同郷の池田勇人、宮沢喜一が率いた宏池会と二人が尊敬した石橋湛山の思想・政策を範に
2022年01月02日
岸田文雄氏が首相になって初めての新年が開けた。昨年暮れにかけて、メディアの世論調査では内閣支持率が軒並み上昇基調(日経新聞、支持率65%・不支持率”26%。朝日新聞、支持率49%・不支持率23%。毎日新聞、支持率54%・不支持率36%など)なこともあり、気合十分の迎春というところだろう。
支持率が上昇している理由として、二つのことが挙げられよう。一つは、首相本人の性格に好感が持たれてきたことだ。
岸田氏への一般的な印象としてしばしば耳にするのは、「明るい」「さっぱりしている」「情がありそう」「意地悪そうではない」という声である。もちろん、人として好感度が高いことが、そのまま首相としての適格性につながるというものではない。しかし、好感度が高ければ、世論がその発言に抵抗なく耳を傾けてくれるから、重要な要素には違いない。その点では、立憲民主党の新しい代表になった泉健太氏も負けてはいない。
もう一つは、岸田首相の判断や発言から、「安倍離れ」を始めたように見えるからだろう。
おそらく、これは岸田首相自身がさほど強く意識しているとは思えないが、安倍晋三・元首相から見れば、そう見えることが少なくない。年末に「アベノマスク」の年度中の廃棄を決めたことが、支持率のアップにつながっているのだろう。
さて、内閣発足から3カ月の“助走期間”が終わり、年もあらたまっていよいよ、大きな転換点にある経済や外交に、首相としてどのような指導力を発揮するか、注目される時期にさしかかった。
新型コロナウイルス感染症への対応はもちろんだが、平成の30年間にすっかり劣化した政治や経済の立て直し、1972年の国交回復から50年を迎える中国との関係構築は、岸田首相が自ら信じる思想や政治理念が背景になければ、とうてい手が着けられないことだ。岸田氏の政治家としての真価が問われていると言っていい。
当然のことながら、その思想の大筋は、岸田氏が会長を引き継いでいる派閥・宏池会と同じ方向性を持つはずだ。本稿では、宏池会について、詳しくみていく。
岸田首相はかねてから、最も尊敬する政治家として、同じ広島県人である池田勇人・元首相を挙げている。
自民党は1955(昭和30)年に、当時の自由党と民主党が「保守合同」して結成された。宏池会は自由党系だった池田勇人によって1957(昭和32)年に創立された最古の派閥である。
後漢の学者だった馬融の「高光の榭(うてな)に休息し、以て宏池に臨む」という一文から、陽明学者の安岡正篤が「宏池会」と命名したとされるが、そんな本来の意味はともかく、「宏」は広島の「広」、「池」は池の「池」を表していると、派閥の創立当初から言われてきた。
宏池会は、当時、勢いがあった岸信介系に対抗する勢力としてつくられ、これ以後、自民党総裁を7人、首相を5人も輩出する名門派閥として継承されてきた。筆者も鈴木善幸会長、宮沢喜一会長の時代に、宏池会に所属している。ちなみに、宮沢氏も広島県人である。
自民党において、旧自由党系の「保守本流」は、大筋ではこの宏池会と旧田中角栄派(後に経世会)によって形成されてきたのである。
保守本流の武闘派と言われた経世会に対し、理念型の派閥と言われてきた宏池会には、創立当初からその思想・政策にかなり明確な特徴がある。
第一に、先の大戦に至る日本の「国策の誤り」を指摘する歴史認識である。具体的には、我が国による侵略戦争や植民地支配に対する深い反省である。これは、自民党内の岸信介・福田赳夫系から安倍晋三氏にいたる「清和会」の流れが持つ歴史認識とは明らかに異なる。
第二に、言論・表現・学問・信仰などの自由を抑圧したことが、前述の「国策の誤り」を生んだ要因だとして、言論の自由などの制約には基本的に反対する点だ。この観点からすると、日本学術会議の会員任命拒否などは、強権政治に向かうものと認識され、宏池会理念、旧自由党の理念と反することになる。
「保守本流」の源流の一角とされる石橋湛山・元首相は、自由権が将来の豊かな構想を担保するという旨の発言をしている。自由を制約すればするほど、将来に向けた構想が限定的で貧弱になってしまうという趣旨だ。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください