「単一民族神話」にしがみつき〈純ジャパ〉自画像を描き変えられない私たち
武蔵野市の住民投票条例騒動と真鍋淑郎さん報道、ウィシュマさん事件が露出させたもの
石川智也 朝日新聞記者
見たくない自画像を何度も突きつけられた一年だった。
おのれが何者か自問するのは思春期の病のようなものだろうが、「自分たち」は何者か、と問い直すこと、すなわち〈日本人〉のアイデンティティ意識を内省する機会が、多々あったからかもしれない。
直近では、武蔵野市で12月21日、市長提案の住民投票条例案が本会議で否決されたことが大きなニュースとなった。
本題に入る前に、あらかじめ補足しておきたい点がある。
代表制はデモクラシーの1オプションに過ぎない
外国籍住民の投票権の問題ばかりが注目されたが、実はこの条例案の眼目は、住民投票の請求権を市長や議会には認めず市民に絞り、投票資格者(18歳以上)の4分の1以上の署名があれば議会の議決を経ず必ず投票を実施するという、主権者による権利行使機会の担保の徹底ぶりにあった。
条例に基づく住民投票が国内で初めて実施された1996年以降、原発誘致や市町村合併、庁舎建て替えなど個別イッシューのための住民投票は、地方自治法の規定により成立したアドホックな条例に基づいて行われた。
その提案には首長、議会発議、住民の直接請求の3ルートがあるが、特に直接請求の場合、圧倒的多数の署名を集めても議会に否決され条例不成立になってしまうのがネックだった。これまで687件の請求があり、8割以上の570件が否決されている。
これに抗するため、投票実施要件を定めた常設条例化を求める動きが2000年代以降に活発化。議会による請求拒否の余地をあらかじめ排除した「自動実施」型の住民投票条例がこれまでに94自治体(市町村合併などにより現在は78自治体)で成立した。武蔵野市もこの条例の制定を目指した。
※単にあらゆるイッシューに対応できるという意味での「常設型」条例もあるため、ここでは、議会の拒否権を認めないものを「自動実施型」と呼ぶ。今回の武蔵野市条例案についての報道も、この点、用語に混乱や無理解があったと思われる。
また、「自治体の憲法」などと呼ばれる自治基本条例と常設住民投票条例を同一視した反応も散見されたが、自治基本条例で規定されていない単独の常設住民投票条例も少なくない。(条例数のデータは[国民投票/住民投票]情報室による)
代表制はデモクラシーの1オプションに過ぎない。各国で議会や二元大代表制の機能不全や限界が指摘されるなか、住民投票だけではなく籤引き制なども含め、直接民主制(direct democracy)や参加型民主制(participatory democracy)の議論が活発化している。
日本では「議会軽視」「衆愚政治を呼ぶ」「間接民主制を破壊する」といった無理解とアナクロニズムがなお根強いが、諮問型の住民投票は違憲でも法令違反でもなく、現にすでに427件も実施されている。法の改廃をも可能とするイニシアティブ制度の導入には憲法41条改正が必要と思われるが、条例は言うまでもなく法令の範囲内で制定されているものだ。
レファレンダムやイシニアティブという制度が代表制(間接民主制)を否定ではなく「補完」する手法として欧米で定着し、日本でも住民投票が四半世紀の歴史を重ねたなかで、今回、「外国人投票権」の問題が独り歩きし、結果、住民自治の前進が阻まれたのは、不幸なことだった。
その意味で付言すれば、懐柔や不安解消のため「法的拘束力がない」「結果を尊重はするが従う義務はない」と殊更に強調することは、市民自治の本義を損ねるうえにごまかしの論理でもあるので、やめた方がいい。政治的には明らかに拘束されるし、法令上の規範力がなくとも法体系の一部である条例で尊重義務が課せられるという意味では、広義には「法的に」拘束されると見なすべきだろう。

武蔵野市の松下玲子市長は記者会見で「結果を重く受け止める」と語った=2021年12月21日、武蔵野市役所