同じ人間なのに肌の色の違いで時代錯誤なことが平気で起きている理不尽をやめたい
2021年12月26日
海岸線をなぞる道を車で北上し、たどりついた市場は、ほんのりと海の香りがただよっていた。沖縄県・本部町の町営市場は、コロナ禍が落ち着いているとはいえ、土日でも人足はまだ少ない。
甘味や雑貨を売る小さな店と店の間の細道を抜け、私は「Ai&Dai desings」を訪ねた。草木染の服やアクセサリーが並ぶ店内にはカフェが併設され、カラフルな内装を見ながらコーヒーや手作りのケーキが楽しめる。
店の扉のグラフィティには「Black Lives Matter」の文字が綴られ、店頭には黒人差別の歴史やそれに抗う運動などを伝える冊子「BLM PICNIC」が並ぶ。夫と共にこの店を営む親富祖愛(おやふそ・あい)さんが、2020年12月に製作したものだ。小学生でも手に取ることができるよう、平易な言葉で綴られ、漢字に振り仮名もふってある。
親富祖さんはうちなんちゅ(沖縄人)の母、米海軍の兵士だった黒人の父の間に生まれ、親富祖さんが4歳の時、父は軍を除隊し帰国した。
「小学校高学年の時、社会科の授業で奴隷のページが出てくるのが、恐怖だったんですよね。そういう目で周りに見られるんじゃないかって。一方で、その歴史を伝えるページはたった2ページしかなくて、あの続きを作らなければってずっと思っていたんです」
もともと、基地問題を伝える解説雑誌として「PICNIC」は2号、刊行されていた。
「仲井眞弘多知事(当時)が基地建設のための辺野古埋立承認を表明したとき、県庁前の抗議活動に行ったんです。そこで『怒』と書かれたプラカードを持たされて、なんだか違和感があったんですよね。自分たちの表現方法ではないよね、とものづくりの仲間たちとも話していたんです」
※「BLM PICNIC」の情報は「こちら」
軽快なBGMが鳴り響く店内で、抗議活動への参加や、この「PICNIC」という言葉にたどり着くまでの思いを、親富祖さんは語ってくれた。
「異父兄が3人いるんですが、母が大変な思いをしながらシングルマザーとして子どもを育てていた時に、私の父と出会っているんですよね。うちの家族からしたら、父はヒーローのように助けてくれた人で、特に兄たちはとても信頼しているようです。戦争はもともとすごく嫌いなのに、沖縄にいて戦争を否定することは、アメリカ軍を否定することで、アメリカ軍を否定することは、お父さんが昔やっていた仕事や、もっといえば自分自身を否定するような気がして、小学校や中学校のときは戦争反対でも“言えない”という感覚がありました」
それでも2012年9月、オスプレイが強行配備されるとなった時、宜野湾市の米軍普天間飛行場大山ゲート前に仲間たちと集った。
「自分の気持ちが溢れちゃったんですよね。私はうちなんちゅなんだけれど、うちなんちゅの中にいると“アメリカ人”なんですよね。基地に関係する事件があると、私は“アメリカ人”の立場に回される。それが限界に来ていたんだと思います。自分がうちなんちゅだって主張もしたかったんだと思うし、うちなんちゅとして反対したかったんだと思います」
父の存在との葛藤もあったが、「個人は否定しない」、と今は言えるという。「色んな人との出会いの中で、アメリカ軍のシステム自体を否定するんだ、と落とし込めるようになりました。それと自分の生い立ちとは全く関係がない話で、沖縄の人たちを搾取するようなシステムは必要ないでしょ、と」
ゲート前に集うことは、一方で不安を伴うことでもある。
「初めてだと慣れてないし、警察に捕まるかもしれないって思うと怖いですよね。だから柔らかい感じでポップなプラカードを掲げて、スタンディングをしました。もし何か言われたら、“ピクニックしてる”って言おうって。それまでのスタンディングって皆、漢字で、うちなんちゅや日本人へのメッセージを掲げてたと思うんですけど、私たちは英語で中にいる軍人さんにアピールしたメッセージを掲げました。そうすると米軍の兵隊も手を振り返したりして、今までのスタンディングと空気感が違ったんですよね」
「社会の問題って、自分のいる場所にあるもののはずなのに、“社会課題”“政治”って別世界のように扱われてしまうことがありますよね。そうじゃなくて、ピクニックをするような気持で来ていいんだよっていう呼びかけって、すごくいいなって実感したんです」
2020年5月25日、アメリカ・ミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性のジョージ・フロイドさんが警察官に膝で首を抑え付けられ、その後亡くなる事件が起きる。これを発端に、「Black Lives Matter」を掲げた抗議デモが各地に広がり、日本でも連帯した活動が行われた。ところが、そんな日本国内でのマーチなどに、「日本でBLMは変」「日本人が奴隷問題も知らないのにマーチするのはおかしい」などのコメントがネット上でつけられていくのを親富祖さんは目にする。
「違うでしょ、と思いました。基地問題でも何でも、知るところからはじめなければならないのに、知るためにも立場が必要なんですか?ってすごく嫌だったんです。まるで対岸の火事のような扱いですよね。でも、自分はここ日本にいるし、ブラックの人たちたくさんいますよ。それがなかったことにされていることに、すごくもやもやしていたんです」
当初はアメリカに行って抗議活動に参加しようとも考えた。けれども、問題はこの沖縄県内にもあるのだと思い至る。その時に浮かんだのがやはり、「ピクニック」だった。
「ピクニックって、一歩踏み出せない人が、一歩踏み出さなくても来れる。だからこれまで基地前でのスタンディングで使っていたピクニックという言葉を、BLMでも使わせてほしいって、仲間たちに相談しました」
2020年6月、親富祖さんたちは米軍嘉手納基地に続く通りを、音楽をかけながらゆっくりと行進し、スタンディングを行った。
「最初は基地反対のスタンディングかと思って警戒していた基地関係者の人たちが、気づいたらすごく喜んでくれました。白人の人たちもクラクションをならしてポジティブに反応してくれたり、若い軍人たちが“ありがとう”とお辞儀してきたり。ハグをしてくれたブラックの人もいましたね。彼ら自身はゲートの中でマーチはできないけれど、軍の中でも差別はあるし、まさかうちなんちゅがこういうアクションをするなんてって、と驚いたんだと思います」
「ピクニックって本当に、気持ちがいいんですよね。問題は否定するけれど、人間自体を否定するわけではないんです。個人否定から入っていくと、誰も話を聞かなくなってしまうし、怒りが怒りで返ってきてしまうんですよね」
愛さんが当日掲げた文言は「I will not hate you so don't hate me too」だった。
BLMが各地で広がる一方、「大切なのは黒人の命だけではない」「All Lives Matter」など、話がすり替わってしまうことも往々にしてあった。もちろん、全ての命が大事であることは大前提としてありながらも、こうした掲げ方は差別の構造自体や、投げかけられている問題の本質をぼやかしてしまうことにもつながる。そういった「伝わらなさ」に、もどかしさを覚えることもあるという。
「これまで保たれているように見えた“秩序”は、抑えられていた側が黙って耐えることで辛うじて保たれていたものなだと思います。米国での奴隷制度は仕組みとしてはなくなったかもしれないけれど、レイシャルプロファイリングで多くの命が奪われている中で、一秒も譲れない問題だと思うんです。同じ人間なのに肌の色の違いで、時代錯誤なことが平気で起きている理不尽をやめたいというシンプルなことを訴えたかったんです」
BLMが広がりを見せる一方、テレビ番組などでは、この問題を当事者の声抜きに語るものも少なくはなかった。「BLM PICNIC」には、連帯する人々の思いと同時に、ブラックの当事者や、そのパートナーの言葉も綴られている。
「小さい頃からの自分の自己肯定感の低さ、自分の肌の色が汚いと思っている感覚、そういうものを当事者抜きで語らないでほしい」
当事者にとっての差別は、日常そのものだった。親富祖さんの母が父と結婚した時、親せきたちは大反対し、祖母の髪が一気に白くなったと、母から聞かされたことがある。
「おばあちゃんたちに育てられたのに、後から聞かされるのはショックですよね。家族って愛し合うものではないの、いちいち条件つけてくるのって」
母は親富祖さんに、肌がより黒く見えないようにと、黒や赤の服は着せなかった。
「そういう服の選びをして、同化させようと頑張っていたなって、今となると思います。家庭の中で板挟みになって叩かれていたお母さんが一番苦しかったんじゃないかって思います」
「BLM PICNIC」には、「マイクロアグレッション」について伝えるページもある。「マイクロアグレッション」は、例え明確な「ヘイト」ではなかったとしても、社会の中に当たり前のように埋め込まれてしまった“攻撃”のことを指す言葉だ。
「私にとっては、このマイクロアグレッションが生活の基本みたいな状態ですよね。トイレの場所を教えたら、“日本人なの?”って聞かれたり、“コロナが恐いから美容室も行かない”というおばあちゃんが、平気で髪を触ってきたり。悪気ないわけないって思ってしまうんですよね。人間て常にマウントをとりたがるし、優越感にひたりたがる。ああいう行動をとってくるとき、自分が上っていう感覚がないはずないと思うんですよね。だからやめないといけないと思うし、はっきり言っていかなければって思っています」
学校の中で起きるマイクロアグレッションや差別が一番苦しいのでは、と親富祖さんは語る。逃げ道がない中で、皆の前で変えられないものを否定されることになるからだ。親富祖さんは今、4人の子どもたちを育てているが、そんな自身の子どもたちも例外ではない。
「長男も“アメリカ人”とクラスメイトたちから言われてしまうし、長女は習字の時間に、同級生が肌を黒く塗って“自分たちは黒人だ”って言うのを目の当たりにしたそうです。それを聞いたときは頭が真っ白になってしまったくらい、くそっと思ってしまったんです」
子どもたちが通う学校では、「互いの違いを気にしない」といった趣旨の目標を掲げつつ、「日本人らしいお辞儀」を教えている場面も見受けられるという。
「地域には、両親が外国人で、日本語を話せない子もいたりします。どっちかを決められない子だっているのに、社会はどっちかにしろって言ってくるわけですよね。先生たち自身が”多様性”というものを落とし込めていないのではないかと思います」
「BLM PICNIC」を学校の図書館に置いてほしいと提案しても、学校からの返答は「すでにセクシャルマイノリティーの問題に取り組んでいるので」という否定的なものだった。
「そもそもセクシャルマイノリティーに対する差別を本当に理解しているなら、黒人差別もしないはずなのに、それができてないってことですよね」。教育を変えていきたい、という思いは日増しに強くなる。
最初の「BLM PICNIC」刊行から一年が経ち、この冊子を製作することで、親富祖さん自身の中でも変化があったという。
「それまでは、ブラックルーツを持つ友達がいなかったんですよ。ブラックの人といると、悲しくなってしまっていたんです。自分の鏡のようで、この人にも辛いことがあったんじゃないかって思ったら見れないというか……。自分がこれを編集することで、自分はブラックだって言えるようになったように思いますし、ブラックルーツの人ともっと関わりたいって思えるようになりました」
親富祖さんは今、「BLM PICNIC」の第二号を編纂中だ。「次の号はマイクロアグレッションを中心にしようと考えています。今苦しんでいる人たちが、少しでも楽になれるような冊子にしたいし、ゆくゆくは学校のシステムとかを全国的に変えるところまで持っていきたいって思っています」
※「BLM PICNIC」の情報は「こちら」
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