松下秀雄(まつした・ひでお) 「論座」編集長
1964年、大阪生まれ。89年、朝日新聞社に入社。政治部で首相官邸、与党、野党、外務省、財務省などを担当し、デスクや論説委員、編集委員を経て、2020年4月から言論サイト「論座」副編集長、10月から編集長。女性や若者、様々なマイノリティーの政治参加や、憲法、憲法改正国民投票などに関心をもち、取材・執筆している。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
マジョリティーの暴力を自覚しない私たちの問題性
12月8日、提訴したという記者会見に臨んだ安田菜津紀さんは、いつものように穏やかで、落ち着いた口ぶりだった。
でも、ほんとうは勇気が要ったろう。安田さん自身がいうように、ヘイトスピーチは浴びせられる者に「声を上げたら、また言葉の暴力にさらされる」という恐怖心を抱かせ、黙らせる力をもつからだ。
安田さんはそのおそれを知りながら、覚悟を決めて訴えた。SNSへの差別的な投稿を「見ない」といった対処方法ではヘイトがやまず、ほかの人に矛先が向かいかねないからだ。次世代に問題を持ち越さないために決意したのだという。
この裁判の主眼は、個人の損害を埋め合わせることにあるのではない。
差別を禁止しようとせず、放置してきたこの国で、差別をなくすための足がかりを得る。大きなねらいを込めた裁判である。
きっかけは昨年暮れ、安田さんが執筆した「もうひとつの『遺書』、外国人登録原票」という記事だった。
幼いころ、安田さんを膝の上にのせた父は、なぜか絵本をすらすらと読めない。「もういい!」としびれを切らした安田さんは、「お父さん、日本人じゃないみたい!」といってしまった。そんなエピソードから始まっている。
安田さんの父は、安田さんが中学2年生の時になくなるまで、自身が在日コリアンであることをわが子にも明かさなかった。
なぜ、自身の出自を語らなかったのか。父の家族は朝鮮半島のどこからきたのか。「外国人登録原票」という書類を手がかりに、家族の歩みをたどる安田さんの旅を記事に描いた。
この記事に共感が寄せられた一方で、罵声も浴びせられた。記事を紹介する安田さんのツイートに対して浴びせられた罵声のうち、発信者を特定できた2人にそれぞれ195万円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。
浴びせられたのは、次のような言葉である。
「密入国では?犯罪ですよね?逃げずに返信しなさい」
「在日特権とかチョン共が日本に何をしてきたとか学んだことがあるか? 嫌韓流、今こそ韓国に謝ろう、反日韓国人撃退マニュアルとか読んでみろ チョン共が何をして、なぜ日本人から嫌われてるかがよく分かるわい お前の父親が出自を隠した理由は推測できるわ」
差別的返信が投稿された安田菜津紀さんのツイート父が在日コリアンだと知ったのは死後だった。なぜ父は家族と縁を絶ち、出自を隠したのか。家族は朝鮮半島のどこから渡ってきたのか。もう死者に尋ねることはできない、と諦めていた。ところが今年、外国人登録原票が交付され、そこには確かに家族の生きた証が刻まれていた。https://t.co/rXHR4ooz3T
— 安田菜津紀 Dialogue for People (@NatsukiYasuda) December 13, 2020
安田さんの父は京都の生まれで、書き込まれたような「密入国」はしていない。
ただ、安田さんは事実ではないことを書かれたことよりも、「ひとくくりに犯罪者だという言葉を投げつけたことの責任を問いたい」と語る。植民地支配をはじめとする歴史的背景を無視し、海を渡らざるを得なかった人たちを犯罪者扱いするのは、重大な差別にあたると考えるからだ。
裁判の主なねらいは、このような差別的な言動は不法行為にあたると認めさせることにある。
実際、後者の投稿の発信者情報を開示させるために起こした裁判で、東京地裁は、投稿が「広く韓国にルーツを有する日本在住者をその出自のみを理由として一律に差別する趣旨のもの」であることを理由に、安田さんの「人格権」を直接侵害していると認定した。今度の裁判でも、このような画期的判決がでることを、安田さんは望んでいる。
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