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育児をめぐる「三つの神話」と沖縄の新たな産後ケアサービス

危うい「母性神話」、非合理な「3歳児神話」、コロナで終わった「ゆいまーる神話」

山本章子 琉球大学准教授

「母性神話」が抱える危険

 とはいえ、いまだに何かといえば「やっぱり子どもにはお母さんじゃないと」という言葉が、母親にかけられることは多い。特に、出産や育児に関わる仕事をしている人間ほど、そう言いたがる傾向が強いように感じる。子どもが十月十日、母親のお腹の中にいる間に、母子の心身の強い絆が形成されるなどとまことしやかに説く人も多い。

 そういう「母性神話」は、母親だけが育児に責任を負い、また子どもが母親から逃げられないという危険につながる。

 私の母は、よく罰と称して、小学校進級前の娘を夜に家から何時間も閉め出した。暗がりが怖くて、住んでいたアパートの入口の灯の下にぼんやり立っていると、同じアパートに住む大人が通りすがりに、「おうちに帰らないの?」と声をかけてきたものだ。「一緒におうちに帰ろう」と送ろうとする人もいた。外は怖いが、もっと怖い母親には会いたくない幼心には正直、ありがた迷惑だった。

 なぜ、幼い私にかけられる言葉は、常に「おうちに帰ろう」だったのか。当時、子どもは家庭で育てられるものだったからだ。夜に幼児を外にいさせる親はおかしい、児童相談所に通報しよう、という発想は一般的ではない時代だった。善意の大人に自宅のドアを叩かされた私は、母が許す気になる前に戻ってきたと、さらなる怒りをかうことになった。

 ちなみに、本稿のテーマは虐待ではなく、私の体験は、問題を理解してもらうためにあげた実例にすぎないので、この話はこれ以上掘り下げないことにする。

 さらに、問題はもう一つある。なぜ、私に「おうちに帰ろう」と言ったのは、よその大人だけだったのか。というのは、当時、母には再婚した夫(つまり私の養父)がいたからだ。彼は何をやっていたのか。

 養父は仕事で忙しく、日曜以外は毎日、夜中まで帰ってこなかった。母は看護師の資格を持っていたが、子どもが小さいうちは働かずに育児に専念すべき、という考えから当時は主婦だった。養父は仕事に専念し、母が自分の子どもにしていることをよく知らなかった。もしも、養父が当時、仕事の付き合いでの飲みを断って早めに帰宅することがあったなら、私の幼少の記憶はもう少し明るいものだったろう。

拡大Bankrx/shutterstock.com

根深くはびこる「3歳児神話」

 母性の研究をしている大日向雅美氏によれば、子どもの小さいとき、3歳くらいまでが大切なのは、発達心理学上、その時期に愛される経験が必要だからだという。ただ、愛されるのは母親からだけではなく、父親や祖父母、保育者や近隣の人など、子どもを大切に育もうとするその他の人々からの愛も、同じくらい重要であるという。

 多くの人たちの愛に見守られて、子どもは健やかに育っていくのだ。それなのに、これまで3歳までの母親の愛情の必要性だけが強調・偏重されてきたところに、問題の原因がある。

 この「3歳児神話」は、1998年の厚生白書によって、「合理的な根拠は認められない」と否定された。だが、「こども家庭庁」の名称をめぐる議論を見ても、政治の場でいまだに根強くはびこっていることは明らかだ。

 それは一般社会でも変わらない。私は産休・育休をとったとき、新聞の連載を三本持っていた。ほどなく終了する予定のものが多かったので、担当を降りずに、助産院の一時預かりサービスを利用しながら執筆を続けた。

 まいったのは、サービスを提供する助産師の女性から、「育休中なのに仕事をするんですか」と言われたことだ。助産院に子どもを迎えに行くときに乗ったタクシーの運転手の男性からは、「そんな小さい子どもを預けるのか」と言われた。

 授乳におむつ替え、沐浴、散歩、あやして遊んで寝かしつけを日々やり、料理に洗濯、掃除もしている。また、預けている間は授乳できず、乳腺がつまり、胸が岩のようにガチガチに固まって痛い。そこまでして週に一、二回、数時間、仕事のために子どもを預けただけで、まるで母親失格のように言われるのだ。


筆者

山本章子

山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授

1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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