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ウクライナ情勢の全体像が見えてきた:今後の焦点はマリウポリ?

塩原俊彦 高知大学准教授

 日本の報道をみても、あるいは米国の「ニューヨーク・タイムズ」を読んでも、偏向した断片的な情報ばかりで、緊迫するウクライナ情勢を理解することは難しい。筆者がこのサイトで何度も強調しているように、大切なのはより中立的に情報を斟酌(しんしゃく)する姿勢であり、そのためには、ロシア側の情報についてもその虚実に配慮しながら、丹念にフォローすることが必要になる。

 こうした徹底した中立性をめざす立場に立脚してきたおかげで、2022年2月21日にロシアで起きた情勢変化から、ようやく今回のウクライナ問題の全体像が見えてきた。それが可能となったのは、ロシア側の膨大な情報開示の結果である。

2月21日に何が起きたのか

 まず、21日に起きたことを説明しよう。自称ドネツク人民共和国(DNR)とルガンスク人民共和国(LNR)のトップ、デニス・プーシリンとレオニード・パセチニクはウラジーミル・プーチン大統領にそれぞれの独立を承認するよう要請する。加えて、DNR/LNRとロシア連邦との間で、防衛協力を定めた友好協力条約を締結することも検討するよう求める。これを受けて、プーチンは同日、安全保障会議を緊急招集する。つまり、これは出来レースであり、数日前から予定されていた行動であったと考えられる。

 実際に、安保会議が開かれ、その様子が生中継ではないかたちで公開された。これまで非公開で行われていた会議内容が公開されたことで、ロシア側の言い分や現状が理解できるように仕組まれたものと言えるかもしれない。それでも、セルゲイ・ラブロフ外相、ドミトリー・コザック大統領府副長官(ミンスク協定の枠内での交渉を担当)、セルゲイ・ショイグ国防相、アレクサンドル・ボルトニコフ連邦保安局(FSB)長官、ドミトリー・メドベージェフ安保会議副議長、ニコライ・パトルシェフ同書記などの発言には興味深い情報が含まれているので、のちほど一部を説明したい。

 結局、この会議において、全会一致でDNRとLNRの独立承認が決められる。その後、プーチンは国民向けのテレビ演説で、なぜそのような決断を直ちに下すべきなのかを詳しく説明した。この演説を詳細に分析すると、ここにもプーチンの思考回路を知る手がかりが散見される。

 そして、プーチンは「DNRの承認について」と「LNRの承認について」という大統領令に署名した。それとは別に、プーチンとプーシリン、パセチニクはそれぞれ、ロシアとDNR/LNR間の友好・協力・相互援助条約に署名した。いずれの大統領令の第四項に、条約締結完了までロシア軍がDNRとLNRで平和維持機能を発揮するよう指示されており、条約には、ロシアがそれぞれの共和国内で軍事インフラや軍事基地の建設・使用・改善をしたり、国境の共同防衛をしたり、国民の保護をしたりする権利を受け取ると規定されている。

 22日、ロシア下院はDNRとLNRとの条約を批准する法律案を採択、上院がこれを承認し、プーチンがその日のうちに署名した。

発端としてのプーチンの怒り

 拙稿「「熊が来る」という嘘(うそ)」のなかで、「筆者の見立てでは、プーチンがウクライナへの圧力を強めるきっかけとなったのは、2021年3月25日にゼレンスキーが「軍事安全保障戦略」を承認する大統領令を出したことだろう」と書いておいた。筆者の見立て通り、プーチンはこのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の承認に激怒し、それが3月下旬以降のウクライナ国境へのロシア軍集結につながったことがプーチンのテレビ演説からわかる。プーチンはつぎのようにのべている。

 「2021年3月、ウクライナは新たな軍事戦略を採用した。この文書は、ほとんどロシアとの対立に終始し、外国を我が国との対立に引き込むことを目的としている。」

 プーチンがとくに問題視したのは、ウクライナがロシアに対して軍事行動を準備していると受け取れる記述に対してだ。「ロシア連邦との地政学的対決において国際社会の軍事的支援を得て」という文言が問題だというのだ。この戦略には、「ロシア連邦との地政学的対決において、国際社会がウクライナを政治的、経済的、軍事的に支援すること」という記述がある。つまり、プーチンからみると、2022年6月に予定されている北大西洋条約機構(NATO)の首脳サミットで策定される、今後10年間の戦略のなかに、こうしたウクライナの戦略が反映されるような事態は是が非でも回避しなければならないとの強い決意が生まれたと想像される。

プーチンプーチン・ロシア大統領(2020年5月) =Shutterstock.com

米国のいう「ロシアのウクライナ侵攻計画」

 米国政府が「ロシアのウクライナ侵攻計画」があるとして大騒ぎしはじめたのは、2021年12月3日付の「ワシントン・ポスト」へのリークをきっかけとしている。リークしたのは、ヴィクトリア・ヌーランド国務省次官ではないか、といった筆者の見立てを何度か書いてきた(たとえば、「「ロシアのウクライナ侵攻」はディスインフォメーション」)。ロシアがウクライナの北、東、南から全面的に侵攻しようとしているという荒唐無稽な計画など存在しないと何度も指摘した。そうした想定をしたウクライナ軍事諜報(ちょうほう)局からの情報を歪(ゆが)めて情報工作しているだけだと主張してきた。

 ただし、騒ぎ立てるには、煙くらいは見つけていたのだろうと、筆者は思っていた。それが何なのかはわからなかった。だが、前述した安保会議でのミハイル・ミシュスチン首相の発言で、その疑問が氷解した。

 彼は、「我々はLNRとDNRの承認に対して、それぞれ起こりうる反応を何カ月も前から準備してきた」とのべたからである。おそらく、プーチンは2021年11月ころまでに、二つの共和国の承認に向けた準備をするように、首相に命令し、それに対するあらゆる可能性やそれらに対する対処法を検討させていたに違いない。こうした動きを米国のスパイが察知したと考えれば、同年11月下旬以降のあわただしい動きが説明できる。

プーチンの決断

 ジョー・バイデン大統領は、2022年2月18日、「私は彼(プーチン)が決断したと確信している」と語った。拙稿「ウクライナをめぐる「情報戦」」にも書いたように、この情報もスパイによる諜報活動の結果らしい。ただ、時期を考えれば、この決断というのは、単にプーチンがDNRとLNRの国家承認を決断したというだけの話ではなかったのか。

 これに対する反応としてホワイトハウスの報道官は、「我々はロシアからのこのような動きを予測しており、直ちに対応する用意がある」との声明を出している。おそらく、これは事実であろう。

 19日と20日、DNRとLNRが位置しているドンバス地域の戦闘が激化し、両地域などからロシアのロストフ地方などへの避難も開始されたことから、このころにプーチンがこうした承認の決断をしていた可能性が高い。戦闘激化を主導したのはロシア軍の支援を受けたDNRやLNRの軍隊とみるのが自然だろう(ただし、ウクライナ側からの攻撃もあったはずだ)。

 ここまでの分析から、米国政府は、ドンバス地域での戦闘激化の可能性をロシアによるウクライナへの全面侵攻計画という針小棒大な嘘として喧伝(けんでん)してきたという疑いが生まれる。バイデンは22日、今回の承認とその後のロシア軍のDNR/LNRへの展開を「侵攻のはじまり」と断定した。つまり、バイデン政権が言ってきた「熊が来る」というのは、単に紛争地域へのロシア軍の展開にすぎなかったことになる(これまでもロシア軍はDNR/LNRを隠然と支援してきたのだから、この展開の意義はほとんどない)。米国側は今後、ロシアによるウクライナへの全面侵攻があるとの見方を崩していないが、その可能性は低いと筆者は思っている。全面的な侵攻計画は存在しないからだが、後述するように、ドンバス地域での戦闘次第では、全面侵攻の可能性もゼロではない。

2008年にグルジアで起きたこと

 筆者は最初から、ドンバス地域での戦闘激化くらいしか考えられないとしてきた。なぜかと言えば、グルジア(現ジョージア)での経験があったからである。紹介した安保会議で、2008年に大統領であったメドヴェージェフは、つぎのように発言している。

 「2008年のことはよく覚えている。南オセチアとアブハジアを国際法上の独立した主体として承認する、つまり、少なくとも我々の観点からは国際法的な人格を与えるという難しい決断をしなければならなかったので、その経験をもとに話すことができる。」

 2008年8月7日夜、グルジアによる南オセチアへの攻撃ではじまった「五日間戦争」で勝利したロシア側では、8月25日、下院が当時のメドヴェージェフ大統領に対し、南オセチア共和国とアブハジア共和国を独立した主権国家として承認するよう求めるアピールを全会一致で採択した。それから1日も経たないうちに、メドヴェージェフは南オセチアとアブハジアの独立をロシアが承認する大統領令に署名する。このとき強調されたのは、「これらの共和国の人々の大量虐殺を防止する」という大義名分であった。

 これとよく似た状況をウクライナ国内につくり出すことで、ロシアはウクライナのNATO加盟を阻めると考えている。なぜなら、ウクライナ国内に紛争をかかえている状況下では、そうした国の加盟がイコール、NATO全体の安全保障を揺るがしかねないからである。

 なお、中国はアブハジアと南オセチアを承認していない。他方で、2022年2月7日、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領はインタビューのなかで、クリミアだけでなくアブハジアと南オセチアもロシアの一部として認めることができると語った。

 だが、DNRとLNRをロシアに併合するとなれば、領土変更ということになり、欧米のより大きな反発を招くことから、当面、独立国とすることで、南オセチアとアブハジアの方式を踏襲するとみられる。

独立承認の理由づけ

 安保会議において、DNRとLNRの独立承認の理由づけとされたのは、住民保護である。ボルトニコフFSB長官によると、二つの共和国で状況が悪化しており、市民の生命を脅かすまでになっている。二つのウクライナ軍破壊工作グループが、ルガンスク州およびマリウポリ領からロシア連邦との国境に到達したが、ロシア国防省の支援を受けたロシア国境警備隊との戦闘の結果、これら二つの破壊工作グループは壊滅したという。

 セルゲイ・ショイグ国防相の発言では、2月19日から20日にかけて、107回以上の砲撃があり、そのうち70回以上が122ミリ砲や迫撃砲などの重火器によるものだったという。ルガンスク州とドネツク州の境界線付近に集約されている兵力の合計は5万9300人で、ロケットランチャー(トーチカU)、戦車345輌、装甲戦闘車2160台、大砲と迫撃砲820門などを備えている。ウクライナ側には、大隊が含まれておらず、「国の指導者や現場の指揮官による管理が不十分であることを感じざるをえない」と指摘している。そのため、さまざまな場所で、自動車爆破、送電線の爆破、変電所の爆破、ガスパイプラインの爆破など、あらゆる種類のテロ行為が行われていると説明している。

 メドヴェージェフの話では、「現在、約80万人のロシア連邦国民がこの二つの未承認団体の領土に住んでいる」という(ウクライナの国家統計局は2022年1月1日時点のドネツィク[ドネツク]州の人口を406万人、ルハーンシク[ルガンスク]州の人口を210万人と推定している)。このうち、21日午前9時現在で、DNRとLNRからロシアに向かった市民は6万8500人にすぎない。

 だからこそ、ロシアの国籍をもつ人々を緊急に保護する必要があるというわけだ。

「ミンスク合意」破棄の波紋

 問題は、ロシアによるDNR/LNRの独立国家承認で、いわゆる「ミンスク合意」が破棄されたことと同じ意味をもつことだ。

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