世界に向けた日本文化の発信基地フランス~気になる次期大統領の“日本通”度は
2022年フランス大統領選はこう見ると面白い【1】日本のソフトパワーの視点から
永田公彦 Nagata Global Partners 代表パートナー
途上国・新興国と見られていた戦後~バブル崩壊
その後、先の大戦をはさんで戦後も、パリは日本文化を世界に発信し続けてた。、だが、90年代前半までは、限定的で線も細かった。日本文化に関心のある人は、旅行や在住で日本を知る人、日本関連のビジネス経験者、一部の学者、文化人、柔道関係者など限られていた。多くの一般市民の眼に映る日本は、70年までは発展途上国、80~90年前半は新興国、であった。
特に90年前後のバブル期には、日本企業が大挙して進出した。ジャパンマネーが、フランスの文化や産業を象徴するようなシャトー等の不動産、企業、美術品などに投資された。日本人観光客が、団体で大挙して押し寄せ、免税店や高級ブランド店で商品を買いあさる。それとともに、「KAROSHI」など過酷な労働環境で働く企業戦士を伝える報道も目立っていた。
当時の多くのフランス人にとって、新興国・日本は、経済を軸にした三つの顔を持つ国であった。「経済的に取り込んでおきたい金づる」、「新興の成金族」、そして「自分達とは不均衡な労働条件で、しかも安く質の良い製品でもって経済戦争をしかけてくる脅威国」の顔だ。
こうした日本の姿はフランス国内に経済的脅威論も惹起し、政界からも日本に対する批判の声が上がった。ミッテラン政権下で1991~92年に同国初の女性首相となったエディット・クレソン氏の発言は、その代表例だ。
同氏は、日本人について、狭いアパートに住み、2時間の通勤時間をかけ、あくせく働くとして、ヨーロッパとは不釣り合いな労働生活を送る「黄色いアリ」にたとえる発言をした。しかも、タイムズ誌(1989年)、ABCニュース(1991年)など国際メディアを通じてのものだった。従って、世界的なインパクトも大きく、瞬く間に日本にも伝えられ、日本人から大反発をくらった。

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バブル崩壊で新興国から先進国に格上げ
筆者は、バブル崩壊後の1996年にフランスに移住した。それから25年になるが、この土地は個人的に住み心地がいい。複数の理由があるが、そのひとつに、肌感覚ではあるが、日本(人)に好意的な人たちが多いというのがある。日本の文化に一目置いて憧憬の念を抱く人も増えている感がある。
その背景には、90年代後半あたりから、一般市民が、日本の文化に触れる機会が増えことがある。特に、2000年代に入り、伝統文化からポップカルチャーまで日本文化の民主化が加速する。それまでは限られた人たちに限られていた日本趣味が、一般のフランス人に浸透し始めたのだ。
食(和食、和風フレンチ、器、日本酒、日本包丁等)、ファッション、建築・インテリア、ポップカルチャー(漫画、アニメ、ゲーム、音楽等)、道(柔道だけでなく、剣道、空手道、合気道、弓道、華道、香道、書道など)など幅は広い。また最近は、日本古来のサステナブルな思想や生き方などへの関心が高まり、様々なイベントやメディア、口コミを通じ、フランスから世界に発信されている。
皮肉なことに、日本では、バブル崩壊から今日までを、「失われた30年」と称し、「日本後退論」が拡がっている。一方、フランスではむしろ逆で、日本を新興国から先進国に昇格した国と見るようになった30年であったと筆者の眼には映る。その大きな理由は、文化の理解を通じ、日本人の生き方や精神性など、非物質的な豊かさを認め始めたからだろう。

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