2022年01月31日
プーチンは、ウクライナ国境近くに配備した多数の兵力を恫喝(どうかつ)材料にして、ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟といった西側勢力による東方拡大を阻止しようとしているのだろう。だが、それがウクライナへの全面的な侵攻計画による脅しであるというのは、あくまで米国政府の勝手な推量でしかない。むしろ、騒動を煽(あお)って大きくすることで、米国内の政治に利用しようとしているように思えてくる。
いったい、ロシアによるウクライナ侵攻騒ぎは何なのか。ここでは、まず、根拠があるとは思えない全面的なウクライナ侵攻計画をでっち上げた米国側の事情について説明する(なお、ここでの見方はあくまで筆者個人の見解であると断っておきたい)。そのうえで、そうした深謀遠慮のもととなった2021年春以降のプーチンの目論見(もくろみ)について解説してみよう。
最初に、2014年の出来事を振り返っておきたい。このウクライナ危機については、筆者は『ウクライナ・ゲート』と『ウクライナ2.0』という2冊の本で詳しく解説したことがある。今回の「ロシアのウクライナ侵攻」問題と同じ登場人物がかかわっているので、まずはこのウクライナ危機について簡単に説明しておきたいと思う。
ウクライナ危機は、親ロシア派とされるヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領(当時)を武力で追い落とす策謀が成就した第一段階と、ロシア系住民保護を名目にウラジーミル・プーチン大統領によってクリミア半島がロシアに併合されたり、東部ドンバス地域の独立闘争が激化したりした第二段階の二つに分けて考えることができる。
ここで、『ウクライナ2.0』に書いた少し長い引用をお許しいただきたい。
「ついでに、米国政府のあざといやり口をもう一つ紹介すると、アザロフ元首相によれば、反政府勢力がキエフに集まって抗議活動を展開したころ、ヌーランドは「抗議者に暴力をふるうな。さもなければ、あんたはつぶれるよ」と語り、ウクライナやその指導者に対する厳しい政治経済的制裁を科すと恫喝したという(Der Spiegel,2015年第11号)。抗議者に暴力をふるうようなことがあれば、「あんたやあんたのダチがウクライナから奪ったカネの情報を 公にしてやるから」と脅したのだという。
すでに紹介した2月21日のアザロフ・インタビューでぼくが聴いたのは、2月19日、大統領府や政府ビルを警備していた、通常の警官に対して300人ほどの反政府勢力が攻めてきたときの話である。警官は支援を求める一方、武力衝突で過激派数名が負傷した。そのころ、ジョー・バイデン副大統領から電話があり、「いかなる条件下でも、戦闘はするな」という「脅し」があったという。ところが、反政府勢力は警官を殺害したり、拷問にかけたりと、やりたい放題で、米国政府は二枚舌を使ってクーデターに加担していたという。ぼくの感覚からすると、ヌーランドの話は事実だろうと思う。
この女性は驚くほど強気で、恫喝も日常茶飯事なのだ。だからこそ、在外公館との連絡は暗号化された機密性の高い手段で行わなければならないのに、そのルールを平然と破り、その結果として「Fuck EU」と叫んでいたことが暴露されることになる。そういう女なのである。」
「反政府勢力に対して暴力をふるうな」と脅すことは悪いことではないかもしれない。しかし、公然と暴力で政権交代を迫るナショナリストへの支援は民主的な選挙で選ばれたヤヌコヴィッチへのクーデターを肯定することを意味し、民主主義自体の否定そのものだ(もちろん、選挙に不正があったかもしれないが、ロシアの大統領選よりもずっと民主的な手続きを経て、彼は2010年に大統領に選ばれていた)。
第一段階では、ヌーランドの目論見通り、ヤヌコヴィッチ政権打倒に成功する。だが、大きな誤算があった。ナショナリストをけしかけたために、彼らはロシア系住民を襲うといった暴力行為に出たのである。それが、プーチンによる干渉の口実を与えてしまう。
実は、2004年の大統領選で不正があったとして一度当選したヤヌコヴィッチは選挙のやり直しを迫られ、ヴィクトル・ユーシェンコという親米候補に敗れるという事件があった。いわゆる「オレンジ革命」というものだが、これを機に、プーチンはウクライナ国内、とくにクリミアに諜報網を張り巡らせ、問題が起きたときに借りていた不凍港セヴァストポリの確保・奪還をねらっていた(この情報はロシアの有名な軍事評論家から教えてもらっていたものだ)。それがロシアのクリミア併合につながる結果になる。
つまり、筆者の評価では、ヌーランドは政権交代に成功したものの、プーチンの術中にはまった格好になり、クリミア併合という悪夢を引き寄せてしまったことになる。
その後、日欧米の政府はロシアによるクリミア併合を非難し、経済制裁に乗り出す。残念ながらほぼすべてのマスメディアも同調し、ロシア批判が横行する。そもそもナショナリストを使ってクーデターを仕組んだ米国政府がもっとも悪辣(あくらつ)であり、批判されるべきであると考える筆者のような人は世界的に有名な言語学者、ノーム・チョムスキーくらいだろうか(資料を参照)。
ウクライナ危機の第一段階において、重要な役割を果たしたのはいわゆる「ネオコン」である。『ウクライナ・ゲート』における記述を紹介しておこう。
「そこでまず、ネオコンについて説明しておきたい。ネオコンは新保守主義ないし新保守主義者を指している。この特徴について、筆者と同じころモスクワ特派員だった、朝日新聞社の西村陽一はつぎの4点を指摘している(西村, 2003)。
①世界を善悪二元論的な対立構図でとらえ、外交政策に道義的な明快さを求める。
②中東をはじめとする世界の自由化、民主化など、米国の考える「道義的な善」を実現するため、米国は己の力を積極的に使うべきだと考える。
③必要なら単独で専制的に軍事力を行使することもいとわない。
④国際的な条約や協定、国連などの国際機関は、米国の行動の自由を束縛する存在として否定的にみなし、国際協調主義には極めて懐疑的。
あるいは、東京財団の研究者、渡部恒雄のわかりやすい説明も捨てがたい。彼の著書『「今のアメリカ」がわかる本』によれば、ネオコンはイラク戦争を主導した勢力としてとらえることが可能だが、「世界の民主化というリベラルな理念を考え方の中心に置き、それを達成するためには力の行使をいとわない、というパワー信奉のリアリスト」という側面をもつという(渡部, 2007)。
そしてもう一つ、忘れてならないのは、「ネオコンにはユダヤ系の知識人が多く、現実にイスラエル政府とのつながりを持つ者も多かった」点だという。今回の米国政府の扇動によるウクライナでの暴力革命の事実に蓋(ふた)をして報道している巨大マスメディアの背後に、ユダヤ系の強靭(きょうじん)なネットワークの存在を強く感じるのはこのためである。」
もちろん、ヌーランドもまたネオコンの一人である。その点を記述した『ウクライナ・ゲート』の一段落も読んでいただこう。
「ヌーランドの夫は、同じくユダヤ系のロバート・ケーガンであり、ネオコンの論客だ。ヌーランドは夫の影響を強く受けている。それを物語っているのは、前記の会話にある「ファックEU」という言葉だ。ヌーランドがひどくEUを嫌っていることがわかるのだが、これはおそらく夫ロバートの影響だ。
その著書のなかで夫は、無秩序における安全保障という観点を重視する米国人と、平和ボケした欧州人を、「米国人は軍神マーズの火星から、欧州人は美神ビーナスの金星からやってきた」と言えるほどの大きな違いがあると指摘し、欧州人を蔑視する見方を示しているのだ。米国のユニラテラリズム(単独行動主義)への傾斜を示している。
オバマが2012年1月、ケーガンの書いた「米国凋落(ちょうらく)神話に反対する」という論文を称賛したことも、オバマとネオコン夫妻の良好な関係を物語っている。ケーガンは毎月、ワシントン・ポストに外交問題を定期的に執筆するコラムニストであり、同紙に対する大きな影響力をもっている。ついでに、ケーガンにはフレデリックという弟がおり、彼もまたネオコンの論客である。彼らのネットワークがネオコンの力をいまでも残存させている。」
これを読めば、今回、「ロシアのウクライナ侵攻」を大々的に報じたのがなぜ「ワシントン・ポスト」であったかがわかるだろう。
ドナルド・トランプ政権になって国務省を去った彼女は新アメリカ安全保障センターの最高経営責任者(CEO)などを務めていた。ジョー・バイデン政権の誕生で、2021年に国務省次官として返り咲いた彼女は、プーチンへの復讐(ふくしゅう)に立ち向かう。それが、今回の「ロシアのウクライナ侵攻」騒ぎの発端である、と筆者は考えている。
だからこそ、拙稿「ロシアのウクライナ侵攻」はディスインフォメーション:真相を掘り起こす」において、丹念に調べ上げた通り、ウクライナ国防諜報(ちょうほう)局の単なる想定をプーチンによる計画であるかのようにでっち上げて、「ワシントン・ポスト」を使って騒ぎ立てたわけである。
しかも、彼女の恫喝癖はいまでも健在のようだ。筆者が指摘したように、どうみても米国政府のいう「ロシアのウクライナ侵攻」という計画にプーチン自身が関与していた証拠は見当たらない(米政府も何も証拠を示していない)。これでは、嘘(うそ)をでっち上げてイラク戦争をはじめたジョージ・W・ブッシュと同じではないか。にもかかわらず、欧州諸国が米国の主張に疑問を挟めないのはヌーランドの強い恫喝があるからだと筆者は考えている。
たとえば、米国務省はロシアが軍事行動を取る恐れがあるとして、在ウクライナ米大使館の職員の家族に対し、国外退避を命じたと2022年1月23日に発表する。「ロシアのウクライナ侵攻」が間近いことを印象づけたいヌーランドは、国務省を使ってむしろ戦争切迫を演出しているのではないか。これに対して、ウクライナ外務省は24日、「時期尚早で過剰な警戒」との見解を示したが、同日、英国も退避を発表する。25日には、カナダが大使館職員と同行する家族の子供を「一時的に引き揚げる」と発表した。ヌーランドの脅しがそう簡単に効き目のない欧州連合(EU)では、ジョセップ・ボレル外交政策委員長が24日、ほとんどの加盟国が直ちに大使館員の数を減らすことはないとのべ、ドイツ外務省も同日、主要スタッフの家族は帰国できるが、外交官は留まると発表した。
ヌーランドは何をねらっているのだろうか。
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