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山口二郎氏、安河内賢弘氏対談~労働組合と政治、果たすべき役割は?(上)

グローバル資本主義の是正へ、高まる労組の今日的意義

木下ちがや 政治学者

組合員減から反転へ、「社会に欠かせない労組」への模索

 ――JAMは過去のナショナルセンターの違いを越えて組織合同を成功させてきました。

 安河内)僕が入社したのは1997年ですので、連合結成の頃の先輩方の想いを身近に感じたことはありません。

 1989年の11月9日、ベルリンの壁が崩壊したその日に二つの産業別労働組合(産別)が合同し、JAMの前身である「金属機械」が誕生しています。それ以前から、金属産業で働く仲間の統一に向けての話し合いはずっと行われていました。金属機械は最終的にJAMのような全体を合同する組織を新たに結成することを前提に結成された組織です。金属機械は社会党を支持する総評系などの産別と単組中心に結成されていくことになります。

 そしてその後10年をかけて統一に向けた話し合いが行われることになります。そこではかなり丁寧な議論がされました。1993年に「われわれはなぜ統一を進めるのか」がだされていまして、この文書のなかにJAMのあるべき姿がしっかり書き込まれています。JAMはこの文書をとても大切にして新入組合員の教育などでは理念とあわせて必ずこの文書を確認するようにしています。

 そして1999年に旧同盟に加盟していたゼンキン連合と合同して、JAMが結成されます。その頃、私は農業機械のメーカーである井関農機の組合青年部の役員をしていました。井関農機は愛媛県に拠点があり、そこで役員をやっていました。

 JAMが結成されたあと、2000年に全国青年局ができます。私はJAM四国の初代の青年女性協議会の議長を拝命しました。当時は合同した両組織の対立がまだ残っており、私は「協議会を結成するから行け」といわれてほぼ何も分からずに参加したんですが、会議では「協議会を作る必要がない」という意見がだされ、「平和労組の連中とは一緒にはやれない」といわれました。僕は「平和労組」という言葉をそこで初めて聞いて何のことやら分からなかったんですけれども、みんなやりたくないというので僕がやるしかないかなと思い、協議会の議長を引き受けました。そこからJAMとともに労働運動の道を歩んできました。

拡大対談する安河内賢弘氏=2022年1月19日、東京都港区

 JAMは結成当初48万人の組織人員を抱え公称50万としていました。しかし脱退や企業の倒産などがあり、現在34万人まで減っています。これをいかに反転させるのかがいまJAMに大きく問われています。たんに組織を拡大しようとしてもなかなか成果はあがらないなかで、JAMをはじめ労働組合のイメージを大きく変え、社会にとって欠かせない存在として認めてもらえるためにはどうすればいいのかを模索しています。

 組織人員が減るなかでJAMの政治力も大きく損なわれました。かつてはかなりの数の組織内議員を抱えていました。先日亡くなられた田中慶秋元法務大臣、今泉昭元参議院副議長もそうでしたが、現在は一人もいません。参議院選挙でも3回連続で候補者を落選させているのが現状です。JAMの基礎票は10万くらいで、調子がよければ3万、4万とさらに上積みがあるのですが、たとえば他の産別の組織内候補を応援するときになると3万、4万と減ってしまう。これをどうやって引き上げていくのかがとても重要だと思っています。JAMの結成理念は、連合が率いる労働運動のど真ん中に中小企業労働運動をもってくることですので、そのための政治力をつけることがとても重要です。

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筆者

木下ちがや

木下ちがや(きのした・ちがや) 政治学者

1971年徳島県生まれ。一橋大学社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。現在、工学院大学非常勤講師、明治学院大学国際平和研究所研究員。著書に『「社会を変えよう」といわれたら」(大月書店)、『ポピュリズムと「民意」の政治学』(大月書店)、『国家と治安』(青土社)、訳書にD.グレーバー『デモクラシー・プロジェクト』(航思社)、N.チョムスキー『チョムスキーの「アナキズム論」』(明石書店)ほか。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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