福島伸享(ふくしま・のぶゆき) 衆議院議員
1970年生まれ。1995年東京大学農学部を卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。橋本龍太郎政権での行政改革や小泉政権での構造改革特区制度の創設の携わる。2009年衆議院議員初当選(民主党)の後、2021年の衆議院議員選挙で3選。現在無所属で5人会派「有志の会」に所属。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
既存の政党の枠組みでは平成の30年間で停滞した日本の危機的な状況は打開できない
「平成の政治改革」が目指した二大政党による政権交代可能な政治は、民主党政権が崩壊した2012年からずっと自民党政権が続くことで、リアルを失いつつあるように見えます。しかし、政党から離れ今回、無所属で返り咲いた福島伸享(のぶゆき)衆院議員は、やはり「自民党に代わる政治勢力をつくらないといけない」と言います。無所属で当選してきた4人の議員とつくった「有志の会」を足場に、政治をどう変えていくのか、そのために何が必要か。17日から始まる通常国会を前に「令和の政治改革」にかける思いを語ります。(聞き手・構成 論座・吉田貴文)
――昨年10月の衆院選に無所属で立候補。自民党候補を破って当選し、4年ぶりに国政に復帰しました。どうして無所属で選挙に挑んだのでしょうか?
福島 2003年に初めて衆院選に立候補した時から、「自民党に代わる政治勢力をつくらないといけない」という思いを抱いてきました。私は成人してから一度も自民党に投票したことはありません。とはいえ、55年体制の下の左翼にシンパシーはありません。初めて投票した政党は新党さきがけでした。一貫して自民党に代わり得るリベラル保守の政治勢力を志向してきたわけです。
しかし、現在の政治を見渡した時、既存の政党の枠組みでは、自民党に代わる政治勢力はできそうにない。そう思って無所属を選びました。
――09年、14年の衆院選では、民主党から当選していますが……。
福島 民主党系をルーツとする野党の政治家が、09年から12年までの民主党政権の失敗をきちんと総括していないのは、深刻な問題です。それどころか、民主党政権で表舞台にいた政治家たちが今なお、有権者から否定されているにもかかわらず一線にしがみついている。これでは、有権者から支持されるはずはありません。
――なぜ、「自民党に代わる勢力」なのですか。
福島 平成元(1989)年に「東西冷戦」が終わった時から、自民党による政治が限界にきていること、冷戦下には適合していた与党・自民党と野党・社会党によるいわゆる「55年体制」に代わる政治の枠組みが不可欠であることは、多くの人の共通認識でした。
――確かに、1990年代から始まる「平成の政治改革」の目標は二大政党による政権交代可能な政治。「55年体制」にかわる新たな政治システムを志向していました。
福島 自民党政治は明らかに制度疲労を起こしていました。その最初の現れが、1993年の細川護熙・非自民連立政権の誕生です。これで自民党しか政権をとらないという時代は終わったのです。
――当時、私は首相官邸で官房長官の担当記者でしたが、自民党的な政治スタイルが変わるのを現場でまざまざと感じたのを覚えています。細川政権では、自民党政権では果たせなかった政治改革が実現し、衆議院の選挙制度が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変わって、政権交代可能な政治に向けて一歩を踏み出しました。
福島 細川政権は9カ月という短命に終わりますが、その後、新進党など様々な政党が離合集散を繰り返すなかで、民主党が結党されます。96年から始まる新選挙制度による衆院選のもと、民主党はじわじわ党勢を拡大し、2009年、ついに戦後初めての選挙による政権交代を実現しました。そこで掲げたのが、自民党政治とは異なる「政治主導の政権運営」でした。
ところが、民主党はこの機会を生かせなかった。原因は「政治主導」の意味をはき違えていたことです。「政治主導」とは「立法府主導」なんですが、それを分かっていなかった。
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