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北京五輪の「外交的ボイコット」を不必要とするために~日本政府はどう対応すべきか

オリンピックの政治利用は避けるため、五輪憲章と歴史に学ぼう

登 誠一郎 社団法人 安保政策研究会理事、元内閣外政審議室長

国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長=IOC提供
 今月の7日に米国政府が、ホワイトハウス報道官の会見において、「来年2月の北京五輪に政府関係者は派遣しない」と表明して以来、いわゆる「外交的ボイコット」なる言葉が独り歩きして、米中関係に大きな波紋を生じ、日本を含む世界各国もこれに巻き込まれて対応に追われている。11日には、国際オリンピック委員会(IOC)は、国際競技連盟の代表などを集めた「五輪サミット」をオンラインで開催し、「五輪とスポーツの政治化には断固として反対」との共同宣言をまとめた。

 オリンピック精神に照らせば、これは至極当然のことであるが、特に2008年の北京オリンピックを契機として、開催国が各国の政府要人を開会式出席などに招待する慣習が生まれ、さらにIOCがこれを黙認する姿勢を示してきたことが、「オリンピックの政治利用」につながったことが事実であり、IOC自身の責任も見逃してはならない。

 以下に、「外交的ボイコット」という表現が意味すること、その妥当性並びに日本政府はこれにいかに対応すべきかについて述べる。なお、朝日新聞他多くのメディアは、「外交ボイコット」と表現しているが、原文のdiplomatic boycottの意味するところがより正確に伝わるよう、本稿においては、「外交的ボイコット」と表記する。

北京冬季五輪に対する米国の「外交的ボイコット」について、取材対応を終え官邸を出る岸田文雄首相=2021年12月7日

「外交的ボイコット」という表現の発端―5月のペロシ氏発言

 現在米国の他、数か国が、北京で開催される冬季五輪に政府関係者の派遣を見合わせる決定を行ない、多くのメディアがこれを「外交的ボイコット」を称して、世界中に賛否両論を巻き起こしている。

米連邦議会のナンシー・ペロシ下院議長=2020年1月9日、ワシントン
 筆者は、40年余りを外交の現場で過ごし、現役引退後も日本外交や国際情勢には多大な関心を持って見守ってきたが、「外交的ボイコット」という表現は耳慣れないものであり、これを初めて聞いたのは、今年の5月18日の米国議会の人権問題に関する公聴会において、民主党のナンシー・ペロシ下院議長が、『各国の首脳は、北京で開催されるオリンピックに出席すべきではない、即ち私は「外交的ボイコット」を提案する。』と述べたときである。

東西対立激化させたモスクワとロスのボイコット

 オリンピックの関連でボイコットと言えば、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して米国の他、日本、中国、韓国、イスラム諸国など約60か国が1980年のモスクワ五輪に不参加を決めたことと、その報復として次の1984年のロス五輪に、ソ連及び東側諸国の一部、キューバなど15か国が不参加としたことが想起される。この二つのボイコットは、東西両陣営の対立を一層激化させ、その後の国際情勢に少なからぬ影響を及ぼした。

 それに比べると、今回米国が先鞭を切って表明し、これまでに英国、カナダ、豪州などの諸国が同調した北京五輪への政府関係者(一部の国は、政府要人と表現)を派遣しないとの決定は、米国と中国の関係を短期的には悪化させたとしても、両国の対立を決定的に悪化させるような性格の問題ではない。

 しかし、この米国の措置は実際の意味を持つものであろうか。また中国の反発は米国の想定内に収まるものであろうか。

【左】日本オリンピック委員会はモスクワ五輪の参加申し込み締め切り日に臨時総会を開催。「現状では参加不可能。不参加もやむを得ない」との委員長見解を出し、挙手による採決(賛成29、反対13)で不参加を決めた。ソ連のアフガニスタン侵攻に対する制裁措置として米国がボイコットを提唱、日本政府も不参加方針を打ち出していた。写真はJOCが挙手で不参加を決めた瞬間【右】不参加決定を知らず練習から帰り、中村清コーチ宅の玄関で詰めかけた記者の靴に驚くマラソンの瀬古利彦選手=1980年5月24日

米政府は抑制的対応、「外交的ボイコット」とは使わず

 確かに、現在、新疆ウイグル自治区で見られる人権侵害は国際的に非難されるべきものであり、国際社会が一致して中国に対して政策の変更を要求すべきものであるが、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻のような国際政治の根幹を揺るがす深刻な事態とは異なるので、各国とも冷静な対応が求められる。

 その観点から、米国が、選手団の派遣中止という決定的な手段ではなく、政府関係者の派遣中止という穏やかな措置を発表したことは、冷静な判断に基づく抑制的な対応と評価できる。因みに、バイデン大統領もホワイトハウスの報道官も「外交的ボイコット」という表現は一度も使用していない。

バイデン米大統領=2021年11月23日、ホワイトハウス

各国メディアが使用し中国が反発

 それにも拘わらず、この発表を報じた米国および世界のメディアは、前述のペロシ発言に影響を受けたのか、一斉に米国政府による外交的ボイコットと発信した。これが中国を必要以上に刺激して、「断固たる対抗措置をとる」などの反発を招いている。また中国外務省の報道官は、「米国要人の不在は五輪の成否に関係ない、彼らは招待すらされていない。」とうそぶいている。

 確かに今回の米国の発表は、中国政府が主要国首脳に対して、開会式などへの出席のための訪中を招待するのに先駆けて行われた。即ち、米国は先手を打ったのである。米国の意図は勿論、ウイグルや香港の人権問題に対する抗議のメッセージを中国側に伝えたかったのであるが、そうであれば、ホワイトハウス報道官の公式記者会見ではなく、文書によるプレス・リリースやメディアへのリークなど、ローキーで行うことにより、必要以上の注目を集めない方法が取れなかったものかと考える。

北京冬季五輪の聖火歓迎式典。ランタンに入れた聖火が到着した=2021年10月20日、北京

五輪憲章の求める政治的中立性―IOCも主催国も

 五輪憲章の冒頭に掲げられている「オリンピズムの根本原則」の一つは、「オリンピック・ムーブメントにおけるスポーツ団体は、……政治的に中立でなければならない」と明記されている。

 これは直接的には、スポーツ団体の行動規範として規定されているが、その背景を解釈すると、IOCそのものも、また主催国政府も、スポーツは政治的に中立でなければならないということを示している。オリンピックの目的は、あくまでも主役であるアスリートによる競技と交流を通じた平和な社会の推進であり、ここに政府首脳や政府関係者が直接に関与する余地はない。

日本オリンピックミュージアム前に立つ五輪マークと近代五輪の創始者クーベルタン男爵の銅像=東京都新宿区

歴史的に各国首脳出席は少数、08年北京で政治色濃い舞台に

 100年以上にわたる近代オリンピックの歴史の中で、21世紀の初頭までは、オリンピックに直接携わっている王族などを除き、各国の首脳や要人がオリンピックの開会式などに出席することは少なかった。その間に開催された東京(1964年)、札幌(1972年)、長野(1998年)の各五輪開会式に来日した各国要人は、IOC委員などの関連役員を兼ねる人を除いてはほとんど見当たらなかった。

 それが2008年の北京大会においては、中国政府は国威発揚を目的として、ほとんどの主要国首脳に招待状を発出し、ジョージ・ブッシュ米大統領、ウラディミル・プーチンロシア大統領、ニコラ・サルコジ仏大統領、李明博韓国大統領、福田康夫首相など約80名の首脳が出席した。このような状況になると、誰が来て誰が来ないのかとか、賓客のうち誰が主催国首脳と会談するのかとか、その会談のために政治案件の譲歩を求めるのか否かなど、オリンピックが極めて政治色の濃い舞台となる。

 これからも明らかなように、現在生じている「外交的ボイコット」問題の種をまいたのは、中国自身であることを銘記すべきである。

2008年の北京五輪では、開会式にあわせて世界各国から80人以上の首脳や王室関係者が北京に集い、五輪史上例を見ない首脳外交の舞台となった。写真は人民大会堂での歓迎レセプション。右から、ロシアのプーチン首相、ブッシュ米大統領、胡錦濤国家主席、ジャック・ロゲIOC会長=2008年8月8日
 これは正に五輪憲章に謡われている政治的中立性と大きく乖離する現象となる。今回の場合にも、もし主要国の首脳が北京五輪の開会式出席のために訪中すると、習近平主席との個別会談において、人権問題を話しても話さなくても、いずれの場合も政治的に大きな意味合いを持つことになる。

IOCはスイス政府から認められた国際的な非政府・非営利団体だ。第1次世界大戦中の1915年、戦禍のパリから逃れるため中立国スイスに本部を移し、今に至る。写真は2019年に完成した新本部=スイス・ローザンヌ

外国首脳の出席は誰のためにもならぬ―IOCは明確な勧告を

 以上を総合的に考えると、外国首脳によるオリンピック時の来訪は、オリンピック精神に反する恐れが強いのみならず、労多くして益の少ない、換言すれば誰のためにもならない行動と言うべきであろう。

 そうであれば、IOCは冒頭に述べた「五輪とスポーツの政治化には断固として反対」というような抽象的な発表ではなく、より明確に、「五輪と直接に関係のない外国首脳等による五輪開催時の訪問は、原則として控えてほしい」との趣旨の勧告を行うべきと考える。

政治家や政府高官も訪問は控え、五輪関係団体からの派遣を

 首脳の相互訪問による良好な二国間関係の構築は、そもそも外交の要諦であるが、それは五輪とは関係ない時期に十分行えるものである。また首脳でなくとも、閣僚や内外に影響力のある政治家や政府高官も、政治利用のおそれが排除されないので、同様に五輪開催時の訪問は差し控えるべきと考える。

 それ以下の「政府関係者」、即ち行政府の幹部、国内オリンピック委員会(NOC)の責任者などについては、派遣国の判断に基づいて決めればよいと考える。

G7外相会合に出席した林芳正外相(右から3番目)。北京五輪の「外交的ボイコット」については、「日本は適切な時期に諸般の事情を総合的に勘案して判断をする」と説明したことを報道陣に明らかにした=2021年12月11日、英国リバプール(外務省提供)

「外交的ボイコット」は不必要とすることができる

 「外交的ボイコット」とは、極めてジャーナリスティックな表現で定義もない言葉であるが、上記のようにIOCの勧告を得て、「外国首脳等による五輪開催時の来訪」がなくなれば、「外交的ボイコット」は不必要となり、その言葉も存在しなくなる。

主催国は痛み感じず、国民感情を悪化させるだけ

 このボイコットのそもそもの発想が、相手国の理不尽な政策を修正させる目的で圧力をかけることであるが、選手団の派遣中止以外では、主催国を本当に困惑させる手段にはならない。主催国がほとんど痛痒を感じない手段は圧力として機能しない。それにもかかわらず、二国間の国民感情だけを悪化させるので、外交手段としても稚拙と言わざるを得ない。

 主催国に本当に圧力をかけるのであれば、客観的に考えて今回の場合には選手団派遣中止は過剰反応と考えられる以上、代替的手段として、貿易や投資の制限など主催国に与える影響が大きいものを検討すべきと考えるが、その妥当性を含め、これは別の次元の問題である。

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