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緑の党の台頭にみるドイツの政治文化

ベトナム戦争時に学生時代を送った「1968年世代」が残したもの

高野 弦 朝日新聞社前ベルリン支局長

若年層が飛躍のエンジン

 公共放送ZDFの調査は、若年層が飛躍のエンジンとなったことをはっきりと示している。18歳から29歳までの有権者が最も多く投票したのが緑の党で、22%が投票。年齢が上がるにつれて、支持は下がり、60歳以上ではわずかに9%だった。反対に、同盟やSPDといった伝統的な国民政党は、若い世代ほど得票率が低かった。

表拡大出典:ZDFheute / Forschungsgruppe Wahlen

 ドイツでは18年の秋ごろ、毎週金曜日に学生たちが授業をボイコットして、地球温暖化対策を求めてデモ行進する運動が始まった。スウェーデンの少女グレタ・トゥンベリさんが始めたFridays For Future(未来のための金曜日)の運動に触発されてのことだ。多いときにはドイツ国内だけで数十万人もの若者たちが参加する。朝日新聞のベルリン支局に駐在中、何度か彼らの姿を目にしたが、職場のあるビルのすぐ横を通過したときには、長い間シュプレッヒコールがやまず、仕事が手につかなかった。

集会拡大ベルリンであった「Fridays For Future」の集会の様子=2019年2月、筆者撮影
ブラーゼ拡大「Fridays For Future」の集会で演説するブラーゼルさん

 「僕たちが学校を休んだこと、それを目に見える形で残すこと、僕はそれを誇りに思っている」。取材したベルリンの集会で、学生のヤコーブ・ブラーゼルさん(18)がそう訴えていた。演説後、「学校側から懸念の声が出ているが」とたずねると、こんな答えが返ってきた。

 「早急にこの問題に対応する必要があることを分かってもらうには、ストライキ以外の方法がない。いま行動しなかったら、20年、30年後に私たちは危機のど真ん中に立たされてしまいます」

 ブラーゼルさんは今回の選挙に緑の党から立候補。惜しくも敗れたが、デモには今日も相変わらず参加し続けている。緑の党を押し上げたのは、彼らのような若者だった。

日本の若者との違い

 私は帰国後の19年に東京であったデモにも立ちあった。スタートは学校の授業が終わった夕方からで、参加人数は2000人ほど。外国人の姿が目立ったのを覚えている。後日、環境関連のサークルで活動している大学生に、「なぜデモに参加しないのか」と聞いてみた。答えはこうだった。

 「環境問題に関心はあるが、参加したところで何も変わらない。就職活動に影響すると考える仲間も少なくない」

 日本の総選挙では、若者層が最も多く投票した先は自民党だった。共同通信の出口調査によると、20代が最も多く投票した先は自民党の36.7%。10代でも最も多い36.3%が同党に投票している。11月7日付の日本経済新聞は、若い世代の支持を受けた理由について、「経済成長や社会保障改革が進まなければ、若者の負担や雇用の不安が増すことを懸念した」と分析している。所得分配や環境、多様性などの社会政策よりも、経済成長を重視した結果、自民党を選んだとの見方だ。

 ただ、ドイツもまた若者層を取り巻く状況は似ている。少子高齢化が進み、年金の受給開始年齢の引き上げが常に話題となっている。その一方で、2000年代初頭の労働市場改革により、非正規労働者が大幅に増えた。失業期間が1~2年を超えれば、失業保険の支給が打ち切られ、生活保護を受ける身となる。終身雇用制などもちろんない。財政が比較的健全な状況にあるとはいえ、付加価値税はすでに19%にまであがった。若者が抱える不安は大きい。

 にもかかわらず、なぜ多くのドイツの若者は革新系の緑の党を選び、日本の若者は現状維持を選択したのか。

 私は、ベトナム戦争時に学生時代を送った「1968年世代」が、その後の世代の生き方に決定的な役割を果たしたと思っている。

「民主化のお手本」米国への失望感

 1960年代後半は、世界で学生運動が吹き荒れた。戦後のドイツの民主化は、戦勝国の米国が手本だった。その米国がベトナムで非道な行為に及んでいることに対する失望と反発がドイツの若者たちに広がった。その反発は、既存の体制や価値観に対する反感へとむすびつき、ナチスドイツの過去を清算しようとしないドイツ政府や親世代に向かった。学生たちはゼネストを先導し、大学では教授たちがつるし上げられた。

 学生中心の運動は結局、かれらが阻止しようとしていた非常事態法(災害や内乱、戦争などの非常時に基本的人権を部分的に制限する法)が68年に成立したことを境に下火となり、赤軍派によるテロが相次いだことで終焉(しゅうえん)を迎えることになる。

 だが、学生たちは、社会に出てからも「世界をよりよき方向に変える」という心情を持ち続け、80年に緑の党を発足させた。98年に初めて連邦議会の与党となり、原発の全廃方針を決める。現在、気候変動への対策を訴える若者のうち、親や祖父母が80年代に同党で反核運動に携わっていたという人は少なくない。

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筆者

高野 弦

高野 弦(たかの・ゆづる) 朝日新聞社前ベルリン支局長

 1966年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。宇都宮、浦和支局、東京本社経済部、アジア総局(バンコク)、ニューデリー支局などを経て、2016年から2019年までベルリン支局長。この間、経済部次長、国際報道部次長・部長代理を務める。著書に「愛国とナチの間~メルケルのドイツはなぜ躓いたのか」(朝日新聞出版)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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