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ウクライナ問題が抱える困難の本質と日本の役割~ロシアの軍事侵攻で事態が急転

冷戦終了とソ連邦の崩壊で形成された欧州安全保障制度を再構築する重大な転機に

東郷和彦 静岡県立大学グローバル地域センター客員教授 静岡県対外関係補佐官

ゴルバチョフ時代まで遡るNATO東方拡大問題

 本稿の冒頭で、筆者は今起きていることは、冷戦の終了とソ連邦の崩壊によっていったんは形成されたヨーロッパ安全保障制度の再構築という巨大な重みをもつ問題であると述べた。これは一般に「NATOの東方拡大の問題」として知られる問題である。

 ここで、NATOの東方拡大について考えることは、ロシアが2021年12月17日の文書による提案で、「条約によってウクライナとグルジアをNATOに加盟させないよう約束せよ」と提案していることからも、意義があると思う。また、筆者は外務省で勤務した一時期、NATO東方拡大問題を日本外交の観点から追いかけており、当時の視点を踏まえて現状を分析することには、一定の意味があるとも考える。

 NATOの東方拡大問題の淵源はゴルバチョフ時代のソ連にまで遡る。ペレストロイカ政策によって西ヨーロッパと共通の価値を創り出したゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、1987年から89年にかけて「欧州共通の家」というビジョンを打ち出し、ソ連邦を調和的にヨーロッパに融合することを望んだ。

 1990年2月のドイツ統一交渉において、ベーカー米国務長官、コール独首相、ゲンシャー独外相などがゴルバチョフに対し、ドイツの統一を是認するなら、NATOを東方に拡大させない旨の口頭の“約束”をしたことは、現在おおよその定説となっている(小田健「独統一の際、NATO東方不拡大の約束はあったのか」2022年1月25日)。

 口頭ではあるにせよ、「NATOを東方に拡大させない」と約束したことを反故にされたロシア人の屈辱と怒りは甘く見ない方がいいと、筆者は思う。

拡大ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領=1991年8月22日、モスクワ

認識が甘かったロシア

 ゴルバチョフ大統領は1991年7月、ワルシャワ条約機構を自ら解体。ソ連邦は同年12月に崩壊したが、継承国となったロシア連邦は、ワルシャワ条約に対抗するために作られたNATOは、その敵対組織であるワルシャワ条約機構がなくなった以上、おのずから解体されるというという期待をもった。

 しかし、このロシアの認識は甘かった。冷戦期、強制的にソ連邦の衛星国とされた旧東欧諸国は、NATOの存続に固執したばかりか、自らそれに参加することを強く望んだ。

 当時、外務省のソ連課長だった筆者は、講演などでこの問題について、「ロシアと東欧諸国は不幸にして離婚することになった。ロシアとしてはつらいところであるが、東欧のNATO加盟は、離婚した妻が自分の一番嫌いなボーイフレンドと結婚するようなもので、ロシアとしてはそれだけは勘弁してくれよと言うような気持ちなのではないか」と述べていたのを思い出す。

NATO・ロシアの「平和のためのパートナーシップ」とは

拡大クリントン米大統領(左)とエリツィン・ロシア大統領=1995年5月10日、モスクワのクレムリン

 ロシアと旧東欧諸国の間で両者を調整する難しい役目を担ったのがアメリカのクリントン政権だった。ロシアとの最初の衝突は、1994年のブダペスト首脳会議に招待されていたエリツィン大統領との間で発生した。最近公表された国務省の内部文書は、その経緯を詳細に公表している。(参照

 その後、クリントン政権で対ロシア政策を担当したストローブ・タルボットとロシアの外務大臣に任命されたエフゲニ・プリマコフとの間で真剣な交渉が続けられ、1997年5月に「NATOロシアの創設協定」(Founding Act)が締結され、そこでNATOとロシアとの間で「平和のためのパートナーシップ」(PfP)という方向性が約束された。

 これは、旧東欧諸国がNATOに加盟する権利を否定はしないが、その運用においては、ロシアとNATOとの関係が悪化しないように、十分の配慮をしていくとい考え方である。ヨーロッパの安全保障からロシアを排除しようという考えとは正反対のものと言ってよいと思う。

 筆者は当時、初めは在ワシントン大使館で、次に在モスクワ大使館で、以上の事態をフォローしていた。タルボットは前職がタイム誌の特派員で、ゴルバチョフ訪日の準備に課長として関わっていた筆者(1988~91年)と親交があった。

 対ロ交渉にあたり、タルボットはジョージ・ケナンに話を聞きに行ったと打ち明け、どうすればエリツィン政権を傷付けずに、東欧が望むNATOの東方拡大を保障できるか呻吟(しんぎん)していると、筆者にぼつぼつと語った。

 その後、筆者は本省の欧亜局審議官の発令を受け(1996年7月)、NATOとロシアが共存する道筋を東京からフォローした。PfPの確定で97年7月に開かれた歴史的なマドリッド首脳会議に、ポーランド・ハンガリー・チェコの3カ国が招待されたことには鮮烈な印象を受けた(3カ国は1999年正式加盟)。

 マドリッド首脳会議は、日本外交に直接的な刺激を与えた。7月24日橋本龍太郎総理は経済同友会演説の冒頭で「ヨーロッパで『大西洋から見たユーラシア外交』が見事に成功したいま、今度は日本の力で『太平洋から見たユーラシア外交』をつくっていこう」という雄渾な枠組みを提言したのである。

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筆者

東郷和彦

東郷和彦(とうごう・かずひこ) 静岡県立大学グローバル地域センター客員教授 静岡県対外関係補佐官

1945年生まれ。1968年東京大学教養学科国際関係論卒業・外務省入省。ロシア語研修 外務大臣秘書官・ソ連課長・在ワシントン大使館総括公使・在モスクワ大使館次席公使・条約局長・欧州局長・オランダ大使をへて、2002年退官。退官後、ライデン大学・プリンストン大学・ソウル国立大学GSIS等で教鞭をとる。2009年ライデン大学人文博士。2010年から2020年まで京都産業大学教授・世界問題研究所長。 著書に『北方領土交渉秘録:失われた五度の機会』(2007年、新潮社。文庫増補版2011年)『ロシアと日本:自己意識の歴史を比較する』(2016年、ANパノフと共編著。東京大学出版会)『返還交渉:沖縄・北方領土の「光と影」』(PHP新書、2017年)。その他の著書・論文などについては以下を参照。「東郷和彦オフィシャルサイト」

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです