮気を公けに非難すると共に、自身の不倫も告白するなどセンセーショナルな内容だったからだ。

 しかし、欧州では、この単独会見は評判が良くなかった。特にフランスでは、元妃に同情するどころか非難囂々(ごうごう)だった。フランス人は自分たちの王様をギロチン台に送った結果、王室問題に関しては常に複雑な優越感があるが、この時も元妃の泣き面を容赦しなかった。

 「その辺の小娘みたいに、公衆の面前で泣くな。夫の浮気問題で涙など流すな。欧州の王族の歴史を見よ、浮気や愛人問題など珍しいことではない。自分の浮気を告白するなど、言語同断。薄汚い女になりさがるな。もっと超然、毅然とした態度をとるべきだ」などなど。

最後の恋人ドディにメディアが色めき立ったワケ

 彼女は、「みんなは私が学位をひとつも持っていないと言ってバカにする」と嘆いていたが、彼女の実像は、種々の逸話や側近など周囲の人たちの談話、実際に会話を交わした人たちの感想から憶測すると、意外と「つまらない女性」だったかもしれない。ただ、何人かの不倫相手がいた「恋多き女性」だったことは事実のようだ。いまもって、欧州の「女性週刊誌」や「有名人のゴシップ専門誌」は、「ヘンリー王子の父親はチャールズ皇太子ではない」などのゴシップを流し続けている。

 最後に「恋のお相手」として登場したのが、元妃と事故車に同乗していて即死したエジプト出身のドディだ。彼は単なる「恋のお相手」ではなく、「婚約」や「再婚近し」の情報があり、2人が南仏に到着した時から、パパラッチによる激しい追跡が始まった。

 メディアはなぜ色めき立ったのか。それは、「本命」であるに加えて、異色の組み合わせだったからだ。

 元妃は英国の貴族階級出身の金髪、碧眼の典型的な西洋美人。一方のドディは、黒髪のアラブ人。父親は大金持ちの商人。母親の兄弟は武器商人もいる。およそ元妃には不似合いなお相手でもあるからだ。

 社会的階級も人種も宗教も文化も異なる二人で、事故死についても、いまだに陰謀説、暗殺説がささやかれている。要は、未来の英国王の母親の再婚相手として、まったく、ふさわしくない、というわけだ。

悲劇的な事故死で「聖女」に変貌

 フランスの捜査当局は約1年に及ぶ捜査の結果、大型ベンツを運転していたフランス人運転手の「飲酒運転」(法定許容量の数倍以上のアルコールと精神安定剤も検出された)が、事故の原因という結論を出した。ちなみに、ベンツを追跡していたパパラッチ7人は瀕死の重傷を負った元妃を助けずに、シャッターを切り続けたので、「救助義務違反」などで起訴されたが、結局、無罪放免になった。

 だが、元妃はこの突然の悲劇的な交通事故死を機に、「スキャンダラスな恋多き女」から「聖女」へと変貌(へんぼう)した。元妃は当時、対人地雷禁止運動の活動家だったが、事故後、イギリスやフランスのメディアはそろってこうした面を強調するようになった。

ダイアナさんの事故死を一面トップで伝えたルモンド紙

大きな反響を呼んだ「ルモンド」の記事

 フランスの主要紙「ルモンド」は事故死直前の8月27日付け(夕刊紙なので発行は26日)の紙面で、元妃との単独会見を掲載したところだった。この中で、元妃は「新聞は間違いしか探さない。何ひとつ許さない。あらゆる意思が曲解され、あらゆる行動が批判される」とメディアを批判した。熱心に行っていた「親善大使」としての活動を取り上げないことにも不満を漏らした。

 「まともな神経の持ち主が私のような目にあったら、英国からとっくに逃げ出しているでしょう。しかし、私には2人の息子がいます」と、“亡命”も叶わないことを嘆き、複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)寸前であることも告白した。

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