メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

山口二郎氏、安河内賢弘氏対談~労働組合と政治、果たすべき役割は?(上)

グローバル資本主義の是正へ、高まる労組の今日的意義

木下ちがや 政治学者

 地球規模のパンデミックがつづくなかで、政治と労働のあり方が問われている。エッセンシャルワーカーの役割が見直され、国家の役割がますます重要になっているにもかかわらず、格差社会化の進行は止まらず、政治不信が蔓延している。グローバル化のなかで働くものの暮らしと命を守るために、労働組合と政治はどのような役割をはたすべきなのか。政治学者の山口二郎氏と、ものづくり産業労働組合JAMの会長である安河内賢弘氏に聞いた。上下2回で紹介する。
山口二郎氏
山口二郎

(やまぐち・じろう)
法政大学法学部教授(政治学)

1958年生まれ。東京大学法学部卒。北海道大学法学部教授を経て、法政大学法学部教授(政治学)。主な著書に『大蔵官僚支配の終焉』『政治改革』『ブレア時代のイギリス』『政権交代とは何だったのか』『若者のための政治マニュアル』など。
安河内賢弘氏
安河内賢弘

(やすこうち・かたひろ)
ものづくり産業労働組合JAM会長

1971年生まれ。九州大学農学部農業工学科卒。井関農機株式会社に入社後、JAM井関農機労働組合中央執行委員長を経て、JAM四国執行委員長、JAM副会長を歴任し、2017年第6代JAM会長に就任。
木下ちがや氏
司会・木下ちがや

(きのした・ちがや)
政治学者

1971年生まれ。一橋大学社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。工学院大学非常勤講師、明治学院大学国際平和研究所研究員。著書に『「社会を変えよう」といわれたら』『ポピュリズムと「民意」の政治学』『国家と治安』など。
松下秀雄
(まつした・ひでお)
朝日新聞「論座」編集長。
1964年生まれ。朝日新聞政治部記者、論説委員、編集委員を経て現職。
山口二郎氏、安河内賢弘氏対談~労働組合と政治、果たすべき役割は?(下)

中道左派的な政権政党づくり、挫折の30年

対談する山口二郎氏=2022年1月19日、東京都港区

 ――山口二郎さんは1987年の連合結成の頃から一貫して政治に関与されてきました。

 山口)当時私はまだ若造の助教授でしたけれども、1989年の土井ブームから90年頃の社会党の改革をめぐって、さまざまな議論に加わりました。最初は労働運動研究者の高木郁郎さんに誘われて勉強会に加わったあたりからですね。また社会党の「ニューウェーブの会」という、亡くなった仙谷由人元官房長官らのグループにかかわりました。

 私は、日本で社会民主主義的な理念にもとづいた中道左派的な政権政党をどうつくるかという問題意識でいろいろな提言をしてきました。そして90年代前半に一つ大きなチャンスがあり、細川連立政権のもとで自民党を追い込こみ、結成されたばかりの連合を基盤に大きくまとまるチャンスがありました。まとまるうえで社会党にあった市民主義的なものが負の役割を果たしたことはとても後悔しています。政治改革法案が参議院で潰れた時に、いわゆる「土井チルドレン」といわれるひとたちが反乱を起こし、それで細川政権は求心力を失い、結局社会党の左派と自民党が村山政権をつくった。それはそれで理由はありましたが、政権を担える野党をつくるという課題はそこで振り出しに戻りました。

 その後新進党も瓦解して、90年代末に民主党ができて、そこから私はずっと民主党を応援してきました。98年から2009年までは連合と民主党がタッグを組んでいわゆる中道左派社会民主主義路線で政権を取るところまでは何とかこぎつけました。小沢一郎さんや鹿野道彦さんのような政治改革のときに自民党を抜けた人達と、連合を基盤とする旧社会党、旧民社党の政治家たちが大きく結集して政権をつくれたわけですけれども、これもたった3年で瓦解してしまいました。この30年は政権交代を担える左側の政党をつくるプロジェクトは挫折の繰り返しでしたね。

 そして2017年に今度は保守二大政党をめざす「希望の党」に対して、枝野幸男さんが立憲民主党をつくり、リベラルな野党の旗をなんとか守りました。立憲民主党が野党第一党になり、これを軸にもう一度政権を担う政党をつくろうという思いで応援をしてきました。しかし去年の総選挙で予想外の敗北を喫し、枝野さんが代表を辞任することで立憲民主党のプロジェクトもまた頓挫しました。政治的敗北の総括で、人生が終わりそうです。

安倍晋三首相(当時)が示した改憲案に反対する「市民連合」の山口二郎・法政大教授(中央)ら=2017年5月、東京都内

組合員減から反転へ、「社会に欠かせない労組」への模索

 ――JAMは過去のナショナルセンターの違いを越えて組織合同を成功させてきました。

 安河内)僕が入社したのは1997年ですので、連合結成の頃の先輩方の想いを身近に感じたことはありません。

 1989年の11月9日、ベルリンの壁が崩壊したその日に二つの産業別労働組合(産別)が合同し、JAMの前身である「金属機械」が誕生しています。それ以前から、金属産業で働く仲間の統一に向けての話し合いはずっと行われていました。金属機械は最終的にJAMのような全体を合同する組織を新たに結成することを前提に結成された組織です。金属機械は社会党を支持する総評系などの産別と単組中心に結成されていくことになります。

 そしてその後10年をかけて統一に向けた話し合いが行われることになります。そこではかなり丁寧な議論がされました。1993年に「われわれはなぜ統一を進めるのか」がだされていまして、この文書のなかにJAMのあるべき姿がしっかり書き込まれています。JAMはこの文書をとても大切にして新入組合員の教育などでは理念とあわせて必ずこの文書を確認するようにしています。

 そして1999年に旧同盟に加盟していたゼンキン連合と合同して、JAMが結成されます。その頃、私は農業機械のメーカーである井関農機の組合青年部の役員をしていました。井関農機は愛媛県に拠点があり、そこで役員をやっていました。

 JAMが結成されたあと、2000年に全国青年局ができます。私はJAM四国の初代の青年女性協議会の議長を拝命しました。当時は合同した両組織の対立がまだ残っており、私は「協議会を結成するから行け」といわれてほぼ何も分からずに参加したんですが、会議では「協議会を作る必要がない」という意見がだされ、「平和労組の連中とは一緒にはやれない」といわれました。僕は「平和労組」という言葉をそこで初めて聞いて何のことやら分からなかったんですけれども、みんなやりたくないというので僕がやるしかないかなと思い、協議会の議長を引き受けました。そこからJAMとともに労働運動の道を歩んできました。

対談する安河内賢弘氏=2022年1月19日、東京都港区

 JAMは結成当初48万人の組織人員を抱え公称50万としていました。しかし脱退や企業の倒産などがあり、現在34万人まで減っています。これをいかに反転させるのかがいまJAMに大きく問われています。たんに組織を拡大しようとしてもなかなか成果はあがらないなかで、JAMをはじめ労働組合のイメージを大きく変え、社会にとって欠かせない存在として認めてもらえるためにはどうすればいいのかを模索しています。

 組織人員が減るなかでJAMの政治力も大きく損なわれました。かつてはかなりの数の組織内議員を抱えていました。先日亡くなられた田中慶秋元法務大臣、今泉昭元参議院副議長もそうでしたが、現在は一人もいません。参議院選挙でも3回連続で候補者を落選させているのが現状です。JAMの基礎票は10万くらいで、調子がよければ3万、4万とさらに上積みがあるのですが、たとえば他の産別の組織内候補を応援するときになると3万、4万と減ってしまう。これをどうやって引き上げていくのかがとても重要だと思っています。JAMの結成理念は、連合が率いる労働運動のど真ん中に中小企業労働運動をもってくることですので、そのための政治力をつけることがとても重要です。

外国人、ひとりで苦しむ人……すべての労働者のためにチャレンジ

 ――グローバル化の進行による格差社会化、その反動としてのポピュリズム政治の台頭が、世界の政治を混乱させています。ヤシャ・モンク、マイケル・サンデルといった有力な政治学者や哲学者たちは、「民主主義」という観点から今日における労働組合の政治的意義を説いています。かれらはトランプ政権の教訓として、労働者階級が政治的民主主義から排除され、リベラリズムと労働者階級が乖離していることに強い危機感を抱いています。

 安河内)僕が青年協議会の役員として組合活動を始めた頃は、今から20年前の笹森清会長の時代でした。その頃に「中坊報告」が注目を浴びました(注1)。当時連合は、日本最大のNGOであると自己規定し、さまざまなボランティア団体や当時大きく発展しつつあったNGO団体との連携を予算もつけて積極的にすすめていました。その先頭にいたのが連合青年委員会でした。僕は連合愛媛の青年委員会の委員長をやっていましたので、本当にいろんな市民団体の方と取り組みをやりました。少々予算をオーバーしても文句も言われなかったよい時代でしたね。ただ、その後そうした活動が継続をされているのか、次の世代がそんなことをやっているのかというと残念ながらそうでもないと思います。

 神津前会長はもう一度そうしたつながりをしっかり作ろうと考えられて、30周年に向けた新しい「連合ビジョン」をだされたと思います(注2)。しかしながら、いろいろな政治的な状況があったこともあり、「ビジョン」が中坊報告並みのインパクトをもって取り上げられたのかというと、残念ながらそうではなく、神棚に上げられたままの状態になっていると思います。「ビジョン」をあらためてしっかり読み込んで、われわれが目指すものは何かを、ビジョンをより泥臭く具体化したものをしっかり出していくことが重要だと思います。

 JAMのイメージ戦略としては、ドイツのIGメタル(金属産業労組;約220万人)とのつながりがあります。IGメタルも組織人員の減少に悩んでいたのですが、自らのイメージ戦略を転換していくことで若干ながら増加に転じた経験をもっています。IGメタルは、まずかつての闘いを思い出そうということ、もうひとつは組合員の方をきちんと向いて、組合員を前面に押し出した運動に変えていこうとしました。例えば宣伝物についてもこれまでは難しい顔をした組合委員長の写真がどんとありましたが、それじゃあ誰も読まないから例えば女性の一般組合員が「こういうことがよくなった」と語る姿を前面に押し出すようにイメージ戦略を変えていきました。

 この話を聞いたJAM前会長の宮本礼一さんがドイツに赴いた際、IGメタルの会長にJAMの変革に手を貸してほしいと直談判をしました。最初は何度も断られたらしいんですけど、最終日に飛行場に向かうバスのなかでやっと承諾をもらったということです。そこからIGメタルとの交流が始まり、今でもその関係が続いています。

 高木郁郎先生がよく言われるように、連合はILOの代表でもありますし、政府の審議会の代表にもなっています。連合は組織された700万人の労働者だけではなく、日本の労働者すべての代表として出ているはずなんです。であるならば、すべての労働者に向けたメッセージをしっかり出していく必要がある。そう思いさまざまなことにチャレンジをしています。

 外国人労働者の組織化については、前の軍事クーデター(1988年)の後、軍事政権下で日本に亡命してきたビルマの難民の人たちをどこが助けるのかという話になり、連合本部の方からJAMに手伝ってほしいといわれ、そこでJAMが組織化をすすめたという実績があります。それからずっと支援をしてきましたが、その実績をみて今度はブータン人のひとたちが労働組合をつくりたいとJAMの扉を叩いてきました。そこから支援をすることになったわけですが、組合員とは「ブータン人の皆さんは助けてくれと来たわけじゃないんだ、闘い方を教えてくれと言ってきたから、われわれはブータンの仲間ととともに闘うことを選択したんだ」と確認しています。

安河内賢弘さん(左)らも参加したミャンマー大使館に対する抗議デモ
ミャンマー大使館に対する抗議デモ

 個人で加入できるゼネラルユニオンの運動についても、われわれはそれなりの組織を有していて、全国にオルガナイザーをまんべんなく配置しています。このレガシーをきちんと使って未組織の労働者に対しても何かできることがあるんじゃないかと思います。ただこれらの取り組みはまだ緒に就いたばかりですから、これから発展させていきたいと思っています。

働く人を基盤とする政治勢力の再立ち上げが、各国で求められている

 山口)労働組合の今日的意義が大きくなったというのはそのとおりで、それは資本主義の危機の裏返しでもあります。

 本来であれば2008年のリーマンショックで危機が露呈したわけですから、2010年代にグローバル資本主義を規制する政策論議をしなければならなかったわけです。日本ではそのタイミングで民主党政権ができ、アメリカではオバマ政権ができたわけですが、その好機を逃してしまいましたね。民主党政権は大震災もあり短命に終わり、システムの転換を議論することはできなかった。オバマ政権もいくつかいいことをやりましたが、結局トランプ政権に道を開いてしまった。それは指摘されたように、本来米民主党が基盤とすべき労働者階級を手放してしまったからです。2010年代は、資本主義が喉元過ぎれば熱さを忘れるということで富の集中がどんどんとすすんでいった。そしてトランプが右派ポピュリズムで民主党の支持層を奪い取り、イギリスではブレグジットをめぐり伝統的な労働者の基盤が割れてしまいました。

 そんななかで働く人を基盤とする政治勢力をもう一度立ち上げ直してグローバル資本主義に対抗するビジョンを出していく作業が、各国で

・・・ログインして読む
(残り:約2985文字/本文:約8762文字)