岸田文雄首相肝いりの政策に「デジタル田園都市国家構想」がある。①デジタル基盤の整備、②デジタル人材の育成・確保、③地方の課題を解決するためのデジタル実装、④誰一人取り残されないための取り組み――をめざす、「新しい資本主義」実現に向けた、成長戦略の最も重要な柱と位置づけられている(下図参照)。これは、デジタル化を手段として、成長に結びつけるだけの方策であり、デジタル化そのものがもたらすべき将来像たるビジョンやそのための実施原則がないがしろにされている。結果として、政府・自民党と癒着した一部の者を潤すだけに終わってしまうのではないか。
道路や橋、さらには公民館などの箱ものにカネを出すことで、建設業者と深く癒着してきた自民党のやり口を、今度はICT関連業者、教育業者などとの関係構築に適用することで、ただ政治利用しようとしているだけのようにみえる。「地方こそ主役」と称して、「この構想の実現のため、時代を先取るデジタル基盤を、かつての道路・港湾・空港のように、公共インフラとして整備する必要がある」という岸田の言葉に、昔と同じ利益誘導政治が色濃く反映していると言えまいか。
逆に言うと、国民の税金をしかるべきデジタル化に効果的に投入して、少しでも明るい未来を築こうといった志がまったく感じられないのだ。平野啓一郎の表現を使えば、「典型的な「おじさん社会」が、「現実主義」を自称する「現状追認主義」で、あるべき理想像を踏みつぶしている」という「ニッポン不全」そのものこそ、「デジタル田園都市国家構想」なのではあるまいか(「平野啓一郎さんが考える日本の弱点 現実の理不尽に目をつむるな」を参照)。
ビジョンも原則もない岸田構想
まず、岸田の構想には、デジタル化の先にあるものが見えない。「あるべき理想像」さえ五里霧中の状況にあるのだ。
欧州連合(EU)の場合、2018年11月に公表された「欧州委員会デジタル戦略」のなかで、「2022年までに、欧州委員会は、デジタル化され、ユーザーを重視し、データを重視する行政機関、すなわち真のデジタル委員会となる」という明確なビジョンが掲げられている。しかも、このビジョンを成功裏に実現することで、①欧州委員会の政治的優先事項と活動を「オープン、効率的、包括的」に支援し、②「国境のない、相互運用可能な、個人に合わせた、使いやすい、エンドツーエンドのデジタル公共サービス」を提供する――という方向性もはっきりしている。

欧州委員会は、違法コンテンツの流通を防止する「デジタルサービス法案」を公表した(2020年12月)=Alexandros Michailidis/shutterstock.com
加えて、ビジョンの実施の原則として、(1)デジタル・バイ・デフォルトとワンス・オンリー(サービスはデフォルトで包括的なものとし、障害者が利用しやすく、さまざまなユーザーのニーズに対応できるよう設計すると同時に、市民、企業、行政機関が同じ情報を「一度だけ」欧州委員会に提供し、その情報をデータ保護規則を順守した上で内部的に再利用できるようにする)、(2)セキュリティとプライバシー(欧州委員会は、サイバーセキュリティの規則および個人情報保護の規則と方針を尊重する)、(3)オープン性と透明性(データ保護規則に基づき、データ保護に関する権利[アクセス、修正、消去など]を市民が行使できるようにし、政府機関は、他の行政機関がその行政規則、プロセス、データ、サービス、意思決定を閲覧し、理解することを可能にする)、(4)相互運用性とクロスボーダー(EU全域の政策の実施を担当する省庁は、国境を越えてデジタル公共サービスを利用できるようにし、データの自由な流れを支援する)――が定められている。
ところが、日本の構想には、明確なビジョンもなければ、ビジョン実施の4原則もない。この構想を成長戦略の柱に据えるという発想自体、ユーザー重視のデジタル公共サービスの提供というEUのビジョンとはまったくかけ離れている。国による箱もの投資で、政治家や官僚と結託した企業が儲(もう)けて終わりという筋書きしか見えてこないのだ。
とくに、オープン性と透明性の欠如は日本政府の恥ずべき姿勢そのものだ。拙稿「「オープン」の消えた「デジタル社会形成基本法案」」で指摘したように、そもそもこの国の政府はオープンな政府をつくろうとしていない。さだまさしの「風に立つライオン」に出てくる「やはり僕たちの国は残念だけれど 何か大切な処で道を間違えたようですね」という歌詞が思い浮かんでくる。