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コロナのリスクマネジメントはなぜうまくいかなかったのか?世界と日本で起きた事

安全保障化の「正の側面」に引きずられ、「負の側面」を見失った2年間

三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表

「研究対象」ではなく「体験するもの」に

 現在、これまでもろもろ指摘されてきた安全保障化の理論的な弊害の分析や、リスクに対する過剰反応がもたらす害についての机上の分析は、さほど用いられなくなっています。それは、過去の指摘が間違っていたからではありません。論者の多くが今回のコロナ禍を研究対象としてではなく、大衆の一人として経験してしまったからでしょう。

 思えば、3.11を論じた人々の多くも、津波に間近で接して九死に一生を得た人ではありませんでした。シビア・アクシデントや原発のリスクを盛んに論じた人たちも、原発の立地当事者に限られませんでした。翻ってパンデミックは、東日本大震災とは違って圧倒的に多くの人が「体験するもの」だったのです。自分自身が戦争やパンデミックを体験した時、それまで持っていた理論上の批判精神を現実に向けることができるかどうかは、一つの試練であると言えるでしょう。

 日本のコロナ既感染者数は少ないとされていますが、実際には検査で炙り出された数のおよそ5倍から10倍いると言われます。その間をとれば、この2年間で人口のおよそ1割程度しか、無症状も含めて罹患していないことになります。

 しかし、この間に生まれた閉塞感や恐怖感は、ほとんどの人に甚大な影響を与えている。パンデミックは罹患せずとも体験することが可能だからです。その結果、パンデミックがもたらす恐怖に巻き込まれてしまい、一市民として合理的な選択、具体的には、「皆と同じような言動」を行ってしまうということはないでしょうか。

リスクに過敏な社会は閉鎖的で区別をつける

 各国では、ワクチンパスポートで日常の行動制限を行うだけでなく、医療アクセスも制限しようという議論さえ出てきているのが実情です。確かに、ワクチンは打つに越したことはありません。そもそも「保険をかける」という発想は、煙草をのむ人も、日々運動している人も、肥満に起因する病気に苦しむ人も、食生活に気を遣っている人も含めて広く加入させ、個人ごとのリスクに伴う保険料の違いはなるべく抑えて、負担を共有しようという概念に基づいています。

 生まれや財産の多寡など自分ではどうしようもないことなら救うけれども、個人の選択の結果ならば救わないというのであれば、煙草もリスクを伴う職業につくことも個人の選択の結果でしょう。こういうと、いや、世の中は変わったんだ。これからは喫煙者も自費診療で、健康保険は使えないようにすべきだと言われそうな懸念も覚えます。こうした「過去に規定されない未来の構築」という発想自体が、近代からの移行の文脈の中でリスクを論じてきた人々の傾向でした。ここが、私が彼らの問題提起を重視しつつも、一番折り合えないところです。

 しかし、すべての人間が強制と管理に応じるわけではない以上、「リスクに過敏な社会」はどこかに分断線を引かなければなりません。たとえば、混沌とした発展途上国と秩序だった先進国のあいだに、あるいはワクチン忌避者とワクチン推進者のあいだに……。

 このように、リスクに過敏な社会は閉鎖的であり区別をつけます。極めて逆説的ですが、ワクチンを推進する米国の中にあって接種を忌避し続ける、国際色のかけらもない田舎の労働者こそが、米国の開放性を支えているのだという言い方すらできるのかもしれません。

拡大日本のワクチン接種証明書アプリの画面(見本)。2次元コードが表示される=2021年12月13日、東京都千代田区

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筆者

三浦瑠麗

三浦瑠麗(みうら・るり) 国際政治学者・山猫総合研究所代表

1980年神奈川県茅ケ崎市生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)。専門は国際政治、比較政治。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。著書に『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店)、『「トランプ時代」の新世界秩序』(潮新書)、『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書)、『21世紀の戦争と平和 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』(新潮社)など。政治外交評論のブログ「山猫日記」を主宰。公式メールマガジン、三浦瑠麗の「自分で考えるための政治の話」をプレジデント社から発行中。共同通信「報道と読者」委員会第8期、9期委員、読売新聞読書委員。近著に『日本の分断―私たちの民主主義の未来について』(文春新書)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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