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自民党圧勝の衆院選が示した民意のリアル~岸田政権が実績示せねば“幕間劇”か

自民党議員がつぶやいた「このままでは来年夏の参院選は危ない」の背景

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

一方に振れる結果が続いた衆院選

 思い返せば、21世紀に入り、2005年の郵政解散以来、衆院選は大きく一方に振れる極端さが特徴だった。

 2005年、小泉純一郎首相は「郵政民営化」という単一争点で衆院選を制した。党内の「抵抗勢力」を撲滅するため、「政権選択選挙」を利用する奇策だったが、その劇場型政治に野党民主党は埋没して、自民党は「296対113」で民主党に圧勝した。

 09年、逆に民主党が「政権交代」の一点勝負により、自民党に対して「308対119」で完勝した。麻生太郎首相は就任直後の前年に早期解散を検討したが果たせず、内閣・政党支持率が低迷したまま歴史的惨敗へと追い込まれた。

拡大2009年衆院選に大勝。当選者に花をつける民主党の鳩山由紀夫代表=2009年8月31日、東京都港区の民主党開票センター

 12年、今度はその民主党政権の混乱ぶりを突いて、自民党が「294対57」で圧勝し、政権を奪還する。安倍晋三氏が首相に返り咲き、2014年も「291対73」で「1強」体制を守った。

 17年は、小池百合子東京都知事が率いる希望の党が当初は台風の目と目されたが、あえなく失速して「50」議席に終わり、自民党は「284」議席を獲得した。民主党から分かれ枝野幸男代表が立ち上げた立憲民主党も「55」議席にとどまった。

衆院選の狭間で参院選がもたらした政治的効果

 ただ、ここで見逃せないのは、衆院選の狭間(はざま)で参院選がもたらした政治的効果である。時に、衆院選で誕生した強大な政権に歯止めをかけ、揺り戻しを起こす役割を担った。

 たとえば2007年の参院選は、民主党が自民党に対し「60対37」で圧勝し、1回目の安倍晋三政権を衆参の「ねじれ」へと追い込んだ。小泉郵政解散により生じた衆院の圧倒的多数を受け継ぎながら、「消えた年金」問題などで生じた逆風に抗することができず、予算や法案を国会で成立させる安定基盤を失った。「ねじれ」は福田康夫政権を挟んで麻生政権まで続き、09年の政権交代を生む遠因ともなった。

拡大2007年参院選で大敗し、質問に答える安倍晋三首相(中央)=2007年7月29日、自民党本部

 10年の参院選もまた、自民党が民主党に「51対44」で勝ち、結果として、民主党政権に衆参の「ねじれ」の苦渋を味わわせることになった。この参院選は、直前に鳩山由紀夫氏から菅直人氏へと首相の顔を取り替えたものの、政権担当能力に対する民意の不安感は解消出来ず、惨敗を喫した。

 自民党で安倍、福田、麻生の3氏、民主党で鳩山、菅、野田佳彦3氏がみな1年前後で首相辞任を余儀なくされた背景には、これら参院選での揺り戻しがあったと言えるだろう。


筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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