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コロナの初期対応を間違えた医系技官とはどういう官僚か?~上昌広氏に聞く

コロナ対策徹底批判【第二部】~上昌広・医療ガバナンス研究所理事長インタビュー⑦

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

 新型コロナウイルスの感染拡大の初期において、厚生労働省の医系技官たちはなぜ、対応を間違えたのか?

 無症状感染者が多数存在するコロナ感染症の特徴に気が付くのが遅れた医系技官らは、中国・武漢市からの帰国者に無症状感染者が存在することを発見したのに、最初に採用した方法を変更しようとせず、点と点を線で結ぶような抑制的PCR検査を繰り返し、大量の無症状感染者を野放しにした。また、コロナ時代に適合しない感染症法を改正せず、本来は別々の概念であるはずの「医療」と「隔離」を一緒くたにし、無症状感染者や軽症者をも、病院で「隔離」せざるをえない状態を長く続けた。

 さらに、この弊害に気が付いた厚労省・医系技官は、PCR検査の抑制という本末転倒の「対策」を考え付いた。そして、「PCR検査をやり過ぎると医療崩壊を起こす」というデタラメな論理が、メディアで執拗(しつよう)に流された。「感染症対策の基本は検査と隔離」という世界の医学界の常識が、この国では完全に無視されたのだ。

 連載「コロナ対策徹底批判」。医療ガバナンス研究所理事長・上昌広氏への連続インタビューの第7回は、厚労省の医系技官とはどういう性向・体質を持つ官僚群なのか、前回「『積極的疫学調査』にこだわった厚労省・医系技官の罪~上昌広氏に聞く」に続いて語っていただいた。

拡大インタビューにこたえる上昌広・医療ガバナンス研究所理事長

注目を集めた韓国の鄭銀敬さんとは

――新型コロナが日本に入ってきた当初の対応の失敗を振り返ると、それを今も続ける厚労省の医系技官は非常に問題を抱えた官僚群であることがわかります。当初コロナウイルスを抑え込んで世界から賛辞を集めたお隣の韓国では、中心となった疾病管理本部長の鄭銀敬(チョン・ウンギョン)さんという人がものすごく注目を集めました。優秀で使命感も強い上にリーダーシップも取れるという稀有な女性です。こういう人が日本ではなぜ出てこないのでしょうか。

 やはり医系技官制度の問題が根深くあると思います。

 鄭銀敬氏は、韓国の疾病管理本部長であるとともに、コロナウイルス対策の中心を担う疾病管理庁の初代長官。対策に挺身する姿に「K防疫の英雄」という称号までつけられ、11月からは「ウイズコロナ」へ移行することを宣言した。その移行案を発表する際に注目されたのは、発表内容よりも鄭氏の履いていたボロボロの靴だった。「質素というより忙しいのだろう」「これまでの苦労がしのばれる」といったねぎらいのコメントが韓国のネットユーザーから多数寄せられたという。

――鄭銀敬さんは本来、どういう仕事をしているのでしょうか。

 研究者です。現場の研究者を、韓国の政権が政治任用しています。鄭銀敬さんたちは戻るところがある。だから、何でも言える。要は専門家なんです。特に医師の場合、自分で開業もできるので、何も怖くないはずです。

 東京地検特捜部の検察官たちは辞めた後、弁護士になれますよね。だから、大体55歳で辞めると思うんです。50歳を越えたらみんな、腹を据えることができるんですよ。

 政治家を相手に事件化できるのは、検事を辞めても弁護士で食っていけるからですよ。「ヤメ検」弁護士がどういうものかというのはともかくとして、一応仕事をするじゃないですか。いろいろ指摘される問題はあると思いますけど、その職業集団の歴史や価値観みたいなものは、厳然とあると思います。

 ところが、医系技官というのは自分で診療しないんです。たとえば政府のコロナ対策の分科会会長で地域医療機能推進機構(JCHO)理事長の尾身茂さんも医系技官ですが、本来は医師なんだから自分で診療すればいいのに、結局しないんです。

拡大記者会見に臨む政府のコロナ対策分科会の尾身茂会長=2021年11月8日、東京・永田町


筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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