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立憲民主党は本当に負けたのか? 菅直人、辻元清美の闘いにみる勝因と敗因

政権交代へ、「小選挙区の必勝法」を実行せよ

橘 民義 映画制作プロデューサー

 立憲民主党の代表選挙が始まった。

 党として、応援団としてどうしても欲しかった女性候補は西村智奈美。

 政治の世界に「もし」という言葉はないが、もし辻元清美が当選していたらどうなっていただろう。

辻元清美の落選~失われた代表候補の選択肢

 開票日、辻元清美の敗戦の弁は、投票してくれた人、選挙を手伝ってくれた人にただひたすら謝るばかりであった。精一杯落ち着こうとしているのがよくわかり、実際には天地がひっくり返るような無重力のような状態で、頭と心は別々で、どうにか言葉を絞り出しているということがひしひしと伝わってきた。

小選挙区での落選が報じられ、報道陣の前に姿を現した立憲民主党の辻元清美氏=2021年10月31日、大阪府高槻市

 もともと大阪10区という選挙区は小選挙区では連勝できないところで、辻元自身が2014年と17年に連勝したのが初めてである。

 17年以後、辻元は立憲民主党の国対委員長を務め、副代表にも就任した。メディアへの登場も多い。何よりも予算委員会での質問は歯切れも良く、単なる批判の域を脱した、弱者への愛情すら感じる。選挙区を越えて多くの国民からも期待された辻元にとっては、3連勝すれば落ち着くといわれる小選挙区でどうしても勝ちたい一戦であったが、比例復活もできなかったことは痛恨の極みとしか言いようがない。

 立憲民主党にとっても最強の代表候補の選択肢がなくなった。失ったものは大き過ぎる。

 落選すると議員会館も宿舎も4日以内に空けなければいけない。荷物を整理していても多くの電話がかかってくる、取材は入ってくる、そんなドタバタの11月3日夕方、宿舎の片付けが終わって大阪に帰る前の辻元清美に会って話した。

 敗因についてはすでに多くのインタビューで本人が答えているが、「維新はローカル政党で、眼中にない」と言って、相手の池下陣営あるいは維新の会を必要以上に元気つけさせたことは大きかったかもしれない。辻元自身も慢心があったと告白している。

 また、元自民党幹事長の山崎拓を応援に呼んだことも、いつも辻元が批判している自民党の元重鎮を頼ったとして、敵からは大きな矛盾だと攻められた。結果はマイナスだったかもしれない。

 しかし、選挙戦を冷静に振り返ればもっと重要なファクターが見つかる。

 小選挙区制度というものをどのようにして勝つか、このことをもう一度基本から考え直す必要がある。

立憲民主党の辻元清美氏の応援演説に訪れた自民党の山崎拓・元幹事長(右)=2021年10月27日、大阪府高槻市

菅直人はなぜ小選挙区で勝てたのか

 東京18区では、菅直人が自身の選挙の集大成と言って、自民党の長島昭久の追い上げに立ち向かっていた。

 長島は元民主党所属で、国会議員になる時に菅直人の応援を大きく受けて当選している。ポスターには元防衛副大臣と書いてあるが、それは民主党政権でのことだ。「師弟対決」などと囃されたが、そのような軽い話ではない。

 菅直人は、民主党への政権交代が実現した2009年の選挙まではほとんど地元にはおらず、仲間の応援のために日本中を走り回っていた。それでも当選を続けて来たのだ。ところが、総理を務めた後の2012年と14年の選挙では、小選挙区で敗れてギリギリ比例復活という苦杯をなめた。

 続く17年の選挙は、いわば枝野立憲バブルに乗ったこともあり、相手の自民党候補に約1000票というぎりぎりの差で、久しぶりに小選挙区で勝った。しかし今回の長島昭久という相手は、菅よりも15歳以上も若く、おまけに人に飛び込んでいくのが上手で、かなりの準備活動をこなしていた。

 長島の演説は、「野党は批判ばかりで何もできない、日本を作っていくのは自民党でなければダメだ」の一点張りである。全国の注目選挙区となったことから、どうしても勝ちたい自民党は、ありとあらゆる大物弁士を送り込んできた。岸田総理、安倍元総理、甘利幹事長、萩生田光一、麻生太郎、河野太郎、小泉進次郎、菅義偉前総理、石破茂、山本一太群馬県知事。その度に多くの人が集まり、お祭騒ぎが続いた。

 一方、菅直人陣営の街頭で多く人が集まったのは、枝野幸男が来た時一回限りで、長島陣営に比べると極めて集客力は小さい。今回菅直人の選挙に現場で参加して、毎日の動きをともにした私は、とてつもなく大きな危機を皮膚で感じた。そんな菅直人が今回なぜ6000票以上の差を付けて勝ったのだろうか。

小選挙区で当選した菅直人氏(右)。支持者から花束を受け取った後、グータッチをした。前列左から2人目の帽子をかぶっている男性が筆者=2021年11月1日、東京都武蔵野市

小選挙区の闘いは「リング上のボクシング」

 私は、選挙に一般論はないと思う。

 選挙とはこんなもんだと単純化して言えば何かを見失う。もちろん政党の役割は大きいし、候補者はもっと大きい、そして応援団こそ最大だ。

 選挙に向けた日常活動、そして選挙中の瞬発力と、重要ファクターを挙げていったらきりがない。中でも難しいのが演説と選挙スローガンだ。有権者の心を掴むかそれとも空回りか、相手候補との政策の違いを強調するのか批判するのか。それらすべてにおいて、どれがベストかはその選挙区ごとに激しく異なる。全てのファクターが、それぞれの選挙区での事情に依拠しているのだ。しかもその事情も毎回の選挙によって大きく変化する。その時の選挙天気図によるというわけだ。

 ただ一つだけはっきりしているのは、小選挙区での闘いはほとんどの場合、「リングに上がったボクシング」だということだ。相手を力いっぱい殴らないと負ける。この点に関して、野党は圧倒的に弱い。

 辻元清美は、SNS上でデマをあまりにも多く飛ばされている。20項目以上書かれているが、あり得ない猥褻なものから、ひょっとして事実かなと信じさせるような、いわゆるフェイクニュースなどさまざまだ。2014年頃からしきりにそんなデマが流れていて、ネトウヨの仕業か自民党系の会社の下請けかはわからないが、産経新聞に対しては辻元側が裁判までして勝った。

 しかし、嘘もデマも破壊力はある。ネットに書かれた嘘がまるで本当のことのように、実際の言葉として人から人へ静かに広がっていく。裁判に勝っても、深く突き刺さったボディーブローは簡単には消えない。

 常に選挙の勝ち負けを左右するいわゆる無党派層と言われる人たちは、政治に興味がないわけではないが、細かい状況の変化を見るのではなく、もっと大まかな雰囲気を掴んでいる。残念ながら、デマや嘘にも影響されないはずはない。

 そしてさらに選挙中は厳しく維新から叩かれた。「地元はコロナで苦しんだのに辻元は大阪では何もしていない、国会にいて反対ばかりしている」と絶妙なパンチが飛んでくる。辻元の演説はどうしても国会の話になりがちで、矛先は自民党に向きがちだ。3人上がったリング、維新から殴られた辻元が自民を殴っていては維新に勝てないのだ。

菅が放った先制パンチ、夫人の演説は18万回超再生

 一方、今回の菅直人の闘いは少しだけ違った。まず公示前日に開かれた地元青年会議所による公開討論会の席で、候補者である菅直人自身が長島候補に対して、先制パンチを打って出た。「あなたはなぜ20年も一緒にやってきた東京21区の有権者を捨ててこの18区にやって来たのですか」という質問に、長島は、すべて自民党が決めたからだとしか言いようがなく、うろたえながら自身の判断ではないと答えていた。

衆院選公示日の前夜、青年会議所主催の公開討論会で火花を散らした菅直人氏(左)と長島昭久氏=2021年10月18日、東京都小金井市

 街頭では夫人の菅伸子が、「長島さんが選挙に出るときは私たちも必死で応援したんですよ、私も名簿に沿って250箇所くらい一緒に歩いた、それなのにいつの間にか自民党二階派に入ったことも、この東京18区にやってくることも、たった一言の言葉もない。私は新聞で知ったんですよ。裏切り者と言うよりも卑怯者ですよ、臆病者ですよ」とマイクを持って語り、その映像の視聴回数は18万回

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