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ウクライナ侵攻、世界はどこで道を間違えたのか

「熊が来る」が起きた背景を探る

塩原俊彦 高知大学准教授

「何か大切な処で道を間違えた」という反省

 さだまさしの「風に立つライオン」に「やはり僕たちの国は残念だけれど 何か大切な処で道を間違えたようですね」という歌詞が出てくる。たぶん、このヤルタこそ、「何か大切な処で道を間違えたようですね」という場所にあたるようにみえる。それは奇(く)しくもクリミア半島に位置している。

 ヤルタ会談でウクライナに加えられたリヴィウ以西はウクライナのなかでも貧しい地域として放置されてきた(詳しくは拙稿『ウクライナ2.0』)。そうしたなかで、親欧米反ロシアの感情が芽吹き、それを刺激したのが米国のネオコン(新保守主義者)であった。そうしたナショナリズムの扇動を主導したのがヴィクトリア・ヌーランド国務省次官補(当時)である。拙稿『ウクライナ・ゲート』において、つぎのように記述しておいた。

 「それでは、2014年2月以降、何が起きたのかをもう少し詳しく考察してみよう。それを示したのが巻末表である。時系列的にみると、1月から武力衝突が繰り返されていたことがわかる。おそらく「マイダン自衛」が徐々に武力を整えていった時期と重なる。英国のフィナンシャル・タイムズと提携関係にある、比較的信頼できるロシア語の新聞「ヴェードモスチ」が2月20日付で伝えたところによると、ウクライナ西部のリヴォフ市長は、三つの地区警察署の武器保管庫が襲われ、約1500もの銃火器が持ち出されたことを明らかにした。リヴィウ(リヴォフ)の南東にあるイヴァノ・フランキーウスクでは、武器が自衛組織との共同管に移行したという。この時点で、行政庁舎が自衛組織によって占拠されていたのは、ル-ツィク、リウネといった北西部の都市、イヴァノ・フランキーウシクである。リヴィウの場合、行政庁舎のほか一部の警察署も占領されていた(図1参照)。」
反政府勢力の動向拡大図1 反政府勢力の動向=(出所)「ヴェードモスチ」,2014年2月20日

オレグ・チャグニボク拡大政党「自由」の党首オレグ・チャグニボク(インターネット上で入手できる画像を筆者がダウンロードした)
 当時に有力となったのが、政党「自由」であり、その党首オレグ・チャグニボクの写真をご覧いただきたい(下参照)。インターネット上で入手できる画像をダウンロードしたものだが、左手を高く掲げて党の敬礼をする姿を見ると、ヒトラーを連想しないわけにゆかない。

 こうしたナショナリストたちは、ナチスを思わせる暴力集団と化し、彼らが民主的な選挙で選ばれて大統領となったヴィクトル・ヤヌコヴィッチを武力で追い出したのである。当時の雰囲気を知ってもらうために以前、紹介したのが以下のBBCの番組であった。

 実際に暫定政権ができると、「自由」のメンバーが入閣した。当初、アレクサンドル・スィチ副首相、イーゴリ・シュヴァイカ農業政策・食糧相、アンドレイ・モフニク環境・天然資源相、イーゴリ・チェニューフ国防相の4人が閣僚に任命されたのだ。このとき、首相になったアルセニー・ヤツェニュークは駐ウクライナ大使やヌーランドの指示を受けていたことは間違いない。

 こうした事情から、プーチンはウクライナでナショナリストやネオナチによるクーデターが引き起こされたとみなしている。もちろん、これはプーチンの思い込みではない。たしかに、2013年から2014年当時、こうしたナショナリストが「大活躍」していたことは事実だ。にもかかわらず、欧米諸国は彼らの横暴を赦(ゆる)し、プーチンのクリミア併合だけを批判した。その後、どうなったかというと、ナショナリストらが軍に吸収されただけでなく、民兵や義勇兵として残存し、ウクライナ国内で隠然たる勢力となってしまったのである。そのため、2015年のいわゆる「ミンスク合意」を履行しようとしても、彼らの強い反発が予想されることから、実際には何もできない状態が7年間もつづいてしまったのである。

 しかも、こうしたウクライナの政情を米独仏も放置していた。米国に至っては、バイデン政権になっても駐ウクライナ大使さえ任命しないまま、ウクライナに関心を示そうとはしなかった。

もう一つの「大切な処で道を間違えた」という事実

 つぎに、プーチンが持ち出した国際連合憲章第7編第51条について知る必要がある。ここに、もう一つの「大切な処で道を間違えた」という事実が関係しているからである。

 この条文には、つぎのように書かれている。

 「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が行われた場合には、安全保障理事会が国際の平和および安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的または集団的自衛の固有の権利を損なわないものとする。この自衛権の行使において加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告されなければならないが、この憲章に基づく安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとる権限および責任に何ら影響を与えるものではない。」

 1999年3月、北大西洋条約機構(NATO)はセルビア人によるコソボ・アルバニア人の「民族浄化」を食い止めるため、ユーゴスラビア共和国への空爆作戦を開始した。このとき、NATOが持ち出したのがこの第51条であった。といっても、これは、国連加盟国への武力攻撃に対する自衛権の行使を認めたものであり、コソボに適用することには疑義があった。

 国連安保理は1998年3月に第7編を発動し、武器禁輸を課してコソボ情勢に対処していた。武力行使に至る過程で、NATOのソラナ事務総長は、「コソボにおける人道的災害の危険性」を理由に、想定される介入が正当化されることを明言する。

 1998年10月に行われたソラナとNATO常設代表との会合に基づき、ソラナは「人道的惨事が続いていること」「コソボに関して明確な強制措置を含む別の国連事務局決議が当面の間期待できないこと」「コソボの状況の悪化とその規模は地域の平和と安全に対する深刻な脅威を構成すること」を指摘する。そして、NATO安全保障総局は、「同盟国は、コソボにおける現在の危機に関する特定の状況には、同盟国が威嚇し、必要であれば武力を行使するための正当な根拠があると考える」と結論づけたのである。

 当時、ロシアはこうしたNATOの独断的結論に猛反対した。にもかかわらず、NATOは空爆を断行した。これを強く主張したのは、マデレーン・オルブライト国務長官である。彼女こそ、伝統的な地政学の考え方を米ソ冷戦時代に適合させて、「ユーラシアの征服」という野望をいだきつづけてきたズビグニュー・ブレジンスキーの文字通りの弟子だ。ユダヤ系の彼女もネオコンと言えよう。

 このNATO空爆こそ、もう一つの「大切な処で道を間違えた」事件と言えまいか。だからこそプーチンは、24日の演説でつぎのようにのべている。

 「まず、国連安全保障理事会の承認なしに、ヨーロッパの中心で航空機とミサイルを使ってベオグラードに対する流血の軍事作戦が実施された。数週間にわたり、都市や生命維持に必要なインフラを継続的に爆撃した。」

 国連憲章で自衛権を規定した第51条については、その後、米英軍などによるイラク侵攻の際にもこの第51条との関連が問題になる。プーチン演説では、「その後、イラク、リビア、シリアという順だ」とされている。もちろん、在外国民を保護するという概念を第51 条の枠内に収めるのは無理がある。にもかかわらず、そうした論理を駆使して、空爆や侵攻を繰り返してきたのは欧米諸国だとプーチンは考えているのだ。

 ゆえに、プーチンに言わせれば、同じ論理に基づいて、今度はロシアが「第51条に従い」「本年2月22日に連邦議会が批准したドネツク人民共和国(DNR)およびルガンスク人民共和国(LNR)との友好および相互援助に関する条約に基づき、特別軍事作戦を実施する決定を下した」ということなる。

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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