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ウクライナ侵攻、西側の報道に異論:「非ナチ化」の意味をもっと掘り下げよ

塩原俊彦 高知大学准教授

ナショナリズム扇動の罪

 プーチンが標的にする、いまのウクライナにいるネオナチまがいの人々は、2014年2月の事実上のクーデター後に暫定政権に入り込み、その後も軍や諜報(ちょうほう)機関、民兵組織などで権力をもつようになった者、と考えられる。なぜプーチンが彼らを目の敵にするかと言えば、それは、彼らが民主的に選ばれて大統領に就任していたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領(当時、下の写真)を武力で追い出したと考えているからにほかならない。

ヤヌコヴィッチ素材ID 20140228TGAH0142A拡大ヤヌコヴィッチ・ウクライナ前大統領(2014年2月)

 こうしたナショナリストやネオナチを扇動し、民主的な選挙で選ばれていたヤヌコヴィッチを追い出したのが、米国のヴィクトリア・ヌーランド国務省次官補(当時)であり、ジョー・バイデン副大統領(当時)であったのだ。彼らは、ヤヌコヴィッチが親ロシア派であると勝手に判断し、2010年にロシアよりもずっと民主的な選挙で勝利した彼をいわば「クーデター」によって放逐した。それだけではない。この暴挙を欧米の指導者もマスメディアもほとんど非難しなかった。ただ、沈黙し、米国のバラク・オバマ政権に追従しただけだった。

 とくに決定的だったのは、すでにこのサイトで指摘したように、2014年2月21日の出来事だ。拙著『ウクライナ・ゲート』を引用してみよう。大学で授業をしていると、ここで記されていることを知る者は皆無だ。それだけ、「嘘の帝国」が機能していたことになる。じっくりと精読してほしい。

21日の協定
 「もっとも問題なのは、2月21日に結ばれたとされる協定をめぐる事実関係である。英語情報では、この協定自体をきちんと報道しているものは少ない。ロシア語やウクライナ語による情報によれば、この日、ヤヌコヴィッチ、ヴィタリー・クリチコ(「改革をめざすウクライナ民主主義連合」)、ヤツェニューク(「祖国」)、オレグ・チャグニボク(「自由」)は、ドイツのフランク・シュタインマイエル外相、ポーランドのラドスラフ・シコルスキー外相、エリック・フルニエ・フランス外務省ヨーロッパ大陸部長のもとで協定に署名したとされる。第1項で、協定署名後、48時間以内に、これまでの修正付の2004年憲法に復帰する特別法を採択・署名・公布することが規定されていた。第3項では、大統領選が新憲法採択後、2014年12月に遅れることなく速やかに実施されるとされた。加えて、すでに指摘したように、「不法な武器は特別法発効から24時間以内にウクライナ内務省の機関に引き渡されなければならない」という記述もある。
 にもかかわらず、同じ日ないし翌未明、ヤヌコヴィッチはキエフから逃げ出した。一体、何が起きたのか。ヤヌコヴィッチ自身は「すでにこの夜、ギャングは公然と私を攻撃し始めた」と説明している。その後の出来事をみると、2004年憲法への復帰が決まり、大統領選が5月25日に実施されることになった。その意味では、協定はたしかに存在したかにみえる。ヤヌコヴィッチがロシアに逃れてから行った2月28日に行った記者会見では、「私ではなく、ウクライナの人民すべてが騙(だま)された」と語った。
 これに対して、ポーランドのシコルスキー外相は「ヤヌコヴィッチ自身が協定の条件を遂行しなかった」とやり返している。だが、むしろ、協定は最終的にヤヌコヴィッチによって拒否されたと考える方が自然かもしれない。ただ、その場合には、なぜ彼が逃げたのか、その理由がよくわからない。暴力には暴力で抵抗できたはずではないか。最終局面では、暴力で戦う力も彼には残されていなかったということだろうか。」

「不都合な事実」に沈黙するマスメディア

 ドイツ、フランス、ポーランドの外務省は、協定破棄について言を濁してきた。西側の主要マスメディアにいたっては、プーチンによってクリミア半島が併合されたことだけにスポットを当てた報道しかせず、ヤヌコヴィッチが武力によって追い落とされた事実を無視しつづけている。

 それは日本でも同じだ。この問題に真正面から立ち向かい、2014年春に起きたウクライナ危機における「不都合な事実」を取り上げて非難しつづけているのは、筆者を含めてごく少数に限られている。他方で、この「不都合な事実」に目を閉ざし、覇権国米国の主張だけを垂れ流すマスメディア、政治家、えせ学者ばかりではないか、そう筆者には思われる。

 こうした偏狭な姿勢のままでは、プーチンの怒りやウクライナのネオナチに対する恨みを決して理解できまい。「非ナチ化」を紹介しないのは、自分たちがした蓋(ふた)を二度と開けたくないからではないのか。こんな態度では、「ジャーナリズムは死んでしまう」と、筆者は危惧している。


筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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