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「カザフの冬」の到来か:権威主義国家の末路

塩原俊彦 高知大学准教授

自然発生した怒りの抗議

 1月2日の抗議行動はおそらく自然発生的に起きたものだろう。最初に紹介した「ノーヴァヤガゼータ」によれば、食料品価格の高騰、都市部での住宅価格の上昇などから、2021年11月のインフレ率は前年同月比8.9%にのぼり、国民の不満はすでに高まっていた。昨年秋以降、自動車用に広く使われている液化石油ガス(LPG)の価格、ガソリン価格などの燃料価格も急速に上昇していた。ガソリン価格よりも値段が安いLPGを燃料とする車両が多いカザフスタンでは、LPG価格が注目されている。2021年3月まで、西部マンギスタウ州のLPGの上限価格は1リットル=60テンゲ(約10.2ルーブル、約16円)であったが、12月末に100テンゲ、1月1日に120テンゲになった。これが引き金となって、LPG価格の引き下げを求める抗議行動となったとみられている。

 ただ、舞台となった同州のジャナオゼンでは、「集会は違法」との当局者の脅しによってすぐに沈静化された。それでも、不満の波はマンギスタウ州内に広がり、さらに拡大する。2021年秋の国勢調査によると、28歳以下の人口が全体の53.69%を占めるカザフスタンでは、若者の失業率が高く、大きな不満がくすぶっていたことも抗議活動拡大の背景にある。

 事態を重くみた政府は3日、マンギスタウ地方の住民向けのLPG価格を1リットルあたり85~90テンゲに引き下げた。だが、解散しないデモ隊との間で、50テンゲに引き下げることが決まった。それでも、全国に広まった抗議は収まらず、政府は5日になってトカエフの指示で、LPG価格やガソリン価格の事実上の引き下げを地域ごとに180日間実施することを決める(資料を参照)。

反ナザルバエフの動き

 しかし、これでも事態は収拾できなかった。どうやら政権内部の路線対立、権力闘争がこの抗議活動を政治的な扇動へと変化させたようにみえる。5日の夕方には、少なくとも商業都市アルマトゥイでは、暴徒らのよく組織された行動が現れるようになり、「重要な行政施設、インフラ、通信資産の接収がはじまった」という(資料を参照)。

ナザルバエフ・カザフスタン前大統拡大ナザルバエフ・カザフスタン前大統領=shutterstock.com
 こうしたなかで、5日、トカエフは国民向けの特別演説のなかで、2019年に30年近く務めた大統領辞任後、国の治安部隊への権力を保持する安全保障評議会の議長のポストに就いていたヌルスルタン・ナザルバエフに代わって、自分が同ポストに就いたことを明らかにした。同時に、「私は、カザフスタンの政治的変革に関する新しい提案を近く行う」との立場を宣言した。

 同日、トカエフはナザルバエフに近い、治安機関(国家安全保障委員会, NSC)のトップ、カリム・マシモフ(元首相)を解任し、翌日になって、彼は反逆罪で拘束・逮捕された。どうやら「聞く耳」をもつトカエフは、抗議行動の背景にある不平等や汚職に対する国中の怒りを利用してナザルバエフによる支配体制に変革を加えようとしたようだ。その証拠に、11日になって、トカエフは、ナザルバエフとの太いパイプで結びついたオリガルヒ(寡頭な政商)が支配下に置く大企業が国の競争力を低下させたと批判した(後述)。それらの企業に対して、近く創設される公的社会基金「カザフスタンの人々のために」への毎年の寄付を義務づける予定とされた。

NSC内部の混乱

 不可思議なのは、ナザルバエフの甥でNSC第一副議長を務めていたサマット・アビシュが更迭され、後任に彼の部下であるマラット・ヌルテュルが任命されたとの情報が流されたにもかかわらず、8日になって、NSCが実際にアビシュはどこにも行かず、引き続き第一副議長を務めると発表したことだ(17日、NSCはアビシュの辞任を発表)。NSCはソ連国家保安委員会(KGB)の流れを引き継ぐ治安機関であり、国内の治安維持の要となっていた。だからこそ、ナザルバエフの腹心や甥がナンバーワンとナンバーツーに就いていたことになる。

 だが、トップのマシモフが逮捕され、アビシュが辞任した以上、ナザルバエフを支える支柱が大打撃を受けたのは間違いない。NSC内部での権力闘争が治安部隊の不可解な行動になって現れている。5日に突然、アルマトゥイ空港から治安部隊がいなくなったり、同日昼ころに、デモを監視していた警官の姿が突然消えたりした後、組織された暴徒が登場し、政府機関などに突撃するようになったという情報があるからだ(NYTを参照)。NSC幹部が一時、治安活動を放棄させ、そのすきに犯罪組織と結託して抗議活動を暴動に仕立て上げたのではないかと推測できる。だからこそ、「ナザルバエフの失脚した甥が、今回の騒動を組織する上で大きな役割を果たしたようだ」との専門家の見方がこのNYTに示されている。さらに、暴動を誘発したとされるマフィアのボス、アルマン・ジュマゲリディエフが7日、5人の共犯者とともに逮捕された(資料を参照)。

 おそらくトカエフによるナザルバエフの安全保障評議会からの追放やNSCのマシモフ解任への報復として、親ナザルバエフ派がトカエフへの「クーデター」のような騒乱を引き起こそうとしたのだろう。それが5日~6日の暴動につながったのだ。

 ただし、自然発生的にはじまったとみられる抗議活動の政治利用の真の発端がどこにあったかはよくわからない。トカエフ側が抗議活動をマシモフらが仕組んだものだと言いがかりをつけて解任に動き、これに猛反発した一部が暴動誘発へと動いたのか。それとも、抗議活動を利用してトカエフ政権打倒に動こうとしたマシモフらの動きを早期につかんだトカエフ側がマシモフらを排除したが、それに対する反発や報復の動きが予想以上に強烈であったのか。いまのところ実情は判然としない。

集団安全保障条約機構(CSTO)へ平和委維部隊派遣を要請

 5日夜、トカエフは事態の悪化から、1994年に結成された軍事同盟、集団安全保障条約機構(CSTO)に対して、「テロの脅威を克服するための支援」の要請を決めた。これを受けて、CSTOの議長国であるアルメニアのニコル・パシニャン首相は一定期間、CSTOが平和維持部隊の派遣を決定したと発表する。締約国が「侵略」(安全、安定、領土保全および主権を脅かす武力攻撃)を受けた場合の集団的自衛権を規定する同条約第四条が発動されるのは、1992年5月に旧ソ連構成共和国6カ国が調印して以来はじめてのことだ。

 CSTOはロシアを中心とする軍事同盟だから、トカエフは自らの政治的生命を守るために、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領に支援を求めたことになる。CSTOが派遣したのは約2500人で、重要施設と社会基盤を警護する目的でロシアの空挺部隊も投入された。

 おそらく、「トカエフがCSTOに外部支援を求めたのは、時間的制約と治安部隊の信頼性への疑念のなかで、極度に急いで決断した結果だ」という指摘が的を射ているように思われる。別の情報でも、「トカエフがCSTOを頼ったということは、治安部隊の力を期待するほどには頼れないということ」であり、「おそらく、カザフスタン国内には頼れる組織が一つもないことに気づいたのだろう」と指摘している。

 ただし、CSTO軍を国内に入れる正当性を与えるには、自国内にテロリストがいると主張するしかなかった。だからこそ、トカレフは10日に開催されたCSTO首脳会議で、「テロ戦争がわが国に対して行われた」との立場にたって、国際テロが「自然発生的な抗議行動を装って、宗教過激派、犯罪分子、無法者の盗賊、略奪者、ケチなフーリガンが合図とともに現れ、大規模な騒動や展開された」と説明した。同会議において、プーチンは「まさに国際テロの侵略を目撃している」として、騒乱に参加した戦闘員が海外テロリストのキャンプで訓練されたものだとの見解をのべた。つまり、2014年春のウクライナ危機を念頭に、プーチンはCSTO加盟国内でのテロリストや犯罪者による騒乱を「侵略」と位置づけて集団的防衛権が機能することに自信をみせたことになる。

 といっても、プーチンやトカエフの主張には根拠がない。現実には、ここで説明したように、今回の騒乱はナザルバエフによる「院政」ないし、ナザフバエフとトカエフの「二重権力体制」の打破をめぐる権力闘争が騒乱となって表面化したものとみなすべきだろう。

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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