メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

サイボーグについて語ろう:出遅れる日本は「ムーンショット型研究開発制度」で巻き返せるのか

塩原俊彦 高知大学准教授

 筆者は、「最先端の海外事情」という授業を大学でしている。「論座」で「メタバース」について書いたのも、この授業で使うためでもあった(拙稿「『メタバース』考:インターネット後の世界からいまを見つめる」を参照)。フェイスブックが社名をメタに変更する前に、メタバースについて解説しておいたので、授業の受講生だけでなく、多くの読者に役に立ったのではないか、と自負している。

 そんな筆者がいま気にかけているのは「サイボーグ」である。筆者は、石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)の代表作「サイボーグ009」にリアルタイムで接してきたから、サイボーグというと、「改造人間」というイメージが強い。

 だが、2021年6月には、運動ニューロン疾患(ALS)と診断され、自らを実験台として「肉体のサイボーグ化」をスタートさせたピーター・スコット-モーガン著『NEO Human ネオ・ヒューマン:究極の自由を得る未来』が刊行されたり、同年2月、肉体の制約、次元や時空の壁を越え、限りなく拡張された能力を自由自在に使いこなすことを可能にする「自在化身体」を論じた『自在化身体論 ―超感覚・超身体・変身・分身・合体が織りなす人類の未来』が上梓(じょうし)されたりして、サイボーグに対する見方も以前とはずいぶん変化してきている。

 そこで、今回は、サイボーグを取り上げ、その現在と未来について論じてみたい。大いに参考にしたのは、「人間はサイボーグになるのか?」という、2021年ノーベル平和賞の受賞者のうち、一人が所属するロシアの反政府言論機関「ノーヴァヤガゼータ」のロシア語の記事である。

サイボーグの定義と誕生

 まず、サイボーグという言葉に注目したい。この言葉は、1960年5月に開催された宇宙飛行の心理生理学的側面に関する米国のシンポジウムで、Manfred E. ClynesとNathan S. Klineによって発表された論文に初めて登場した。当初はDrugs, Space and Cyberneticsというタイトルだったが、その後、「サイボーグと宇宙」という名前の論文として、簡単に読むことができる。

 そこには、つぎのような記述がみられる。

 「自己制御型のマン・マシン・システムを創出するために必要なデバイスは何か。この自己制御は意識しなくても身体の自律的な恒常性制御と協調して機能しなければならない。無意識に統合された恒常性維持システムとして機能する、外生的に拡張された組織複合体に、我々は「サイボーグ」という言葉を提案する。サイボーグは、新しい環境に適応するために、生体の自己制御機能を拡張する外生的構成要素を意図的に組み込む。」

 論文で強調されているのは、サイボーグがあくまで「自動的に無意識のうちに処理される組織システムを提供する」ことを目的としていることだ。ゆえに、人間自体は「自由に探索し、創造し、考え、感じることができる」ことを前提としていることになる。

 具体的には、サイボーグの構築を考える上で参考になる装置として、S.ローズが開発した生化学的活性物質を生物学的速度で連続的にゆっくりと注入するための独創的な浸透圧ポンプカプセルが紹介されている。このカプセルは生体に取り込まれ、生体側の注意を払うことなく、特定の器官に選択された薬剤を連続可変速度で投与することができるという。

 なお、「サイボーグ009」が最初に登場したのは1964年だから、石ノ森章太郎の時代感覚の鋭さには脱帽せざるをえない。

 その後、サイボーグのもつイメージはさまざまに変化した。たとえば、「生体に組み込まれた電子機器によって新たな能力を獲得した生物」として、人間以外の生命体もサイボーグとみなすこともできる。あるいは、体に直接電子機器を埋め込んだ人だけをサイボーグと呼ぶ向きもある。この定義にしたがえば、心臓の拍動を適切な周波数に保つための電気機器である人工心臓ペースメーカーを埋め込んだ患者はサイボーグということになる。1958年に初めて埋め込み型のペースメーカーが取りつけられたから、サイボーグという名前が登場する前にサイボーグが誕生していたことになる。

埋め込みチップBreslavtsev Oleg/shuttetstock.com

 2018年8月時点で、「世界にはチップを埋め込んだサイボーグが1万人いると言われている」と、The Economistは報じた。そのうち、スウェーデン人が多くを占め、約3000人が親指と人さし指の間の皮膚の下に、粒の大きさのマイクロチップを挿入する選択をしたと記している。RFID(Radio Frequency ID)と呼ばれる技術を利用した、このチップは約150ドルで、個人情報、クレジットカード番号、医療記録などが記録されている。

 ほかにマイクロチップも、人工臓器からのフィードバック、つまり人工臓器の状態や動きを感知して人工臓器をコントロールできる人のみをサイボーグと呼ぶべきだという人もいる。

脳をコンピューターに接続する方法

 それでは、現在のサイボーグには具体的にどのようなものがあるのだろうか。まず、人間の脳をコンピューターやその他のインテリジェントなデバイスに接続する技術である「ニューロ・インターフェース」とか「ブレイン・コンピューター・インターフェイス」と呼ばれている方法について説明しよう。

 その第一歩はたぶん、アカゲザルを使って脳に電極を埋め込む実験だった。2003年に公表された米デューク大学の情報によると、同大学メディカルセンターの研究者は、2匹のアカゲザルの雌の脳の前頭葉と頭頂葉に、髪の毛の直径よりも小さい微小な電極をアレイ状に埋め込んだ。1匹には96個、もう1匹には320個の電極を埋め込み、電極アレイからの微弱な信号が研究者の開発したコンピューターシステムによって検出・分析され、動物の腕の動きを表す信号のパターンを認識することができたのである。

 最初の行動実験では、操作バーを使って、ビデオ画面上のターゲットにカーソルを合わせ、指定された力で操作バーを握ることを学習させたときの、サルの脳からの出力信号を記録・解析したものだった。さらに、アカゲザルに脳からの信号とビデオスクリーン上の視覚的フィードバックだけを使って、ロボットアームの動きをリアルタイムに意識的にコントロールすることを教えた。

脳波制御車いす理化学研究所、トヨタ自動車などが開発した「脳波制御車いす」の実演。帽子につけた5個の電極で脳波を読み取り、0.125秒で脳波の特徴を分析して車いすを動かす。右に行きたい場合は右手を、左の場合は左手を上げる動きを思い浮かべる(2009年6月、文部科学省で)
 2009年6月29日には、独立行政法人理化学研究所とトヨタ自動車、豊田中央研究所、コンポン研究所が2007年に設立した理研BSI-トヨタ連携センターは、脳波を用いて、電動車いすを0.125秒で制御するシステムの開発に成功したと発表した。これは、車いすの操作者の意思の方向(前・右・左)を、脳波解析を通じて迅速にキャッチし、その意思通りの方向に電動車いすの制御動力に伝え方向を制御するものだ。

 さらに、2016年には、32個の電極を頭皮に装着して、頭で考えるだけで飛行機を操縦できるまでになったとのニュースが報じられている。

 ただし、頭の表面の電気的な活動を記録することで脳波の記録と操作のこつを習得するには時間がかかるうえに、迅速な制御にも限界がある。そこで、頭蓋骨(ずがいこつ)に小さな穴を開けて、脳の表面に電極のレースを貼りつけたり、さらには内部にセンサーを挿入したりするアプローチもなされるようになっている。

 たとえば、パーキンソン病や癲癇(てんかん)に対する脳深部刺激療法(DBS)というのがある。発作が発生している脳の特定の部位に電気パルスを送る装置を埋め込むことで、発作を治療する方法だ。2019年に公表された資料によると、癲癇患者に脳深部刺激装置を埋め込み、7年間の追跡調査を110人に行ったところ、①7年後、患者は発作の頻度が中央値で75%減少した、②7年後、20人の患者(18%)が6カ月以上の発作のない間隔を報告した、③発作が50%以上減少した患者の割合は、1年目の43%から7年目には74%に増加した――といった臨床結果が出たという。

 米国防総省の付属機関、国防高等研究計画局(DARPA)は癲癇治療で使われていたDBSに注目するようになる(DARPAについては、拙著『サイバー空間における覇権争奪』の「序章 技術と権力」にある第一節「DARPAの誕生とその後」を参照)。治療者の同意のもとに、癲癇治療に使われるべき脳内の電極をあえて「記憶力の強化」に転用する実験を行ったのである(詳しくは、小林雅一著「『脳に直接電流を流した』彼に起こった衝撃の結果」を参照)。このように、脳に直接電流を流すことなど、いまでは常識になりつつあるのだ。なお、DARPAは2009年の段階で、ワイヤでつながれたカブトムシに刺激を送り、部屋のなかをブンブンと飛び回らせることに成功している。「サイボーグ・ビートル」の誕生だった。

「サイボーグ・ビートル」

人工内耳の普及

 2015年に公表された学術論文「人工内耳の歴史」という論文によると、聴覚神経を正確に刺激すると、さまざまな音として解釈されることが実証されたことから、ウィーン大学とメルボルン大学で開発された最初の人工内耳が1977年12月に誕生した。その数カ月後、1978年にメルボルンで人工内耳が48歳の患者に移植された。この移植以来、医療技術の進歩により、部品の小型化が進んでいる。

人工内耳の例

 人工内耳は、耳に装着する外側の部分と、埋め込み可能な内側の部分で構成されている。外側にはマイク、音を電気信号に変換するマイクロプロセッサー、その信号を電波として受信機に送るトランスミッターがある。内耳には受信機が埋め込まれており、送信機からのインパルスを受信する。受信機は、蝸牛(かぎゅう:カタツムリ)の形をした薄くて柔軟なチューブに巻かれた電極にパルスを送る。この電極は聴覚神経に接続されており、聴覚神経はその微弱な電気信号を収集して脳に伝達する。そして、脳はマイクからの信号を音として認識するのだ。

 論文では、「米国連邦医薬品局(FDA)によると、2012年12月現在、世界中で約32万4200人の患者が人工内耳を装着している」と紹介されている。埋め込み型聴覚装置の世界的リーダーである会社Cochlear Limited によれば、同社は1981年以来、60万個以上の埋め込み型デバイスを提供し、180カ国以上のあらゆる年齢層の人々が聞こえるようになっているという。

人工網膜デバイス

 欧州では2011年から、米国では2013年から、網膜色素変性症などの治療に用いられている人工網膜デバイス「アーガスII」(Argus II)が普及している。ロシアでも、2017年にロシアの患者として初めて「アーガスII」の眼球移植が行われている。目でも、サイボーグが登場する時代を迎えていると言えよう。2021年8月の情報では、2007年に最初の「アーガスII」を移植した米国の会社、セカンド・サイトは、この人工網膜の移植を順調に増やし、世界で350人が使用しているという。

 アーガスIIは、失われた視力を回復させたり、既存の視力を部分的に増幅させたりすることを目的とした神経人工器官、「バイオニックアイ」の一種ということになる。2021年3月に公表された「バイオニックアイ」)という論文によると、バイオニックアイとは、視覚を完全または部分的に回復させるための義眼のことだ。義眼は、網膜下、網膜上、視神経、大脳皮質といった視覚経路のさまざまな場所に、神経細胞の電気刺激に基づいて埋め込まれる。

 バイオニックアイは、イメージセンサー、無線送信機、マイクロプロセッサー、受信機、および網膜チップで構成されている。この電子システムは、目の不自由な人が良好な視力を取り戻すのに役立つ。そこには、後眼部に設置されたコンピューターチップが、メガネに内蔵された小型ビデオカメラに接続されており、それを装着して使用する。カメラで撮影された画像はチップに集中し、チップはそれを電子信号に変換して脳に送る。埋め込まれたチップの電極は、この信号を電気インパルスに変え、視神経につながる網膜の細胞を刺激する。刺激された電気信号は、視神経に沿って脳の視覚野に送られ、そこで画像として解釈される。

 アーガスⅡ以外にも、バイオニックアイはある。「人工シリコン網膜」は網膜下に埋め込まれた直径2mmのシリコンマイクロチップで、約5000個の微小電極を持つマイクロフォトダイオードが内蔵されており、入射光によって電力を得ることができる。ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学による「網膜インプラント」もある。損傷した光受容体の代わりに微小網膜下刺激装置(電極のアレイ)を用いるエピ型網膜インプラントを意味している。ほかにも、CCDカメラで撮影した画像を高周波信号で網膜内のマイクロチップに伝送するシステム、「マルチプルユニット人工網膜チップセットシステム」というものもある。

「バイオニック・ビジョン・システム」
(出所)https://createdigital.org.au/australian-bionic-eye/
 近年、「バイオニック・ビジョン・システム」という、視神経に障害がある人でも視力を得ることができるように設計されているシステムの開発プロジェクト、「ジェナリス」(Gennaris)が2020年9月以降、進んでいる。これは、カメラを搭載したヘッドギア、ビジョンプロセッサユニットとソフトウェア、無線送信機、そして脳に埋め込むための9mm×9mmのタイルで構成されている。カメラで撮影された映像は、ビジョンプロセッサーに送られ、必要な情報を抽出するための処理が行われる。このデータは無線で各埋め込みタイル内の回路に送信される。データは電気パルスに変換され、微小電極アレイを通じて脳を刺激する。大脳皮質に直接働きかけるため、この技術は全盲の人のほとんどを助けることができると期待されているという。

 ほかにも、興味深い動きがある。

・・・ログインして読む
(残り:約2501文字/本文:約8256文字)