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ウクライナ侵攻、世界はどこで道を間違えたのか

「熊が来る」が起きた背景を探る

塩原俊彦 高知大学准教授

リヴィウについて

 「非ナチ化」というプーチンのとらわれている想いを理解するためには、「ユダヤ人問題」を知らなければならない。そこで、最近、名前を聞く機会が増えているリヴィウという都市の話からはじめたい。

 ウクライナの首都キエフから大使館機能をここに移す動きが広がり、日本の報道機関もこの地からウクライナ情勢を伝える機会が増えている(2022年2月18日付の「ワシントン・ポスト」を参照)。だが、リヴィウそのものへの説明がないために、この地を理解すれば、ウクライナ問題の本質に近づけることを多くの日本国民は知らない。

 筆者は2014年に上梓(じょうし)した『ウクライナ・ゲート』の序章の冒頭部分でつぎのように書いておいた。

 「ウクライナという国家は本書の前扉に示したように、東はロシア、西はポーランド、ルーマニアなど、北はベラルーシ、南は黒海に挟まれた地域である。
 ウクライナの歴史を理解するには、三つの言語ごとに若干異なる名前をもった場所に注目するとわかりやすいかもしれない。それは、ウクライナ語でリヴィウ(Львів)、ロシア語では、リヴォフ(Львов)、ポーランド語ではルヴォフ(Lwów)と発音される。つまり、それぞれの国家がこの場所を支配下に置いたことがあり、わが領土として自国語で呼び習わしてきたことになる。この場所はカルパチア山脈の西側にある。その意味で、リヴィウはその東側の地域と宗教も習俗も大きく異なっていた。」

 にもかかわらず、1945年2月のヤルタ会談で、リヴィウのウクライナへの帰属が決められる。当時のリヴィウの人口構成比からみると、この地はポーランド領となっていたほうが自然であったように思われる。だが、国際連合創設を最優先に考えていたフランクリン・ルーズベルト米大統領はソ連のスターリンに安易に妥協し(なお、このとき、ソ連のスパイによってルーズベルトの考えはスターンに知られていた)、それがリヴィウに住む多くの人々に西側から見捨てられたという心情をかきたてたのだ。何しろ、リヴィウから西に100kmもクルマを走らせれば、ポーランドのプシェムィシルに着くのであり、リヴィウの人々を焚きつけて親ロシア政権の打倒を画策することは簡単なことだったのである(下図参照)。

閑話休題
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 問題はそれだけではない。「閑話休題」に書いたように、この地にはユダヤ人が多く住んでおり、彼らのなかには、ソ連の社会主義から、ナチスの迫害から身を守るために、米国などへの移住を余儀なくされた人々が多くいたのである。そうした米国移住者の子孫から、ヴィクトリア・ヌーランド国務省次官など、いわゆる「ネオコン」としていまの国際政治を揺るがす政策を意図的にとっている者が生まれることになるのだ。

 同時に、ユダヤ人を迫害・殺害したナチスから彼らを解放するため、ソ連軍の数百万人もの血が流されたことも指摘しておかなければならない。

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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