2021年12月10日
1991年12月にソ連が崩壊してから、30年になる。そのソ連を誕生させる契機となったロシア革命からは104年になる。
筆者は2017年に『ロシア革命100年の教訓』(Kindle版)を上梓(じょうし)した。ここでは、この第三章「『ロシア無頼』という教訓」の第四節「ロシア無頼としてのプーチン」をもとに、ソ連崩壊から30年を迎えるロシア連邦のいまを総括してみたい。そのためには、「ロシア無頼」という観点からの分析が必要になる。
その昔、指導教授であった西村可明・一橋大学経済研究所教授から、「理念」、「理論」、「制度」、「現実」を分けて分析することの重要を教えてもらった。その視角はいまでも筆者の研究の骨格をなしている(その最新の論考として、拙稿「中ロ協力を考える:『現実』は複雑だ」[『ロシアNIS調査月報』2021年12月号]がある)。
社会主義といった「理念」や、マルクス主義経済学の「理論」、そしてその実践たる社会主義の「制度」を研究しても、ソ連の「現実」は決してわからない。ソ連が崩壊して30年もたつと、こうした社会主義にかんする理念、理論、制度は忘却の彼方に消えてしまったかのようだ。だが、ソ連時代からの「現実」をしっかりと見つめる視角があれば、ソ連崩壊後の後継国家、ロシア連邦の「現実」について分析するメルクマールになりうるのではないか。
そう信じる筆者は、ソ連崩壊から30年のロシアについて分析するには、1945~56年までラーゲリに抑留されていた内村剛介が著した『ロシア無頼』(1980年)という本を出発点にするのがいいと考えている。当時のソ連の「現実」が的確に切り取られているからだ。「理念」や「理論」、「制度」にこだわる者の多くは、実は「頭でっかち」なだけで、「現実」を生きる人々の苦悩を知らない。そんな連中には、ソ連も、いまのロシアも、決して理解できないと筆者は確信している。
内村の卓見は、「現実」のソヴィエト政権に無頼の世界に通じる特性を発見したことにある。
ロシア語では無頼の徒を「ブラトノイ」ないし「ヴォール」と呼ぶ。後者は「法にのっとった盗賊」のようなかたちで使われ、「盗賊」の意に近い。前者は、内村によれば、「ブラート(コネ)の人」、「結びあった人」、「血盟の人」を意味する。「ブラート」はユダヤ人の言葉、イディシが起こりで、19世紀から、いまのウクライナのオデッサで用いられはじめた。その後、ロシア語化し、犯罪者たちの頭目がロシア全土にわたる組織をつくったのだという。ブラトノイ同士の連帯は固く、ブラトノイを、文字通り命をかけて守る。ブラトノイ集団は集団側が新メンバーを採用することによって増員してゆく。だが、希望者側の申し出を検討することはしない。既存のブラトノイが入会を提案するのだ。ブラトノイは「法」なるものを軽蔑し、自分たちだけの不文律が彼らにとっての「法」となる。
内村は、ソヴィエト政権はよく組織だった連帯の堅固なブラトノイの世界に対して、「1917年以来不断の戦いを挑んで今日に至っている」と記している。しかし、それはソヴィエト政権とブラトノイの世界の異質性を意味しない。むしろ、両者は驚くほど近似しているのだ。
「無頼は彼ら固有の人間の尊厳を守るためにこそ掟があると信じているが、その掟を制定する原理を見ると、まず目につくのは全体主義である」という内村の指摘は興味深い。全員一致を原則として例外を認めない全体主義を特徴としており、「無頼全体主義社会へいったん入った者は、全体が一致しない限りそこを出られないといったことになる」のだ。だからこそ、ソヴィエト連邦は「ロシア無頼」に通じるものがある。
そこに通底するのは、無産の原則である。「無頼も共産主義者も無産の原則においては似た者同士である」のだ。さらに全員一致の原則も共通している。「民主集中制」と称して、事実上、全員一致の「民主主義」がソ連でまかり通っていたことはあまりにも有名だ。
「ロシア無頼」の起こりは農奴制と深くかかわっている。「コサック」はトルコ語の「向こう見ずの人間」を起源としており、有名なドン・コサックはイワン四世の圧政を逃れたロシア正教徒が武装した集団であった。ロシアでは、自由は逃亡を意味したのであり、その逃亡者のうち、二度と生業につかぬ者が現われた。これが「ロシア無頼」の起こりではないかと、内村はのべている。
この逃げ出した者はいわば、無国籍者であり、所有権のような権利をも喪失する。人権そのものをなくした者と言えるかもしれない。
つぎに理解してほしいのは、ロシア共産党の幹部がまさに「ロシア無頼」であったという「現実」である。内村の記述を紹介しよう。
「銀行を暴力で収奪したヤクザが若い日のスターリンであった(1907年6月、国立銀行の巨額金塊を輸送する馬車がスターリンらに襲撃された:引用者注)。その貢ぎでレーニンが海外で暮らした。ペン一本で稼いだトロツキーは職業を持っていたから、このスターリンのやり口を許せなかった。レーニンやスターリンはトロツキーのように自分の手で稼がなかった。つまり職業という職業を持たないで革命だけを商売にした。そして自分自身を職業的革命家とかなんとか称しているが、この『無職ゆえの職業的革命家』は『無職のロシア無頼』とその信念、その手口において親類関係にあることは疑えない」(63-64頁)。
「『ボリシェヴィキを縛る法なんてものはない』というのがレーニンである。ボリシェヴィキはレーニンのひきいるロシアの共産党だが、この党はこと自分に関しては一切の法を認めない。『すべては許されてある』とドストエフスキーのスメルジャコフまがいに言うのである。法のないことをすなわち無法を20世紀の新たな法とするのがボリシェヴィキである」(28頁)。
こうした内村の「現実」を見る目は、「ハムたるロシア無頼の徒党・共産党中央部の懐刀はハムそのものであるチェキストだ」という指摘に収斂している。
説明しよう。旧約聖書に登場するハムと言えば、ノアの箱舟で有名なノアの息子、セム、ハム、ヤペテの一人である。世界ではじめてぶどうの栽培に成功したノアは飲みすぎて裸になるという失態を演じる。これをみたハムは、他の兄弟に告げ口するのだが、セムもヤぺテも父の醜態を後ろ向きになって顔を向けず、さらに上衣で父を覆い隠した。つまり、ハムは権威者の失態を暴露することで、権威に対する反逆の姿勢を明示したことになる。だからこそ、息子らの対応を知ったノアはハムの息子であるカナンを呪い、カナンの子孫がセムとヤペテの奴隷となる予言したのである。ハムではなくその末息子、カナンを呪うことでカナン以後に生まれてくるカナンの子孫までも呪いつづけるという意図があった。
こうした事情から、ハムは「無礼ぶしつけ鉄面皮を合わせて二乗したような存在」ということになる。そのうえで、内村は、前述の「ハムたるロシア無頼の徒党・共産党中央部の懐刀はハムそのものであるチェキストだ」と断じているのだ。ここでいう「チェキスト」は「チェーカーの人」を意味している。ここでわかるように、「ロシア無頼」の核心はロシア共産党を陰で支えていた「チェーカーの人」たる「チェキスト」にあることになる。「チェーカー」とは、1917年12月、人民コミッサールソヴィエトが反ボリシェヴィキのストライキやサボタージュに対抗するために設置した、「反革命・サボタージュとの闘争に関する人民コミッサールソヴィエト付属全ロシア非常委員会」のことだ。その後何度も名称変更するのだが、暴力装置は「チェーカー」と総称されるようになる。彼らは秘密警察のような存在であり、この血脈がのちの国家保安委員会(KGB)やいまの連邦保安局(FSB)にまで受け継がれてゆくのである。
宗近真一郎著『ボエティカ/エコノミカ』において、宗近は、こうした内村の独白をつぎのようにまとめている(201頁)。
「私見では、『ロシア無頼』は、歴史の弁証法を現実において初めて化肉してみせたボルシェヴィズム、ロシア各地を放浪する定義困難な『自由の民』を嚆矢とし、『党』の秩序と正義によって暴力と抑圧を行使する犯罪社会主義の担い手となり、ソ連崩壊を経過した二十一世紀においては、所有権や生産への基本的エートスを裏返すかたちで怜悧に『所有』を独占した少数のオリガルヒ、そのオリガルヒを制圧するプーチン政権のハードな権勢へと連綿する。これは、痛烈な弁証法や唯物弁証法へのイロニーではないか。」
その意味で、「ロシア無頼」の立場から、ロシア革命を見直すことはいまのロシアを理解するうえでも重要なのだ。ただし、この無頼は必ずしもロシア特有のものではない。「生産せず、所有を認めない「無頼」が「官」なるものを媒介にして、ソフトとハードの振幅で荒ぶることがある」のであって、「ロシア無頼」はロシアだけの無頼ではなかった。フランス革命でもロビスピエールという無頼が存在したのである。
つぎにブラトノイ(「ロシア無頼」の徒)の淵源である「ブラート」について考えてみたい。ブラートは、「不足した商品やサービスを受け取るための、同じくさまざまな生活上の諸問題を解決するための社会的ネットワークや非公式の接触の利用」を意味している(Барсукова С.Ю. , «Блатной Советский Союз, или экономика взаимных услуг.», Неформальная экономика: от чтения к пониманию, или неформальная экономика в зеркале книг, 2012, p. 89)。いわば、コネを活用した相互扶助を指していることになる。引用したバルスコワは「ブラートはソヴィエト社会の構造的な制約の反映であった」として、ソヴィエトが支配したソ連時代にブラートが蔓延したとみなしている。これは、計画に基づく「上からのデザイン」を肯定するアプローチをとってもみても、実際には計画通りにゆかず、その破綻を取り繕うためには、非公式のコネに頼らざるをえなかったソ連社会の実相に対応して広まったのである。
具体的に言えば、実際に必要な商品やサービスが、カネがあっても手に入らないという「現実」がソ連時代に恒常化したことで、ソ連国民はブラートを活用してなんとかすることを強いられたのだ。誕生日のお祝いにキャビアを用意しようとしても、入手困難であるため、コネの連鎖を使ってなんとか見つけ出すのである。あるいは、不足している医薬品をどうしても緊急に必要とするとき、ブラートに助けを求めるほうが公式ルートに頼るよりもずっと確実な方法であった。ここに、ソ連時代の国民の「現実」があったのである。
注意喚起しておきたいのは、ソ連の5カ年計画や年度計画はあくまで法律として制定され、その実施は法に基づく執行という形式においてなされたことである。その意味で、そんな法がどうせ実践できないことはわかりきっていたから、国民はそうした法=計画を、ある意味で無視していたことになる。「ロシア無頼」のボリシェヴィキがロシア革命によって支配するようになると、国中に「ロシア無頼」特有の法の軽視が広がるのだ。無頼の全員一致原則から、ソヴィエト社会全体に無頼の悪弊、「無法が法」というしきたりが広まるのである。
すでに紹介した宗近真一郎の言うように、「ロシア無頼」は、「ソ連崩壊を経過した21世紀においては、所有権や生産への基本的エートスを裏返すかたちで怜悧に「所有」を独占した少数のオリガルヒ(新興財閥:引用者注)、そのオリガルヒを制圧するプーチン政権のハードな権勢へと連綿」している。この連綿たるロシア無頼の歴史は寺谷弘壬著『ロシア・マフィアが世界を支配するとき』に詳しい(寺谷弘壬著『ロシア・マフィアが世界を支配するとき』, 2002年)。
KGB出身のプーチンが「ロシア無頼」である証拠は枚挙にいとまがない(詳しくは拙著『プーチン露大統領とその仲間たち:私が「KGB」に拉致された背景』を参照)。その無頼ぶりは、その「犯罪者」ぶりが物語っている。彼が何とか大統領になれたのは、過去の犯罪を隠蔽することに成功しただけの話にすぎない。
そんな「ロシア無頼」だからこそ、いまプーチンは歴史さえ書き直そうとしている。「ニューヨーク・タイムズ電子版」(2021年11月22日付)に掲載された「収容所の記憶を消すために、ロシアは人権団体を標的にする:検察は、ロシアで最も著名な人権団体であるメモリアル・インターナショナル潰そうとしている。これは、クレムリンがソ連の歴史的な物語をコントロールしようとしているためである」に、その汚いやり口が紹介されている。
ソ連が崩壊して30年が経過しても、「ロシア無頼」による支配はロシア革命以降と変わらないようにみえる。なぜそんなことが可能なのか。それを理解するには、無頼の二面性に気づかなければならない。
無頼は「だれにも頼らない独立自尊」という含意をもつから、本来、立派な面をもっているとも言えなくもない。これが重要な点だ。無頼は「自主独立の精神」と結びついており、それ自体は称賛に値するかもしれないのである。他方で、こうした精神によって既存秩序を乱される側からみると、「悪」とイメージされることになる。つまり、無頼は立場によって評価が異なる二面性をもっているのだ。
このことに気づかせてくれたのは、執行草舟著『「憧れ」の思想』である。日本ではすべてを自己責任と感ずる精神を、「悪党」と呼び、源平の名だたる武将をはじめ、楠木正成や北畠親房など南北朝の忠義を代表する武将たちもみな「悪党」と呼ばれていた、というのだ。当時、既存の支配者に対抗した勢力を「悪党」とレッテルづけしたわけだ。だが、別の面からみると、彼らは新しい時代を切り拓く力量をもった革新的勢力であったのである。
この無頼の二面性に実によく気づいていたのが芥川龍之介である。
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