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コロナ禍で限界を露呈した「感染症ムラ」のとんでもない実態~上昌広氏に聞く

コロナ対策徹底批判【第四部】~上昌広・医療ガバナンス研究所理事長インタビュー⑫

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

記者会見で新型コロナウイルス対応の水際対策の緩和方針を発表した岸田文雄首相=2022年2月17日、首相官邸

 日本の新型コロナウイルス対策は、感染拡大の当初から迷走を続け、そのほとんどは有効性を欠いた不適当なものと言わざるを得ない。その最大の原因は、最新の科学的知見をベースに論議・検討するはずの日本の「専門家」たちにそうした知見がほとんどなく、「感染症ムラ」内の利害関係に基づいて“対策的なもの”を決定しているからだ。

 前回の「コロナ『専門家』が科学的な正しさより重視するものとは」では、その最初の事例として、「専門家会議」「分科会」の一員である押谷仁・東北大学大学院教授のケースについて、『分水嶺』(河合香織著・岩波書店)を参考に紹介しつつ、検討した。

日本独自の「クラスター対策」を主導した押谷仁教授

 押谷氏は当初、コロナウイルスの感染者のほとんどは他人には感染させないが、一部に多くの人を感染させる「スーパースプレッダー」が存在すると考え、日本独自の「クラスター対策」を主導した。「スーパースプレッダー」が発生させるクラスターを叩けば、その他の感染は放っておいても自然に消えてしまうと考えたのだ。

 新型コロナの主要感染ルートが「空気感染」であるとわかっている現時点から見ると、「クラスター対策」は意味がない。当初はウイルスの実態がわかっていなかったという事情を考慮したとしても、「スーパースプレッダー」という、科学的な知見に基づかない単なる「仮説」に基づく対策が何の疑いもなく採用され、「専門家」たちの了承を得るまでに至ってしまったのはなぜなのか?

 臨床医でありながら世界最先端の医学文献を日々渉猟し、日本の医学界の動向にも詳しい上昌広・医療ガバナンス研究所理事長にこの点を尋ねると、一枚のリストを示して説明を始めた。このリストから何が読み取れるのか。上氏の解説に耳を傾けよう。

上昌広・医療ガバナンス研究所理事長

「科学研究成果データベース」を見ると人間関係がわかる

リスト
 これは厚生労働省の「科学研究成果データベース」と言うんですが、これをていねいに見ていくと、その人がいつから誰と組んでどのような関係になっているかわかるんです。

――『新型インフルエンザへの事前準備と大流行発生時の緊急対応計画に関する研究』とありますね。

 これは2006年度の厚生労働省の科学研究です。2015年にAMEDができましたが、それができる前は厚労省などの各役所が研究費を差配していて、これが国立感染症研究所などに配られているお金のソースになっていたんです。この紙に出ている研究の代表者は田代眞人さんという人で、感染研のウイルス第3部長でした。

AMED(Japan Agency for Medical Research and Development・日本医療研究開発機構)は内閣府所管の国立研究開発法人。医療分野研究開発の一貫した推進体制構築を目指して、それまで厚労省や文部科学省、経済産業省などに分散していた研究支援を一本にまとめた。

 新型インフルエンザの研究の時、押谷さんが初めてメンバーに入っています。田代さんはいわゆる“御用学者”の典型と言ってもいい人なんですが、自由にメンバーを決めることができたんです。

 研究班の名前「新型インフルエンザへの事前準備と大流行発生時の緊急対応計画に関する研究」というのは、今のコロナウイルスのものとほとんど同じようなものでしょう。これが、厚労省が差配している科研補助金の一つなんです。

 田代さんが決めたその時のメンバーを見ると、河岡義裕さんとか岡部信彦さん、押谷さんと、今と同じメンバーが入っています。河岡さんの上に名前のある北海道大学の喜田宏教授が河岡さんの師匠です。河岡さんは優秀な学者ですが、北海道大学で喜田教授と関係があるんです。

 あとは高橋宜聖さん、山田章雄さん、小林睦生さんと全部感染研が並びますね。それから一番最後にある富山県衛生研究所というのは感染研の天下り先です。つまり、押谷さんというのは、この時こういうメンバーの中に入れてもらったんです。

田代さんに「感染症ムラ」に入れたもらえた押谷さん

 押谷さんの経歴は、1987年に東北大学を卒業後、東北大の関連病院で研修し、JICA(国際協力機構)に行きます。その後、新潟大の公衆衛生に行っていますが、この段階では中央との縁はありません。押谷さんにとっての幸運は、この時に厚労省の研究班に入れてもらったことです。引き立てたのは田代さん。田代さんは東北大学の卒業、そして押谷さんも東北大卒ということで先輩、後輩の関係です。

――そういう風につながっていくわけですね。

 押谷さんはこのメンバーの中で肩書き、経歴が一人だけ違う。感染研の人じゃない。それが今回、専門家会議、分科会のメンバーに入れてもらえたのは、新型インフルエンザの時に「感染症ムラ」という“裏社会”に入れてもらえたからなんです。

会見する専門家会議の尾身茂副座長(右)、西浦博・北大教授(左)と押谷仁・東北大教授=2020年5月29日、東京都千代田区

「永田町や霞が関の近くにいたい」というメンタリティ

 田代さんの経歴を見ると、押谷さんの東北大で12年先輩です。その後、自治医科大学から感染研に行く。そして、感染研でインフルエンザ・ウイルス研究センター長というポストを取って、新型インフルエンザの有識者に選ばれました。そこで班長になった田代さんはメンバーを決めて、この1億5100万円の科研費を配ることができるようになったんです。

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