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被爆地広島出身の岸田首相の熱意~「核兵器のない世界」目指す日本外交に期待

核軍縮を政策の柱に掲げる初の政権――分断が深まる世界の「橋渡し」に具体策を

登 誠一郎 社団法人 安保政策研究会理事、元内閣外政審議室長

主要国の首脳として初めて広島を訪問したオバマ米大統領に、平和記念公園で説明する岸田文雄外相(当時)。左は安倍晋三首相。奥は原爆ドーム=2016年5月27日

国際秩序の不安定要因と核兵器保有国の責任

 第二次世界大戦の終結から77年が経過して、国際情勢は相対的に安定に向かっていると評価できるが、現下の主な不安定要因は、北朝鮮による核・ミサイル開発問題を除くと、ウクライナに関するロシアの動向と台湾に対する中国の出方と言えよう。ここで留意すべきは、この二つの当事国とも核兵器を保有する国連安保理常任理事国であり、世界の安全保障に重大な責任を有する国ということである。地域紛争の解決に核の影をちらつかせることは断じてあってはならないが、そもそもすべての核保有国の責任として、まずは核戦力の透明性を図り、同時に核兵器不拡散条約(NPT)に規定されている核軍縮交渉を誠実に遂行する義務がある。

中距離核戦力(INF)全廃条約の調印式で、ペンを交換するレーガン米大統領(右)とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長=1987年12月8日、ワシントン

NPT発効から52年、乏しい成果

 NPTが発効してからも既に52年が経つが、その間の核軍縮交渉は、米ソ(露)間の戦略兵器削減条約(START)及び中距離核戦力全廃条約(昨年失効)を除いては見るべき成果を挙げず、その結果、現在の核弾頭保有数を見ると、ロシアが米国をしのいで世界第1位、中国が英仏を抜いて第3位となり、核戦力のバランスは自由主義陣営に不利に展開している。

【左】INF全廃条約に伴い解体される巡航ミサイル。米ソ両国の査察官らが立ち会った=1988年10月、米アリゾナ州のデービス・モンタン空軍基地【右】ロシアの大陸間弾道ミサイル(ICBM)基地「ボロゴエ4」。米国との戦略兵器削減条約に基づき地下発射台が破壊された。1993年6月22日、朝日新聞は外国メディアとして初めて破壊現場を取材した
 その中で日本政府が一貫して核軍縮の重要性を訴えて、そのための努力を継続してきたのは、唯一の戦争被爆国であるという運命的な使命感のみに基づくのではなく、自由主義陣営全体の安全保障を高めつつ、核なき世界という理想に近づけるという現実的な安全保障政策に立脚した戦略を遂行するためである。

カリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地から発射実験で打ち上げられた大陸間弾道ミサイル「ミニットマン3」=2020年2月5日、米空軍提供

岸田政権誕生の核軍縮をめぐる意義

 昨年10月に発足した岸田内閣は、歴代の日本の内閣の中で、恐らく初めて核軍縮の推進を外交政策の主要な柱の一つと掲げる政権と思われる。

 岸田首相は就任後初の所信表明演説において、「被爆地広島出身の首相として、私が目指すのは核兵器のない世界です。……唯一の戦争被爆国としての責務を果たし、……核兵器のない世界に向け、全力を尽くします。」と明言した。さらに12月の臨時国会における所信表明演説においては、「核兵器のない世界に一歩でも近づくことができるよう、核兵器保有国と非保有国の信頼と協力の上に、現実的な取組みを進めてまいります。このためにまずは核兵器不拡散条約運用検討会議の成功が重要であり、(日本は)積極的な役割を果たしていきます」と述べた。

衆院本会議場で、初めての所信表明演説をする岸田文雄首相=2021年10月8日
 政権発足後の3か月間における二度の所信表明演説で、ここまで明確に、現実的な核軍縮の重要性を強調した例は記憶がないが、加えて昨17日の通常国会冒頭の施政方針演説においては、「国際賢人会議」の立ち上げを提唱して、「核兵器のない世界」を追求する姿勢を強調した。

 核軍縮推進についての岸田首相のこの意欲を、政府全体として、また核のない世界の実現を願う多くの国民が一致して、全力で支えていくべきと確信する。

G7広島外相会合の際、核保有国の米英仏を含む各国外相を案内して原爆死没者慰霊碑へ献花を終えた当時の岸田文雄外相(中央)。会合では核兵器のない世界を目指す「広島宣言」を採択した=2016年4月11日

2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議で話す岸田文雄外相(当時)。会議は翌月、中東非核地帯構想への米英などの反発で決裂し、最終文書の採択ができぬまま閉幕した=2015年4月27日、国連本部

核軍縮交渉が進展しない中、二つの締約国会議が開催予定

 今年は、核軍縮に関する二つの重要な会議が開催される予定である。一つ目は、5年に一度開催されるNPTの運用検討会議であり、コロナの影響で延期が繰り返されて、目下8月頃をめどに調整中である。二つ目は、NPTの重要な要素である核兵器保有国による核軍縮交渉が全く進展を見ないことにしびれを切らせた核兵器非保有国が、核兵器の製造、取得、使用、威嚇などすべての側面を禁止する趣旨の核兵器禁止条約を昨年1月に発効させたが、その第1回の締約国会議が3月に予定されている。

核兵器禁止条約の採択後、わき上がる議場。スマートフォンで採択を報告する外交官も相次いだ=2017年7月7日、ニューヨークの国連本部
 実は筆者の外交官生活において一番初めに携わった仕事が1960年代終盤の我が国のNPT署名問題であり、以後、退官後も含めて50年以上にわたって軍縮問題をフォローしてきたが、近年核軍縮交渉が進展しない理由としては、大雑把に捉えて以下の3点が指摘できると思う。

① 米ロ間の信頼関係が薄れ、両国間の核軍縮条約は、昨年2月に5年間の延長が合意された戦略兵器削減条約(START)のみとなっている。

② 核を保有する5か国(P5)内の対立は激しく、特に中国が米国との均等を主張して、核軍縮には全く後ろ向きである。

③ 核兵器禁止条約の成立以降、これを主導した諸国とP5との信頼関係が著しく欠如しており、合意文書案の作成を含むNPT運用検討会議の準備も停滞している。

 このような状態で、本年、核兵器禁止条約締約国会議が開催されても、また、NPT運用検討会議が延期されて8月頃に開催されても、ともに実質的な内容のある合意文書の作成は容易ではないと見受けられる。そこでこのような事態を打破して、今年の核軍縮交渉を前進させるためには、日本が果たすべき役割は何であろうか。

史上初の国連軍縮特別総会に参加した、日本国民の代表団のデモ行進。「ノーモア・ヒロシマ」の声は、摩天楼に響いた=1978年、ニューヨーク
1981年6月5日、衆院外務委員会は非核三原則を盛り込んだ核軍縮決議を全会一致で採択した。決議の骨子は①核兵器拡散のおそれを除去するため最善の努力をする②国連をはじめ国際会議等で我が国の軍縮に対する態度をより一層明確にする、の2点。写真は採択後、委員に挨拶する園田直外相

新年早々、核保有5か国が共同声明

 予定されていたNPT運用検討会議開催日の前日である本年1月3日に、突然、P5諸国は「核戦争防止と軍拡競争回避のために共同声明」を発出した。

 多くの識者は、この声明は5か国が、NPT運用検討会議において、非保有国側から核軍縮の停滞について非難されることを予防するために先手を打った戦術的なものと理解している。日本を含むいくつかの国は、「核兵器のない世界の実現に向けた機運を高めるもの」としてこれに歓迎の意を示した。確かに核保有5か国によるこのような共同声明は前例のないものであり、その姿勢は評価しうる。

 しかし、この声明は英文にして300語程度の短い精神的規定であり、NPT第6条の核軍縮交渉の遂行義務に言及はしているものの、具合的な内容は何も示されていない。今後、運用検討会議の議論を通じて、5か国側に核軍縮交渉で推進すべき諸措置(例えば、核兵器の透明性向上、核リスクの低減、核軍縮教育の促進など)についての具体的内容を示すよう追及していくことが重要である。

日本は「橋渡し」の役割を果たして来れたのか

オンラインで開催された核軍縮の実質的な進展のための1.5トラック会合で発言する岸田文雄首相=2021年12月9日、首相官邸
 昨年12月にオンラインで開催された日本政府主催の核軍縮の実質的進展のための官民合同の国際会議において、岸田首相は核軍縮の現状に関して、「立場の異なる国々の間の分断が深まり、核軍縮を協力して前に進めるための共通の基盤が失われつつあります。」と厳しく指摘した。この分断という現状が正に、NPT運用検討会議の成功に暗雲をかざす要因となっている。

 岸田首相は、前述の10月の国会における所信表明演説においては、「核兵器のない世界を目指し、……核兵器保有国と非保有国との橋渡しに努める」旨を強調した。この「橋渡し」は、日本が唯一の戦争被爆国として長年にわたって、国の内外に向かって訴えてきたスローガンでもある。日本は「橋渡し」の役割を実際に果たして来れたのであろうか。

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は2019年11月24日、被爆地の長崎と広島を訪れて演説し、核兵器の廃絶を強い言葉で訴えた。核保有だけでなく核抑止も否定。米ロのINF全廃条約の崩壊など核軍縮後退を懸念し、被爆の記憶継承と団結を世界に呼びかけた

日本政府は努力重ねてきたが、各国間の分断は狭まらぬまま

米ニューヨークの国連本部
 日本政府はこれまで25年以上にわたって、毎年、国連総会に核兵器廃絶に向けた決議案を提出し、その採択に貢献してきた。さらに近年は、2010年に、核兵器非保有の主要12か国による「軍縮・不拡散イニシアティブ(NPDI)」を主導して、その成果を前回のNPT運用検討会議に提出し、2017年には岸田外務大臣が「核軍縮の実質的進展のための賢人会議」を立ち上げて、今回のNPT運用検討会議に向けて貢献してきた。

 この流れが、前述の通り、岸田首相が各国の立場の分断について深刻な危機感を表明した昨年12月の官民合同の国際会議につながるのである。これらの日本の努力は称賛に値するも、残念ながら、各国間の分断を狭めるだけの効果を挙げているとは言い難い。

広島市で開かれた核軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)の外相会合で、協議に入る前、被爆者の体験に聴き入る各国の外相ら=2014年4月12日

核兵器禁止条約交渉にかかわらなかった日本

 それが顕著に表れたのは、2017年に開始された核兵器禁止条約交渉において、日本政府の軍縮代表部大使が、冒頭のセッションで日本の立場を説明しただけで退席し、以後の条約交渉には一切かかわらなかったことである。しかしながら、国際条約の締結交渉において、交渉に参加して議論に加わることと、その条約に署名、批准することとは全く別のことである。

核兵器禁止条約交渉をボイコットした日本政府代表の席には「あなたがここにいてほしい」と書かれた大きな折り鶴があった。NGO関係者が置いたものだった=2017年3月28日、国連本部
核兵器禁止条約交渉会議で発言する長崎の被爆者で日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長の和田征子さん(中央)2017年6月19日、国連本部

 日本政府の説明によると、この条約にはすべての核保有国が反対であり、もしこれが成立しても核保有国の不参加は明らかであるので、条約の実際的意義は薄いのみならず、核保有国と非保有国との分断は一層鮮明になることが予想されたので、日本政府は最初から交渉にはかかわらない、との立場である。

 もし合意された条約が、日本の安全保障の基軸である日米同盟に悪影響を与える内容のものであれば、それに日本が署名できないことは明々白々である。他方、何らかの核兵器禁止条約が成立する見込みであるならば、日本としては、その内容が日本の安全保障、ひいては西側諸国全体の安全保障を阻害するものとはならないように、交渉の内側からぎりぎりの努力を行い、結果が不十分であれば署名はしない、という対処はできなかったのであろうか。

核兵器非保有国の中にも分断を生んでしまった

 この条約は1年前に発効し、現在の締約国は59か国に達している。これは世界の4分の1以上を占める数であり、決して無視はできない勢力である。岸田首相の懸念した分断は、核保有国と非保有国との間の分断だけではなく、非保有国の間にも、核兵器禁止条約の締約国とそれ以外の諸国の間に、新たな分断を生じさせてしまった。

豪シドニーでは、核兵器禁止条約の発効を記念して国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」のメンバーらが集まった。オセアニアは欧米各国の核実験に苦しんできた歴史を抱える=2021年1月22日
1954年3月1日(現地時間)、ビキニ環礁で行われた水爆実験の巨大なキノコ雲=米軍撮影

 核兵器禁止条約が脚光を浴びるようになって以来、この条約を推進してきた諸国と日本との間に十分な対話が行われたのかは疑問が残る。例えば、昨年の国連総会に日本が主導して提出した核兵器廃絶決議においては、すでに1月に発効している核兵器禁止条約について全く言及がなかった。

 この条約は決して日本政府が賛成できる内容ではないが、岸田首相は昨年12月の核軍縮の実質的進展のための官民合同会議において、「核兵器禁止条約は、核兵器のない世界への出口ともいえる重要な条約」とも述べている。そうであれば、日本提出の国連総会決議案において、この条約の限界に十分言及した上で、例えば「核廃絶の出口」としては有用な条約であるとの趣旨の一文を含めることにより、条約を推進する諸国の顔を立てることは出来なかったのであろうか。

 この決議案は成立はしたが、核兵器禁止条約の締約国の反発を招き、27か国という多数の国が棄権した(米、英、仏は賛成、ロシアと中国は反対)。

長崎市役所に設置された核兵器禁止条約の採択を伝える看板=2017年7月8日

ろうそくでつくられた「今こそ核兵器禁止を!」のメッセージ=2017年6月15日、広島平和記念公園

核軍縮推進のために、日本政府に期待される対応

 核軍縮推進を外交政策の柱の一つと位置づける岸田政権の誕生は、日本国内の意識に刺激を与えるのみならず、国際社会に対しても、「核兵器のない世界」に向けての日本の本気度を訴えるものになる。その観点から今年の日本の核軍縮・不拡散活動は特に重要であり、具体策として以下の3点の実施を期待したい。

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