西田 亮介(にしだ・りょうすけ) 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授
1983年生まれ。慶応義塾大学卒。同大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。専門は情報社会論と公共政策。著書に『ネット選挙』(東洋経済新報社)、『メディアと自民党』(角川新書)、『マーケティング化する民主主義』(イースト新書)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
不公正と説明不足だらけの2年間を超克しコロナ禍の経験を理性的に活かせるか
「コロナ禍」とはよく言ったもので、コロナによる危機は、ウィルスの感染拡大にとどまらず、人々の政治・経済的不満や不信、それらに伴う規範のゆらぎなど、少なからず人間的な側面が含まれている。拙著『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか、不安か』(朝日新聞出版)でも論じたように、社会不安や不満と政治の関係については、古くからファシズム研究やポピュリズム研究などで論じられ、多くの蓄積が認められる。
たとえば社会学においては、不安は命や身体的危機に由来する「直接的不安」と、明白な脅威に晒(さら)されていないにもかかわらず生じる「間接的不安」とに区別され、不安がアドホックな行動や選択を引き起こすことで、次の不安に連鎖することが指摘されてきた。
ただ、コロナへの政治の対応を見る限り、こうした人間的な不安に対して十分配慮された気配は乏しい。それどころか政治自らが、アドホックな行動や選択に走ったようにさえ見える。
コロナ対策の中核をなすはずの新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下、「特措法」)が求めた、そして前年に演習を行った政府行動計画は十分に踏襲されず、徐々に政治の「リーダーシップ」が重要視されるようになった。計画とリーダーシップの選択は本来どちらかというものではなく、両者のバランスが重要だ。しかし、コロナにおける「リーダーシップの重要視」は、政府行動計画に予定されておらず、多くの専門家がその効果や必要性、適切性に疑問を示す施策を、必要性や根拠等を十分に国民に説明せずに、場当たり的に実行することに他ならない。
それらは往々にして、不安や不満に基づくある種まっとうな「国民の声」に耳を傾けるポーズをみせながら、必ずしも国民の利益にならないどころか、往々にして政治的影響力や推進力を調達する「耳を傾け過ぎる政治」の表出である。
ここで気になるのは、「給付」の不均衡である。
国民全体を対象にした給付や、子育て世帯に対する給付措置をめぐっては、世論にバラマキ批判が根強く、野党からも批判が多いこともあって、「対象を選択する」「現金給付で実施するのか、クーポン券で行うのか」など、様々な批判が政界の内外で続き、規模も小さい。これに対し、事業者向けの給付は驚くほど手厚く、不正受給や詐欺すら横行するなか、批判の声はそれほどではない。
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