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育児をめぐる「三つの神話」と沖縄の新たな産後ケアサービス

危うい「母性神話」、非合理な「3歳児神話」、コロナで終わった「ゆいまーる神話」

山本章子 琉球大学准教授

 2021年12月、政府は子ども政策の司令塔となる新たな組織として、2023年に「こども家庭庁」を創設することを決定した。菅義偉内閣が構想した時点では名称を「こども庁」とする予定だったが、与党側から「子育てに対する家庭の役割を重視した名称にするのが望ましい」などの意見が出され、岸田文雄内閣が名称を変更した。「子どもは家庭でお母さんが育てるもの。『家庭』の文字が入るのは当然」という家族観を主張する議員たちの大きな声が通った格好だ。

「こども家庭庁」という名称は実態にそぐわない

 確かに10年前は耳鼻咽喉科に行けば母子連れでいっぱい、温泉の女子風呂に入れば、小学校に通う年頃の男児が走り回っているのが当たり前だった。だが現在では、小児科に予防接種を受ける子どもを連れてくる父親、デパートのトイレで赤ちゃんのオムツを替える父親の姿は珍しくない。

 とりわけ、私が住む沖縄県は男性が家事・育児をする時間が週17.1時間(全国平均13.3時間)と、全国で最も長い。子どもは「お母さん」ではなく、「親」が育てるものになりつつある。

 父親の育児参加の背景には、夫婦共働きの家庭が増えていることがある。共働き世帯は2010年の1012万世帯に対し、19年には1245万世帯と全国の世帯数のほぼ4分の1になっている。

 そうしたなか、保育園に預けられる0〜2歳児の割合も、2013年時点の全体の約3割から2017年には35%と増大しつつある。子どもは家庭で母親に育てられるべきという考えは、もはや実態に合わなくなってきているのだ。家庭における虐待の実態から、「こども家庭庁」の名称を批判する声もある。

「こども政策の推進に係る有識者会議」の清家篤座長(左から2人目)から報告書を受け取る岸田文雄首相=2021年11月29日、首相官邸

「母性神話」が抱える危険

 とはいえ、いまだに何かといえば「やっぱり子どもにはお母さんじゃないと」という言葉が、母親にかけられることは多い。特に、出産や育児に関わる仕事をしている人間ほど、そう言いたがる傾向が強いように感じる。子どもが十月十日、母親のお腹の中にいる間に、母子の心身の強い絆が形成されるなどとまことしやかに説く人も多い。

 そういう「母性神話」は、母親だけが育児に責任を負い、また子どもが母親から逃げられないという危険につながる。

 私の母は、よく罰と称して、小学校進級前の娘を夜に家から何時間も閉め出した。暗がりが怖くて、住んでいたアパートの入口の灯の下にぼんやり立っていると、同じアパートに住む大人が通りすがりに、「おうちに帰らないの?」と声をかけてきたものだ。「一緒におうちに帰ろう」と送ろうとする人もいた。外は怖いが、もっと怖い母親には会いたくない幼心には正直、ありがた迷惑だった。

 なぜ、幼い私にかけられる言葉は、常に「おうちに帰ろう」だったのか。当時、子どもは家庭で育てられるものだったからだ。夜に幼児を外にいさせる親はおかしい、児童相談所に通報しよう、という発想は一般的ではない時代だった。善意の大人に自宅のドアを叩かされた私は、母が許す気になる前に戻ってきたと、さらなる怒りをかうことになった。

 ちなみに、本稿のテーマは虐待ではなく、私の体験は、問題を理解してもらうためにあげた実例にすぎないので、この話はこれ以上掘り下げないことにする。

 さらに、問題はもう一つある。なぜ、私に「おうちに帰ろう」と言ったのは、よその大人だけだったのか。というのは、当時、母には再婚した夫(つまり私の養父)がいたからだ。彼は何をやっていたのか。

 養父は仕事で忙しく、日曜以外は毎日、夜中まで帰ってこなかった。母は看護師の資格を持っていたが、子どもが小さいうちは働かずに育児に専念すべき、という考えから当時は主婦だった。養父は仕事に専念し、母が自分の子どもにしていることをよく知らなかった。もしも、養父が当時、仕事の付き合いでの飲みを断って早めに帰宅することがあったなら、私の幼少の記憶はもう少し明るいものだったろう。

Bankrx/shutterstock.com

根深くはびこる「3歳児神話」

 母性の研究をしている大日向雅美氏によれば、子どもの小さいとき、3歳くらいまでが大切なのは、発達心理学上、その時期に愛される経験が必要だからだという。ただ、愛されるのは母親からだけではなく、父親や祖父母、保育者や近隣の人など、子どもを大切に育もうとするその他の人々からの愛も、同じくらい重要であるという。

 多くの人たちの愛に見守られて、子どもは健やかに育っていくのだ。それなのに、これまで3歳までの母親の愛情の必要性だけが強調・偏重されてきたところに、問題の原因がある。

 この「3歳児神話」は、1998年の厚生白書によって、「合理的な根拠は認められない」と否定された。だが、「こども家庭庁」の名称をめぐる議論を見ても、政治の場でいまだに根強くはびこっていることは明らかだ。

 それは一般社会でも変わらない。私は産休・育休をとったとき、新聞の連載を三本持っていた。ほどなく終了する予定のものが多かったので、担当を降りずに、助産院の一時預かりサービスを利用しながら執筆を続けた。

 まいったのは、サービスを提供する助産師の女性から、「育休中なのに仕事をするんですか」と言われたことだ。助産院に子どもを迎えに行くときに乗ったタクシーの運転手の男性からは、「そんな小さい子どもを預けるのか」と言われた。

 授乳におむつ替え、沐浴、散歩、あやして遊んで寝かしつけを日々やり、料理に洗濯、掃除もしている。また、預けている間は授乳できず、乳腺がつまり、胸が岩のようにガチガチに固まって痛い。そこまでして週に一、二回、数時間、仕事のために子どもを預けただけで、まるで母親失格のように言われるのだ。

コロナ禍で「ゆいまーる神話」が成立せず

 私の住む沖縄県は、1972年の本土復帰以来、特殊合計出生率(女性が一生で何人子どもを生むかという数)全国1位を維持し続けている。沖縄では二、三世代の家族が一緒に住む世帯が多いので、母親以外の家族も育児をするといわれてきた。人口の流動が少なく、地域のコミュニティの親密度が高いので、近所同士で助け合って子育てをするというイメージも強い。

 しかし、実際には、沖縄でも核家族化が進んでおり、1990年代後半から世帯の平均人数が3人をきっている。

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