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ソ連崩壊から30年:「ロシア無頼」としてのプーチン

塩原俊彦 高知大学准教授

 1991年12月にソ連が崩壊してから、30年になる。そのソ連を誕生させる契機となったロシア革命からは104年になる。

 筆者は2017年に『ロシア革命100年の教訓』(Kindle版)を上梓(じょうし)した。ここでは、この第三章「『ロシア無頼』という教訓」の第四節「ロシア無頼としてのプーチン」をもとに、ソ連崩壊から30年を迎えるロシア連邦のいまを総括してみたい。そのためには、「ロシア無頼」という観点からの分析が必要になる。

内村剛介著『ロシア無頼』

 その昔、指導教授であった西村可明・一橋大学経済研究所教授から、「理念」、「理論」、「制度」、「現実」を分けて分析することの重要を教えてもらった。その視角はいまでも筆者の研究の骨格をなしている(その最新の論考として、拙稿「中ロ協力を考える:『現実』は複雑だ」[『ロシアNIS調査月報』2021年12月号]がある)。

 社会主義といった「理念」や、マルクス主義経済学の「理論」、そしてその実践たる社会主義の「制度」を研究しても、ソ連の「現実」は決してわからない。ソ連が崩壊して30年もたつと、こうした社会主義にかんする理念、理論、制度は忘却の彼方に消えてしまったかのようだ。だが、ソ連時代からの「現実」をしっかりと見つめる視角があれば、ソ連崩壊後の後継国家、ロシア連邦の「現実」について分析するメルクマールになりうるのではないか。

 そう信じる筆者は、ソ連崩壊から30年のロシアについて分析するには、1945~56年までラーゲリに抑留されていた内村剛介が著した『ロシア無頼』(1980年)という本を出発点にするのがいいと考えている。当時のソ連の「現実」が的確に切り取られているからだ。「理念」や「理論」、「制度」にこだわる者の多くは、実は「頭でっかち」なだけで、「現実」を生きる人々の苦悩を知らない。そんな連中には、ソ連も、いまのロシアも、決して理解できないと筆者は確信している。

「ブラトノイ」

 内村の卓見は、「現実」のソヴィエト政権に無頼の世界に通じる特性を発見したことにある。

 ロシア語では無頼の徒を「ブラトノイ」ないし「ヴォール」と呼ぶ。後者は「法にのっとった盗賊」のようなかたちで使われ、「盗賊」の意に近い。前者は、内村によれば、「ブラート(コネ)の人」、「結びあった人」、「血盟の人」を意味する。「ブラート」はユダヤ人の言葉、イディシが起こりで、19世紀から、いまのウクライナのオデッサで用いられはじめた。その後、ロシア語化し、犯罪者たちの頭目がロシア全土にわたる組織をつくったのだという。ブラトノイ同士の連帯は固く、ブラトノイを、文字通り命をかけて守る。ブラトノイ集団は集団側が新メンバーを採用することによって増員してゆく。だが、希望者側の申し出を検討することはしない。既存のブラトノイが入会を提案するのだ。ブラトノイは「法」なるものを軽蔑し、自分たちだけの不文律が彼らにとっての「法」となる。

 内村は、ソヴィエト政権はよく組織だった連帯の堅固なブラトノイの世界に対して、「1917年以来不断の戦いを挑んで今日に至っている」と記している。しかし、それはソヴィエト政権とブラトノイの世界の異質性を意味しない。むしろ、両者は驚くほど近似しているのだ。

 「無頼は彼ら固有の人間の尊厳を守るためにこそ掟があると信じているが、その掟を制定する原理を見ると、まず目につくのは全体主義である」という内村の指摘は興味深い。全員一致を原則として例外を認めない全体主義を特徴としており、「無頼全体主義社会へいったん入った者は、全体が一致しない限りそこを出られないといったことになる」のだ。だからこそ、ソヴィエト連邦は「ロシア無頼」に通じるものがある。

 そこに通底するのは、無産の原則である。「無頼も共産主義者も無産の原則においては似た者同士である」のだ。さらに全員一致の原則も共通している。「民主集中制」と称して、事実上、全員一致の「民主主義」がソ連でまかり通っていたことはあまりにも有名だ。

 「ロシア無頼」の起こりは農奴制と深くかかわっている。「コサック」はトルコ語の「向こう見ずの人間」を起源としており、有名なドン・コサックはイワン四世の圧政を逃れたロシア正教徒が武装した集団であった。ロシアでは、自由は逃亡を意味したのであり、その逃亡者のうち、二度と生業につかぬ者が現われた。これが「ロシア無頼」の起こりではないかと、内村はのべている。

 この逃げ出した者はいわば、無国籍者であり、所有権のような権利をも喪失する。人権そのものをなくした者と言えるかもしれない。

レーニンは「無職のロシア無頼」、スターリンはヤクザ

 つぎに理解してほしいのは、ロシア共産党の幹部がまさに「ロシア無頼」であったという「現実」である。内村の記述を紹介しよう。

拡大Alexey Borodin/shutterstock.com

 「銀行を暴力で収奪したヤクザが若い日のスターリンであった(1907年6月、国立銀行の巨額金塊を輸送する馬車がスターリンらに襲撃された:引用者注)。その貢ぎでレーニンが海外で暮らした。ペン一本で稼いだトロツキーは職業を持っていたから、このスターリンのやり口を許せなかった。レーニンやスターリンはトロツキーのように自分の手で稼がなかった。つまり職業という職業を持たないで革命だけを商売にした。そして自分自身を職業的革命家とかなんとか称しているが、この『無職ゆえの職業的革命家』は『無職のロシア無頼』とその信念、その手口において親類関係にあることは疑えない」(63-64頁)。 
 「『ボリシェヴィキを縛る法なんてものはない』というのがレーニンである。ボリシェヴィキはレーニンのひきいるロシアの共産党だが、この党はこと自分に関しては一切の法を認めない。『すべては許されてある』とドストエフスキーのスメルジャコフまがいに言うのである。法のないことをすなわち無法を20世紀の新たな法とするのがボリシェヴィキである」(28頁)。

「ロシア無頼」の核心に「チェキスト」

 こうした内村の「現実」を見る目は、「ハムたるロシア無頼の徒党・共産党中央部の懐刀はハムそのものであるチェキストだ」という指摘に収斂している。

 説明しよう。旧約聖書に登場するハムと言えば、ノアの箱舟で有名なノアの息子、セム、ハム、ヤペテの一人である。世界ではじめてぶどうの栽培に成功したノアは飲みすぎて裸になるという失態を演じる。これをみたハムは、他の兄弟に告げ口するのだが、セムもヤぺテも父の醜態を後ろ向きになって顔を向けず、さらに上衣で父を覆い隠した。つまり、ハムは権威者の失態を暴露することで、権威に対する反逆の姿勢を明示したことになる。だからこそ、息子らの対応を知ったノアはハムの息子であるカナンを呪い、カナンの子孫がセムとヤペテの奴隷となる予言したのである。ハムではなくその末息子、カナンを呪うことでカナン以後に生まれてくるカナンの子孫までも呪いつづけるという意図があった。

 こうした事情から、ハムは「無礼ぶしつけ鉄面皮を合わせて二乗したような存在」ということになる。そのうえで、内村は、前述の「ハムたるロシア無頼の徒党・共産党中央部の懐刀はハムそのものであるチェキストだ」と断じているのだ。ここでいう「チェキスト」は「チェーカーの人」を意味している。ここでわかるように、「ロシア無頼」の核心はロシア共産党を陰で支えていた「チェーカーの人」たる「チェキスト」にあることになる。「チェーカー」とは、1917年12月、人民コミッサールソヴィエトが反ボリシェヴィキのストライキやサボタージュに対抗するために設置した、「反革命・サボタージュとの闘争に関する人民コミッサールソヴィエト付属全ロシア非常委員会」のことだ。その後何度も名称変更するのだが、暴力装置は「チェーカー」と総称されるようになる。彼らは秘密警察のような存在であり、この血脈がのちの国家保安委員会(KGB)やいまの連邦保安局(FSB)にまで受け継がれてゆくのである。

ロシア無頼=ボルシェヴィズム

 宗近真一郎著『ボエティカ/エコノミカ』において、宗近は、こうした内村の独白をつぎのようにまとめている(201頁)。

 「私見では、『ロシア無頼』は、歴史の弁証法を現実において初めて化肉してみせたボルシェヴィズム、ロシア各地を放浪する定義困難な『自由の民』を嚆矢とし、『党』の秩序と正義によって暴力と抑圧を行使する犯罪社会主義の担い手となり、ソ連崩壊を経過した二十一世紀においては、所有権や生産への基本的エートスを裏返すかたちで怜悧に『所有』を独占した少数のオリガルヒ、そのオリガルヒを制圧するプーチン政権のハードな権勢へと連綿する。これは、痛烈な弁証法や唯物弁証法へのイロニーではないか。」

 その意味で、「ロシア無頼」の立場から、ロシア革命を見直すことはいまのロシアを理解するうえでも重要なのだ。ただし、この無頼は必ずしもロシア特有のものではない。「生産せず、所有を認めない「無頼」が「官」なるものを媒介にして、ソフトとハードの振幅で荒ぶることがある」のであって、「ロシア無頼」はロシアだけの無頼ではなかった。フランス革命でもロビスピエールという無頼が存在したのである。

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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