問題だらけのコロナ感染症対応から考える公明党の機能~自民党とどう違うか
「政党」としての公明党~一学究の徒の政治学研究【2】
岡野裕元 一般財団法人行政管理研究センター研究員
定数減・長時間労働で疲弊する官僚
第一は、官僚の疲弊である。公務員数を見ると、「ピーク時の昭和47年に約90万人いた国家公務員は、平成30年には約28万5000人、約3分の1」になっており(西村美香「[行政学]公務員制度批判について考えよう」成蹊大学法学部[編]『教養としての政治学入門』筑摩書房、2019年、p.74)、地方公務員数も「平成6年の約328万人をピークに減少に転じた」(同書、p.75)。
公務員数が減るなか、国民・住民からの行政需要に応えるには、労働生産性を向上させるしかない。しかし、霞が関は依然として紙中心の文化が根強く、デジタル化しきれない労働環境のままである。
結果として、長時間労働の状況は是正されないままだ。筆者が知る元キャリア官僚は国会開会中、日が昇るまで仕事をしていた。友人や指導した学生も国家公務員の志望者がいなくなっているが、ある意味当然であろう。
今般の新型コロナ対応では、こうした疲弊した公務員の問題が加速したと見られる。全国規模での対応が求められるなか、人員不足、ブラック化した労働環境の中で業務を行う必要に迫られ、業務は明らかに滞った。
深刻化する現場情報への疎さ
第二に、かねて指摘されてきた、官僚の現場情報への疎さである。
片山善博も指摘しているとおり、「国・地方を問わず行政に必要なのは、現場からスピーディーに、しかも的確に情報が入ってくる体制」である(片山善博『知事の真贋』文藝春秋、2020年、p.22)。それが、国民・住民が欲する政策の企画・立案につながるからだ。
ところが、肝心の実働部隊である官僚機構では、長時間労働で官僚は勉強だけでなく、現場の生の声を聞く時間も十分にない。現場情報への疎さは、コロナ禍でさらに進んでいるかもしれない。
調査研究の場当たり的外注も、組織として集団知を蓄えることにつながらない。「個人が学習することによってのみ組織は学習する。個人が学習したからといって必ずしも『学習する組織』になるとは限らない。だが、個人の学習なくして組織の学習なし、である」(ピーター・M・センゲ(枝廣淳子・小田理一郎・中小路佳代子[訳])『学習する組織』英治出版、2011年、p.192)。

厚労省などが入る庁舎 soraneko/shutterstock.com
能動的な政策立案の抑制と忖度
第三に、官僚の能動的な政策立案の抑制と、官邸への忖度である。“強い官邸”が内閣人事局で人事権を行使し、官僚人事を支配した。結果として霞が関には、「忖度しなければならない空気」ができあがった。
第2次~第4次安倍政権期に、数多くの官僚の生の声を丹念に取材した良書として、朝日新聞取材班『自壊する官邸』朝日新聞出版、2021年、がある。例えば、同書に出てくる衝撃的な「声」を三つ引用しよう。
政策を提案して失敗すれば決定的なマイナス評価になる、それならば、無理に新提案をしなくてよい——。現場にはそんな空気が広がっていた。元次官は「減点主義で官僚たちが委縮した」と語る。(同書、p.24)
「首相や秘書官たちが和気あいあいとしてアットホーム過ぎる。ある秘書官が新しい対策を打ち出すと、別の秘書官が『いいね』と盛り上げる。間違っていると思っても外から異論を挟みにくい」(同書、p.29)
「内閣人事局が対象としない課長級の人事であっても、官邸が『ノー』と言えば各省幹部は従うしかない。官邸の意向に背けば自分が飛ばされるからだ。幹部人事を握ることで、官邸は霞が関全体の人事権を握ったようなものだ」(同書、p.40)。
官僚たちは「忖度しなければならない空気」に支配されるなか、「新型コロナウイルスに支配された空気」と向き合う必要に迫られたのである。