自民党議員がつぶやいた「このままでは来年夏の参院選は危ない」の背景
2021年11月05日
衆院選投票日(10月31日)の翌日、激戦を伝えられた関東圏の小選挙区選挙で競り勝った50歳前の自民党衆院議員に会った。何とも浮かぬ顔の彼がまず口にしたのは、「このままでは来年夏の参院選は危ない」という危機感に満ちた言葉である。
彼自身、選挙戦における若者層の政権支持の根強さや、立憲民主党と共産党の選挙協力による一部労組の離反など、自民党の優位点を実感はしつつ、とりわけ日本維新の会の候補の猛追を目の当たりにして肝を冷やしたと言い、地方対策に加えて都市部対策に本気で取り組まなければ、いずれ手痛いしっぺ返しを受けるとの思いを新たにしたという。絶対安定多数の確保という衆院選の勝利に酔い痴れて、岸田文雄政権に「万能感が出て来るのが怖い」とまで言った。
それが、この衆院選で自民党の若手らに生じたリアリズムだったのだろう。
確かに、立憲民主党との闘いにおいて、自民党は「261対96」の圧勝を収めた。だが、多くの激戦区では、実は僅差(きんさ)の勝利に過ぎなかった。維新が41議席と3倍増の勢いを見せたのは、自民党に足りない現状打破の意思と姿勢とに、有権者が惹かれた結果だったに違いない。
さらに、自民党側では甘利明、石原伸晃、野田毅各氏ら、立憲民主党側でも小沢一郎、中村喜四郎、辻元清美各氏らが小選挙区で敗れた。単純に一括りは出来ないものの、政局を引き回したり論客で鳴らしたりした「大物」にさえ退場を迫る、世代交代や新陳代謝を求める民意の潮流は否定できまい。
岸田政権の発足時の内閣支持率は、朝日新聞調査で45%と歴代内閣と比べて低く、“ご祝儀相場”感のなさが指摘されたが、それよりも35%に及んだ「態度保留層」の厚みこそが、注目すべき現象だったのではないか。実績をもとに審判しようとする慎重さが民意の底流にあったとすれば、前述の自民党議員の危機感も分かろうというものだ。
つまり、岸田政権が目に見える実績を残せなければ、この衆院選の勝利など、短い“幕間(まくあい)劇”で終わりかねないのだ。
思い返せば、21世紀に入り、2005年の郵政解散以来、衆院選は大きく一方に振れる極端さが特徴だった。
2005年、小泉純一郎首相は「郵政民営化」という単一争点で衆院選を制した。党内の「抵抗勢力」を撲滅するため、「政権選択選挙」を利用する奇策だったが、その劇場型政治に野党民主党は埋没して、自民党は「296対113」で民主党に圧勝した。
09年、逆に民主党が「政権交代」の一点勝負により、自民党に対して「308対119」で完勝した。麻生太郎首相は就任直後の前年に早期解散を検討したが果たせず、内閣・政党支持率が低迷したまま歴史的惨敗へと追い込まれた。
12年、今度はその民主党政権の混乱ぶりを突いて、自民党が「294対57」で圧勝し、政権を奪還する。安倍晋三氏が首相に返り咲き、2014年も「291対73」で「1強」体制を守った。
17年は、小池百合子東京都知事が率いる希望の党が当初は台風の目と目されたが、あえなく失速して「50」議席に終わり、自民党は「284」議席を獲得した。民主党から分かれ枝野幸男代表が立ち上げた立憲民主党も「55」議席にとどまった。
ただ、ここで見逃せないのは、衆院選の狭間(はざま)で参院選がもたらした政治的効果である。時に、衆院選で誕生した強大な政権に歯止めをかけ、揺り戻しを起こす役割を担った。
たとえば2007年の参院選は、民主党が自民党に対し「60対37」で圧勝し、1回目の安倍晋三政権を衆参の「ねじれ」へと追い込んだ。小泉郵政解散により生じた衆院の圧倒的多数を受け継ぎながら、「消えた年金」問題などで生じた逆風に抗することができず、予算や法案を国会で成立させる安定基盤を失った。「ねじれ」は福田康夫政権を挟んで麻生政権まで続き、09年の政権交代を生む遠因ともなった。
10年の参院選もまた、自民党が民主党に「51対44」で勝ち、結果として、民主党政権に衆参の「ねじれ」の苦渋を味わわせることになった。この参院選は、直前に鳩山由紀夫氏から菅直人氏へと首相の顔を取り替えたものの、政権担当能力に対する民意の不安感は解消出来ず、惨敗を喫した。
自民党で安倍、福田、麻生の3氏、民主党で鳩山、菅、野田佳彦3氏がみな1年前後で首相辞任を余儀なくされた背景には、これら参院選での揺り戻しがあったと言えるだろう。
だからこそ、来年夏の参院選の意義は、限りなく重いものとなる。
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