2021年12月24日
2021年12月7日、米国のジョー・バイデン大統領とロシアのウラジーミル・プーチン大統領はオンライン形式で約2時間会談した。バイデンは国境付近でのロシア軍の兵力増強で緊迫が高まっているウクライナ情勢について強い懸念を伝えたが、緊張緩和に向けた実質的な合意は得られないまま、両国は引き続き代表団同士の協議を続けていくことで一致したという(たとえば、朝日新聞の「米ロ首脳がウクライナ情勢を協議 緊張緩和へ実質的な合意得られず」を参照)。
ただ、会談後の共同声明も記者会見もないままに、この会談に関するさまざまな臆測が伝えられている。そうした報道を読みながら強く感じるのは、的を射た分析が少ないことだ。その背後には、米国側から流されているディスインフォメーション(意図的で不正確な情報)に惑わされて、一知半解なまま報道する多くのマスメディアや「専門家」と称する人々がいるためだ(ディスインフォメーションについては、このサイトで公表した「情報操作 ディスインフォメーションの脅威」、「安倍・トランプ政権が教えるディスインフォメーション対策の重要性」などを参照)。
ここでは、ディスインフォメーションについて研究し、ウクライナについて、『ウクライナ・ゲート』や『ウクライナ2.0』といった本を書いてきた者として、この会談についてわかりやすく解説をしてみたい。
「ロシア、ウクライナに対して17万5000人の部隊がかかわる大規模な軍事攻撃を計画、米情報機関が警告」なる記事が2021年12月3日付の「ワシントン・ポスト電子版」に掲載された。書き出しはつぎのようになっている。
「米政府関係者およびワシントン・ポストが入手した情報文書によると、ウクライナへのロシアの潜在的な侵攻の可能性をめぐってワシントンとモスクワとの間の緊張が高まるなか、米国の情報機関は、クレムリンが早ければ来年初頭に最大17万5000人の部隊がかかわる多方面攻撃を計画していることを明らかにした。」
この記述に、多くの読者は警戒感をもたなければならない。情報源が明かされておらず、信用できないからだ。「ワシントン・ポスト」というマスメディアのもつ権威だけにすがって、もっともらしく書いているだけなのではないかという強い疑念がわく。
信憑性(しんぴょうせい)を高めるために、記事では、「ロシアの計画では、早ければ2020年初頭にウクライナに対して軍事攻撃を行うことになっており、その規模は今年の春にロシアがウクライナ国境付近で行った抜き打ち演習の2倍にもなる」と、高度の慎重を要する情報を説明するために匿名を条件に政権当局者がのべたと説明されている。さらに、「この計画には、装甲、大砲、装備品をともなった、17万5000人と推定される100個の大隊戦術グループ(大隊、中隊、旅団を、その組織・人員構成に規定されていないユニットで補強することにより、戦闘〈訓練〉任務遂行期間中に一時的につくられる戦術的編成)の広範囲な移動がかかわっている」という当局者の引用がつづく。
根拠薄弱との批判があったからなのか、「ワシントン・ポスト」は12月8日になって、「ウクライナ付近のロシア軍の動き。衛星画像が示すもの」という記事を掲載した。3月から4月、6月から8月、9月から10月に、ロシアの部隊が具体的にどのように移動したかが明らかにされている。ただし、これらの説明は現在、ウクライナ国境近くにいるとされる約7万の部隊について語っているにすぎない。
賢明なる読者であれば、いきなりウクライナを攻撃する計画があると言われても、眉に唾(つば)をつけるだけだろう。たしかにいまでも、ウクライナ東部のドンバス地域において、ウクライナからの分離独立をねらう勢力がロシアの支援を受けてウクライナ政府と戦闘状態にある。だからといって、いきなりロシアがウクライナ全土に攻め込むことはないだろう。あるとすれば、ドンバス地域での戦闘激化から、ロシアのパスポートをもつ者の多い同地域の安全確保を理由にロシア軍が「侵攻」することくらいではないか。
その兵力についても疑わしい。「ウクライナへのロシアの想定される攻撃規模が拡大 しかし、国境に駐留するロシア軍の数の推定は非常に疑わしいものだ」というロシア側の記事をみてみよう。
そこには、「ウクライナとの戦争準備に関する数々の報道を見る限り、7万5000人(ウクライナ国防省の二つのバージョンによれば、9万4000人とも11万人以上とも言われている)が最近になって国境に出現したと思われる」とある。実際に、2015年以降、陸軍や空挺(くうてい)部隊などの新しい編成をウクライナ国境付近に恒久的に駐留させるプログラムが一貫して行われているのだという。「その数やおおよその人員数までもが周知の事実であり、秘密ではない」ことに注意しなければならない。「3個師団(空挺部隊を含めると4個師団)といくつかの旅団は、少なくとも40個の大隊を有しており、これらの大隊を独立して活動できる強化大隊(BTG)にすることができる。秋の軍事警戒期間中に、約10個の新しい大隊が国境に追加されることになっていた」と説明されている。
それでも、17万5000人には足りない。ゆえに、「100個の大隊戦術グループ」という、根拠があるとは言えない数字が出てきたのだと、ロシア側はみている。足りない10万人の根拠として、「ワシントン・ポスト」では予備役が想定されている。政権当局者は、「現在配備されている約7万人に加えて、さらに10万人の兵力が追加される見込みである」と説明しており、この10万人に予備軍がかかわっているというのだ。
これに対して、ロシア側の説明では、ロシア政府は永久的に訓練された有償の予備役を創設するプログラムを2021年夏に開始したという。ただし、ドンバス地域に近い南部軍管区では、このような人材を3万8000人募集することが発表されたにすぎない(他の地区については情報なし)。こんな状況で、実際に戦争をはじめることができるのだろうか。ヴァレリー・ゲラシモフロシア軍参謀総長は、「ロシアがウクライナへの侵攻を準備しているというメディアで流布している情報は嘘(うそ)だ」ときっぱりと否定している。
どうやら少なくとも、「クレムリンが早ければ来年初頭に最大17万5000人の部隊がかかわる多方面攻撃を計画している」という部分は眉唾ではないかと強く疑われる。たしかに2021年春にウクライナ国境近くで軍事演習を実施後になっても、一部の兵士残留しているようだが、だからといって、それがウクライナ攻撃に直結するとみなすのはあまりにも短絡的な見方だと言わざるをえない。すでに、4月15日に公表した拙稿「ロシアとウクライナの国境、一発触発の緊張状態」に示したように、NATOはNATOでウクライナ領内で繰り返し合同演習を行っており、5月にはロシアやウクライナの国境近くで3万人規模の演習が実施された。どっちもどっちなのである。
プーチン自身は、12月8日、ギリシャのキリアコス・ミツォタキス首相との会談後の記者会見で、自らの口でつぎのように発言した。
「これまでの数十年間、私たちは常に懸念を口にし、そうしないよう求めてきたが、それにもかかわらず、NATO(北大西洋条約機構)は...私たちの国境に近づいてきた。そして今、我々はポーランドとルーマニアに設置済みのミサイル防衛システムをながめている(核弾頭を搭載したミサイルが10分以内にモスクワに到達できる怖さを想像してほしい:引用者注)...そして、同じことがウクライナ領内でも起こると考える根拠が我々にはある(クリミア併合以降、米国は25億ドル以上の安全保障支援を約束しており、そのなかには航空監視レーダー、対砲兵レーダー、ドローン、安全な通信、武装した巡視船、そして歩兵携行式多目的ミサイルであるジャベリン対戦車システムが含まれている。ウクライナには150人以上の米軍顧問がおり、他のNATO諸国の約12カ国も、現在ウクライナに軍事顧問を置いている:同上)。まあ、こう考えないわけにはいかない。起こっていることを黙って見ているのは、私たちの側の単なる犯罪的不作為だ。」
ゆえに、ウクライナ国境に軍を増強していると言いたいらしい。その意味で、プーチンはウクライナ国境近くへの部隊増強を認めている。だが、それはウクライナ攻撃を意味しているわけでは決してない。
にもかかわらず、だれが首脳会談の直前になって、なぜ「ワシントン・ポスト」にこんなディスインフォメーションを流したのだろうか。その答えは、ヴィクトリア・ヌーランド国務省次官が今回の会談を契機に、米国の政治・軍事的覇権の立て直しに利用したからではないか、こう筆者は考えている。2014年春のウクライナ危機に際して、国務省次官補だったヌーランドは、ウクライナのナショナリストを扇動し、米国側が親ロシア派とみなす、当時のウクライナのヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領を武力で追い落とすことに成功した米国側の司令塔だった(詳しくは上記の2冊の拙著を参照)。だが、そのナショナリストのロシア系住民への暴力がウクライナの政情不安を悪化させ、彼らが多く住むクリミア半島のロシアによる併合やドンバス地域での紛争を引き起こすという大失敗をもたらしたのも彼女だと言える。そんな人物が国務省次官に就任した以上、宿敵プーチンを懲らしめるためには何でもするという厳しい姿勢であってもおかしくない。
現に、ヌーランドは12月7日の上院外交委員会で、「今回の多くはプーチンの2014年の台本に載っていたものだが、今回、それはもっと大規模で、もっと致命的な規模である」とのべたうえで、「だからこそ、正確な意図や時期がはっきりしないにもかかわらず、プーチンに軌道修正を迫りながらも、同盟国やパートナーとともにあらゆる事態に備えなければならない」と発言している。まさに、ウクライナ攻撃の可能性を喧伝(けんでん)していたと言える。
筆者と同じ意見をもつ、「ウクライナをめぐる人工的な緊張感が米国に利益をもたらす 大統領サミットが紛争地域の状況を変えるわけではない」という記事が12月8日付の「ヴェードモスチ電子版」に掲載されている。なぜ彼女は首脳会談前にロシアのウクライナ攻撃情報を流したのだろうか。
記事では、①アフガニスタンからの「凱旋(がいせん)」撤退や、英国・オーストラリアとの反中同盟「AUKUS」の設立などの一方的な行動の後で、米国の同盟国のパトロン、すなわち、米国に対する信頼を高める必要があった、②何もない空間で軍事的な警戒態勢を敷くことは、おそらく試す価値のある戦略的な考慮事項でもある――という2点が指摘されている。②はわかりにくいかもしれない。米国にとっての大きな懸念は、ロシアによるウクライナ攻撃と中国による台湾攻撃とが同時に起きるケースだ。そこで、中国が積極的に行動した場合に、欧州がどの程度「ロシアの抑止力」を担うことができるかを理解するために、米国は「情報実験」によってその反応を検証しようとしたのではないかというのだ。
実際、バイデンはプーチンとの会談を終えた直後、仏独伊英の首脳と電話で会談した。これらの首脳の支持は、ロシアの指導者を抑止するために不可欠であると米国政府が考えている証拠だ。そこでは、ロシアに対して共同でどのような懲罰的措置を講じることができるかが議論されたとみられている。
12月9日には、バイデンはウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領と1時間半ほど電話会談し、「ウクライナに対する米国の支援を強調し、ここ数日、ロシア軍が国境に大挙して押し寄せているウクライナを安心させようとした」と「ワシントン・ポスト」は伝えている。ただし、本来であれば、ウクライナが当事国なのだから、会談結果の連絡がなぜ2日後になったかという点こそ重要なのである。
さらに、バイデンは9日、いわゆる「ブカレスト・ナイン」と個別に電話会談を行った。ポーランドとルーマニアのほか、ブルガリア、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、スロバキアの旧ソ連圏諸国である9カ国との連携にも配慮していたことになる。カレン・ドンフリード国務次官補(欧州・ユーラシア担当)は13~15日にウクライナ、ロシアを訪問、両国の高官と個別に協議した。15~16日にはNATO本部があるベルギーにも行き、ウクライナ情勢の対応を擦り合わせた。
ヌーランドによると思われるディスインフォメーションの結果、西側の報道は首脳会談の実態を必ずしも正確に伝えているようには思えない。そこで、ロシア政府の新聞、「ロシア新聞」の12月8日付の報道にもとづいて、今回の会談内容を冷静にながめてみよう。
会談で、主にウクライナの内政問題が取り上げられたことは間違いない。プーチンは、ミンスク合意やノルマンディー合意(両合意ともにドンバス和平に関連)を解体・破壊するウクライナ政府の破壊的な政策を、実例を挙げて詳細に示し、ドンバスに対する挑発行為に深刻な懸念を示したという。ウクライナ政府はロシア・ウクライナ・欧州安保協力機構(OSCE)からなるコンタクトグループでの交渉プロセスを引き延ばし、ドンバスをそこから排除しようとしていることも問題視した。また、ロシア語への攻撃を強化する法律案にも言及し、ウクライナの軍事化や、西側諸国、とくに米国の支援を受けて攻撃的なナショナリスト感情が高まっていることを指摘した、という。
プーチンは、モスクワがウクライナとロシアの国境付近でのNATOの軍事力増強を懸念していることを明確に述べ、2021年6~7月に行われた黒海での演習についても話した。さらに、NATOを東に拡大しないこと、ロシアの近隣諸国に攻撃型打撃兵器システムを配備しないことなど、「レッドライン」と法的な安全保障の問題を提起した、と伝えている。
これに対して、バイデンは、ウクライナの国境付近でのロシア軍の動きが「脅威的」であると強調し、経済的、財政的、政治的な制裁について明らかにしたという。米国は、ウクライナ周辺の状況がエスカレートした場合、それらを実行に移すと言明した。これに対して、プーチンはウクライナの領土を開発し、国境近くで軍事力を増強しようとする危険な試みを行っているのはNATOであるため、責任をロシアに転嫁しないよう求めた。両首脳は、デリケートな問題について迅速に協議するよう代表者に指示し、対話を開始することで合意した。具体的には、ロシアは数日中に安全保障問題に関する提案を準備し、それをワシントンに伝えるとされた。さらに、バイデンの提案に基づいて、この問題を専門的に取り扱うことができる関連組織を設立することで合意したという。
本当は、ほかにも両大統領は、サイバー犯罪対策に関する協力を継続する意向を表明するとともに、二国間の協力関係は全般的にまだ不十分であることを指摘した(ほかにもあるが、ここでは紙幅の関係で割愛する)。
ここで、思い起こすべきことは、2008年8月におきた当時のグルジア(現ジョージア)のミハイル・サーカシヴィリ大統領がはじめた「5日間戦争」と呼ばれる南オセチアの領有権をめぐるロシアとグルジアとの戦闘だ。サーカシヴィリは7日夜、南オセチアの都ツヒンヴァリ侵攻を命じた。それに対して、当時のドミトリー・メドヴェージェフ大統領は北京オリンピックで北京にいたプーチンに相談することなく8日、「作戦開始」を命じたとされる。
なぜこの戦争が重要かというと、
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