日本の発展に必要なのは、外国人の「排除」ではなく「共存」である
2021年12月14日
東京都武蔵野市で、常設型の住民投票条例(一定の署名が集まれば住民投票を実施することを定めた条例)の制定に向けて準備が進められている。12 月13日には市議会の総務委員会で賛成多数となった。
ところが条例の制定に反対する人々が連日のように市の内外から市役所や吉祥寺駅前に集結し、街宣車やデモ行進によって抗議の声を上げている。漏れ聞こえる主な反対の理由は外国人住民登録をした外国人にも投票資格を認めたことにあるようだが、反対派(武蔵野市の住民投票を考える会)の陳情書を見ると必ずしもそれだけではなく、住民投票そのものに消極的な考え方が反対論の根底にあるようだ。
では、外国人の投票資格を認めることには問題があるのだろうか。そもそも住民投票によって住民の意見を聞くことにはどのような意義があるのだろうか。反対派の意見にも耳を傾け、次の4つの観点から考えてみることにしたい。
第1は、制度的な問題点である。
憲法94条は、地方公共団体(自治体)は法律の範囲内で条例を制定することができると規定している。日本の法律には外国人が住民投票で投票をすることを禁止したり制限したりする規定はないから、条例で外国人の投票資格を認めることは違法ではなく、何ら制度的な問題はない。
反対派は、外国人に投票資格を認めると選挙権を認めることにつながると考えているようだ。しかし、選挙権は国政選挙と地方選挙のいずれについても公職選挙法で規定されており、国会が決める問題である。武蔵野市の住民投票条例が外国人に投票資格を認めたからといって、国会が公選法を改正して外国人にも選挙権を認めることはあり得ないだろう。仮にあり得るとすれば、住民投票の投票資格を認めることの問題点ではなく、選挙権を認めることの問題点を議論すべきである。
第2は、住民投票条例で外国人に投票資格を認めることの是非である。
上記の陳情書によると、反対派は、①[市長と議員が]日本国籍を有する住民に選ばれることが二元代表制のよりどころであり、②[外国人などの]有権者と異なる投票者の意思を[市政に]反映させると議会の機能低下につながりかねないと主張している([ ]は筆者が補った部分である)。
これは不可解な主張である。二元代表制は、住民が
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