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世界最北の国グリーンランドで広がるイヌイット・ルネサンス(上)

イヌイットの精神とデンマークの文化的要素が重なるグリーンランド人の暮らし

ERIKO モデル・定住旅行家

 筆者がライフワークにしている「定住旅行」とは、国内外のある地域の家庭に一定期間滞在し、生活を共にしながら、家族らの生活やその土地の文化、習慣を配信するというものである。旅することが目的ではなく、現地の人たちの暮らしを体験するための一つの手段として、旅を活用している。

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大でしばらくお休みしていたが2021年秋、数年ぶりに再開させた。今回の定住地に選んだのは、昨今、地球温暖化や資源開発で注目を集めている、世界最北の島グリーンランド。

 おそらく日本人の多くには馴染みが薄いグリーンランドでは今、若者たちを中心に、グリーンランド人の先祖であるイヌイットの文化価値やアイデンティティを再認識する機運が高まっていた。イヌイット・ルネサンスとでもいうべきこうした動きについて、2回にわけてレポートしたい。まずは、グリーンランドの歴史と現在の暮らしぶりについて。

Anton Balazh/shutterstock.com

世界最大の島。人口密度は世界最低

 最北の陸地にして世界最大の島であるグリーンランド。この国が近年、世界から大きな注目を浴びたのは、前米大統領のトランプ氏の「グリーンランドを買いたい」という発言によってだろう。これによって、影が薄かったグリーンランドの存在が、世界で広く認知されるようになった(南ヨーロッパやアメリカには、グリーンランドの存在自体を知らない人もいるぐらいだ)。

 2021年現在、グリーンランド人口は5万6千人。南西部にある首都のヌークには約1万8千人が暮らしている。国土は、南北約2500km、東西1000km、面積183万㎢と日本の6倍。人口密度は世界最低である。

 島の大部分は氷床と万年雪と岩山で覆われており、人間はおろか、ホッキョクグマさえ住めない環境が大部分を占める。そのため、人びとは沿岸部に集まって暮らしている。

グリーンランドでは人は海から近い場所で居住する(撮影・ERIKO)

「緑の島がある」と言った赤毛のエリーク

 世に言う「バイキング時代」の982年、ノルウェー・アイスランドの首領にして探検家の赤毛のエリークことエイリーク・ソルヴァルズソンが、ヨーロッパ人として初めてグリーンランドの土地を踏んだ。南部で3年の刑期を過ごすためだったが、彼がグリーンランドに到着した年は、たまたま温暖な気候が長く続いていた時期で、沿岸部が緑に覆われていたという。

 国に戻った後、周囲の人びとを入植させる謳(うた)い文句として、「緑の島がある」と言ったことから、「緑の島」(グリーンランド)という名がつけられた。現在、デンマーク語、英語では「緑の島」と呼ばれているが、現地の言語であるカラーリット語での正式名は、「カラーリト・ヌナート」であり、「人の島」を意味する。

アラスカからやってきたイヌイットの人びと

 エリークがやってくるはるか昔から、この土地にはイヌイットと呼ばれる人びとが住み着いていた。グリーンランド人の先祖であるイヌイットは、紀元前10世紀ごろにアラスカ沿岸部で発生し、捕鯨を生業とした人びとであった。(チューレ文化)

チューレ文化。国立博物館に展示されている古代イヌイットの女性と子どものミイラ(撮影・ERIKO)

 12~17世紀頃、極北地域の寒冷化により氷が増し、彼らが捕食していたホッキョククジラが生息できる地域が狭くなって数が減ってしまった。その結果、人びとはホッキョククジラ以外を狩猟の対象とせざる終えなくなり、獲物を追った結果、居住地がチュコトカ半島からグリーンランドまで広がったと言われている。

 私たちがイヌイットの人びとと言えば思い浮かべる「雪の家に住み、アザラシ猟を行う」という生活様式は、15世紀頃に地球の寒冷化に適応すべく形成されたもので、太古の狩猟民文化ではないのだ。

 1970年代から使用されるようになった「エスキモー」という表現は、クリー、オジブワの単語で「生肉を食べる輩(やから)」という意味があり、差別的な表現があるとして、イヌイット(人間)という名称にとって代わった。ただ、民俗学者のディヴィッド・ダマスによれば、エスキモーの語源はカナダ東部の先住民の言葉で「カンジキを履く人びと」に由来するという説もあり、差別的表現ではないという意見もあるため、エスキモーという言葉を使用している学者もいる。

 現在グリーンランドの人びとは、自分たちのアイデンティティを、イヌイットともエスキモーでもなく、「カラーリット」と表現している。

静かに進められた「デンマーク化」という“同化政策”

 イヌイットの人びとがグリーランドに定住した17世紀以降、イギリス、オランダ、イタリアなどのヨーロッパ諸国の捕鯨船が定期的に訪れるようになったが、彼らが永続的に定住することはなかった。1721年、ノルウェー系デンマーク人の宣教師ハンス・エゲデがキリスト教の普及のために訪れたのを機に、デンマークの植民地支配が始まり、1953年まで続いた。

 デンマークによる植民地統治では、アメリカやカナダが先住民やイヌイットの人びとに対して行ったような、強制的な言語統制や伝統文化の規制といった政策は行われなかったものの、キリスト教の宣教や、教育のためにグリーンランド人をデンマークに送ってデンマーク語や文化を理解させる「デンマーク化」など、“静かな同化政策”は確実にに進められた。

 1975年には自治権を獲得。現在はデンマーク領の一部として、外交、防衛、裁判、警察、通貨はデンマークの管轄下にある。

 グリーンランドの中には、今も植民地化に対して反抗心を抱いている人びとがいる。ヌーク市内のオールドタウンの小高い丘の上にある、海を見つめるハンス・エゲデの像にはたびたび、「脱植民地化」という言葉や悪意に満ちたペンキが吹き掛けられている。また、デンマークで新政権が発足するたびに、グリーンランドは過去の植民地化に対する謝罪を求めている。

ヌークの街を見守るようにして立つハンス・エゲデの像。ペンキげ吹き付けられることも(撮影・ERIKO)

ダービセンさん家族の家に滞在

 230年もの間、デンマークによる植民地支配を受けたグリーンランドの現在の生活様式や彼らの暮らしは、いかなるものだろうか。今回、滞在させていただいたグリーンランド第三の都市・イルリサットに住むダービセンさん家族を例に見てみよう。

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