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コロナのリスクマネジメントはなぜうまくいかなかったのか?世界と日本で起きた事

安全保障化の「正の側面」に引きずられ、「負の側面」を見失った2年間

三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表

政府にとって本当に重要なプロセスとは

 安全保障問題になれば、政府が適切に対応できるだろうというのは、まさに素人の発想です。本当に重要なプロセスは、安全保障上の問題となってからなのです。

 政府が強い施策をとることを想定する以上、そこには責任とコストが生じる。また、最低限、戦いで負けないようにするという“使命”が生じます。そのための戦況把握や動員するリソースの準備、ありとあらゆるシナリオの検討と、国民の士気や支持などの状態の把握ができていなければ、準備もせずに期間の定めのない戦争に突入するのと同等の無責任さが生じます。「まだ動かない」ことも、戦には必要なのです。

 ウイルスは人間でも国家でもないのだから、われわれは戦うよりほかに道がないではないか、戦争とは目的から何から違うんだと考える人もいるでしょう。ですが、仮に脅威が過大に見積もられている場合、人々の主観が脅威を増幅したり、新たな被害を別のところに生み出したりします。ただ、これは裏を返せば、主観がどうやって作られたかを分析し、それに引きずられすぎないように配慮することで、総合的に被害を最小化することは可能になるということでもあります。

国際協力を低下させたコロナパンデミック

 1986年に「リスク社会」論を提起した社会学者ウルリッヒ・ベックは、今後、政府の役割の多くがリスクマネジメントになるだろうと予言しています。その指摘には先見の明があったというべきでしょう。

 ベックが著書で「リスク」を正面から取り上げたのは、チェルノブイリ原発事故の直後でした。原発事故のような災害は、イデオロギーを選ばず人々に降りかかってくる事象です。国家は共通する脅威に対して国際協力を進めるのではないか、という淡い期待も、当時の議論からは伺えます。

 ところが、宇宙人が襲来した時、国家が互いに協力するのかが定かでないように、パンデミックが襲来したときに各国がどう行動するかはシナリオ通りにはいきません。パンデミックは局所的事態ではなく、皆が被害に晒されるからです。まさに今回のコロナパンデミックでは、ワクチンの配分を中心として国際協力が低下しました。

 イスラエルは希望者に4回目の接種を行おうとしているようですが、多数の先進国が最も性能の良いワクチンの2回接種を終えたにもかかわらず、さらなるブースター接種で感染拡大を防ぐことを優先し、発展途上国の人命を救う努力をなおざりにしています。中国は国産のワクチンに拘泥し、ワクチン外交を展開することで政治利用を図りました。入国規制では、各国が同盟国同士も含めて互いに報復的ともいえるような規制をかけあっています。

 パンデミックは長年のリベラルの夢も打ち砕きました。近代の主権国家を中心とした枠組みが修正され、非国家主体が各国と連携し、コスモポリタンな集団が台頭して、そこから新たな権利が生まれるという夢は消え去り、家族であっても国境を越えて行き来ができない、今まで当たり前に働いていた外国人労働者が一斉に帰国するといった現象が生じています。

 イギリスで報じられた圧倒的な人手不足は、BREXITの影響もあるものの、大半はこうした背景に基づく外国人労働者不足です。日本でも留学生が入国を阻まれ、里帰り出産などをはじめとした理由で長期帰国中の外国人の家族が日本に帰ってこられないという問題が目立っています。

拡大Viacheslav Lopatin/shutterstock.com

安全保障化の「負の側面」を見失って

 コロナ禍に伴うこうした閉鎖的な風潮、国境管理の強化を指して、政治学者のイワン・クラステフは「うちにいようナショナリズム」という言葉を使いました。しかし、彼さえも、リベラルはこのような状況に鑑み、期間限定での私権制限に賛同すべきだとしています。例外的状況において人命を救うためなのだからと。これは陳腐に平たく言えば、私たちが私権制限に応じれば誰かの命を救うことができる、応じなければ誰かの命を侵害しているのと同じだ、という発想です。

 こうした命の選択をさせてはいけないという議論をする人は、科学や人間の進歩によるコロナ封じ込めの可能性を信じがちです。安全保障にかかわる政府や人々の「認識」を広げれば、問題が解決に近づくかのような、過剰な合理性を読み込んでしまっているのではないかと思えてなりません。

 これは、前述の安全保障化という現象の「正の側面」に引きずられすぎて、「負の側面」を見失ってしまっていることに他なりません。現に、そうした人々はコロナ以外の理由で亡くなる人や犠牲を負う人に関する算定をしません。疎外感から鬱を発症するなどして発作的に自殺で亡くなった人と、コロナで亡くなった人の失われた平均余命を天秤にかけることもしなければ、若者や子どもにとっての一年の価値と、私たち中年以上の人間にとっての一年の価値を比べることもしません。

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筆者

三浦瑠麗

三浦瑠麗(みうら・るり) 国際政治学者・山猫総合研究所代表

1980年神奈川県茅ケ崎市生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)。専門は国際政治、比較政治。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。著書に『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店)、『「トランプ時代」の新世界秩序』(潮新書)、『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書)、『21世紀の戦争と平和 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』(新潮社)など。政治外交評論のブログ「山猫日記」を主宰。公式メールマガジン、三浦瑠麗の「自分で考えるための政治の話」をプレジデント社から発行中。共同通信「報道と読者」委員会第8期、9期委員、読売新聞読書委員。近著に『日本の分断―私たちの民主主義の未来について』(文春新書)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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