メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ウクライナ侵攻、西側の報道に異論:「非ナチ化」の意味をもっと掘り下げよ

塩原俊彦 高知大学准教授

 ロシアによるウクライナ侵攻に対する欧米の報道も日本の報道も、「事実」を直視していないように強く感じる。昔、日本経済新聞社でアルバイトをしていた読者からいただいたメールに励まされて、事実をしっかり見つめる必要性を強調してみたい。

「非ナチ化」をなぜ取り上げないのか

 拙稿 「ウクライナ侵攻、世界はどこで道を間違えたのか」のなかで、2月24日のプーチン演説において、彼が目的としているのは「非軍事化」と「非ナチ化」であると解説した。ところが、前者について報道されたり、議論されたりすることはあっても、後者についての報道や検討を目にすることはほとんどない。

 どうしてなのだろうか。プーチンが「ナチス」とみなす対象が事実誤認であっても、彼の主張を真正面から受け止めなければ、今回のウクライナ侵攻の本質に迫ることはできないのではないか。

 いくら事実誤認だとしても、「非ナチ化」という目的について、マスメディアが読者や視聴者に何の断りもなく隠蔽(いんぺい)する姿勢は間違っている。仲介者たるメディアが勝手な判断で情報を歪(ゆが)めることは許されない。この操作こそ「ディスインフォメーション」(意図的で不正確な情報)そのものではないかとのそしりを免れない、と筆者は思う。

 その結果、どんなことが起きているかというと、プーチンの脅しの「本気さ」が多くの人々に伝わっていないのではないか。あるいは、「非ナチ化」を真正面から報じないことがプーチンの「嘘(うそ)の帝国」と批判した日欧米諸国のかかえている問題点の例証となってしまっている。ここでは、この2点について論じたい。

再論「非ナチ化」

 すでに拙稿で解説したように、「非ナチ化」と訳したのは、Entnazifizierungというドイツ語をロシア語化したものだ。戦後のドイツとオーストリアの社会、文化、報道、経済、教育、法学、政治からナチスの影響を排除することを目的とした一連の措置を指す。

プーチン
素材ID 20220228TGAH0008A核戦力などの特別態勢への移行を命令するロシアのプーチン大統領=ロイター(2022年2月28日)

 プーチンの認識では、ウクライナにはナチズムにかられたナショナリストが存在し、彼らがロシア系住民を排斥するだけでなく、ロシア語さえ廃絶しようとしているということになる。にもかかわらず、「NATOの主要国は、自分たちの目的を達成するために、ウクライナの極端なナショナリストやネオナチを支援している」と、プーチンは指摘する。こうしたロシア人への抑圧を行っているナショナリストやネオナチをつかまえて裁くことが「非軍事化」と並ぶ重要な目的とされている。

 もちろん、このプーチンの主張が正しいというわけではない。だが、彼の主張に耳を傾けなければ、今回の「侵略」は決して理解できないのではなかろうか。

ナショナリズム扇動の罪

 プーチンが標的にする、いまのウクライナにいるネオナチまがいの人々は、2014年2月の事実上のクーデター後に暫定政権に入り込み、その後も軍や諜報(ちょうほう)機関、民兵組織などで権力をもつようになった者、と考えられる。なぜプーチンが彼らを目の敵にするかと言えば、それは、彼らが民主的に選ばれて大統領に就任していたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領(当時、下の写真)を武力で追い出したと考えているからにほかならない。

ヤヌコヴィッチ素材ID 20140228TGAH0142Aヤヌコヴィッチ・ウクライナ前大統領(2014年2月)

 こうしたナショナリストやネオナチを扇動し、民主的な選挙で選ばれていたヤヌコヴィッチを追い出したのが、米国のヴィクトリア・ヌーランド国務省次官補(当時)であり、ジョー・バイデン副大統領(当時)であったのだ。彼らは、ヤヌコヴィッチが親ロシア派であると勝手に判断し、2010年にロシアよりもずっと民主的な選挙で勝利した彼をいわば「クーデター」によって放逐した。それだけではない。この暴挙を欧米の指導者もマスメディアもほとんど非難しなかった。ただ、沈黙し、米国のバラク・オバマ政権に追従しただけだった。

 とくに決定的だったのは、すでにこのサイトで指摘したように、2014年2月21日の出来事だ。拙著『ウクライナ・ゲート』を引用してみよう。大学で授業をしていると、ここで記されていることを知る者は皆無だ。それだけ、「嘘の帝国」が機能していたことになる。じっくりと精読してほしい。

21日の協定
 「もっとも問題なのは、2月21日に結ばれたとされる協定をめぐる事実関係である。英語情報では、この協定自体をきちんと報道しているものは少ない。ロシア語やウクライナ語による情報によれば、この日、ヤヌコヴィッチ、ヴィタリー・クリチコ(「改革をめざすウクライナ民主主義連合」)、ヤツェニューク(「祖国」)、オレグ・チャグニボク(「自由」)は、ドイツのフランク・シュタインマイエル外相、ポーランドのラドスラフ・シコルスキー外相、エリック・フルニエ・フランス外務省ヨーロッパ大陸部長のもとで協定に署名したとされる。第1項で、協定署名後、48時間以内に、これまでの修正付の2004年憲法に復帰する特別法を採択・署名・公布することが規定されていた。第3項では、大統領選が新憲法採択後、2014年12月に遅れることなく速やかに実施されるとされた。加えて、すでに指摘したように、「不法な武器は特別法発効から24時間以内にウクライナ内務省の機関に引き渡されなければならない」という記述もある。
 にもかかわらず、同じ日ないし翌未明、ヤヌコヴィッチはキエフから逃げ出した。一体、何が起きたのか。ヤヌコヴィッチ自身は「すでにこの夜、ギャングは公然と私を攻撃し始めた」と説明している。その後の出来事をみると、2004年憲法への復帰が決まり、大統領選が5月25日に実施されることになった。その意味では、協定はたしかに存在したかにみえる。ヤヌコヴィッチがロシアに逃れてから行った2月28日に行った記者会見では、「私ではなく、ウクライナの人民すべてが騙(だま)された」と語った。
 これに対して、ポーランドのシコルスキー外相は「ヤヌコヴィッチ自身が協定の条件を遂行しなかった」とやり返している。だが、むしろ、協定は最終的にヤヌコヴィッチによって拒否されたと考える方が自然かもしれない。ただ、その場合には、なぜ彼が逃げたのか、その理由がよくわからない。暴力には暴力で抵抗できたはずではないか。最終局面では、暴力で戦う力も彼には残されていなかったということだろうか。」

「不都合な事実」に沈黙するマスメディア

 ドイツ、フランス、ポーランドの外務省は、協定破棄について言を濁してきた。西側の主要マスメディアにいたっては、プーチンによってクリミア半島が併合されたことだけにスポットを当てた報道しかせず、ヤヌコヴィッチが武力によって追い落とされた事実を無視しつづけている。

 それは日本でも同じだ。この問題に真正面から立ち向かい、2014年春に起きたウクライナ危機における「不都合な事実」を取り上げて非難しつづけているのは、筆者を含めてごく少数に限られている。他方で、この「不都合な事実」に目を閉ざし、覇権国米国の主張だけを垂れ流すマスメディア、政治家、えせ学者ばかりではないか、そう筆者には思われる。

 こうした偏狭な姿勢のままでは、プーチンの怒りやウクライナのネオナチに対する恨みを決して理解できまい。「非ナチ化」を紹介しないのは、自分たちがした蓋(ふた)を二度と開けたくないからではないのか。こんな態度では、「ジャーナリズムは死んでしまう」と、筆者は危惧している。

「嘘の帝国」の意味

 プーチンは同じ24日の演説のなかで、「アメリカの政治家、政治アナリスト、ジャーナリストは、近年、アメリカ国内で正真正銘の「嘘の帝国」(империя лжи)が創設されたことについて書き、語っている」という指摘をしている。それにつづいて、「これに同意しないわけにはいかない--そうなのだ」とものべた。さらに、つぎのように語った。

 「米国は依然として偉大な国であり、システム大国である。その衛星のすべては、おとなしく従順にそれに従うだけでなく、あらゆる場面で一緒に歌い、その行動を真似(まね)し、提供されたルールを熱狂的に受け入れている。ゆえに、米国によって自国の姿に似せて形成された、いわゆる西側ブロックが全体として同じ「嘘の帝国」であると自信をもって言えるのである。」

 この発言部分に対して、西側メディアは猛反発しているようにみえる。しかし、彼らが怒れば怒るほど、実はこの指摘が的を射ていることに気づかなければならない。

 東京新聞の「ウソをつくと鼻がニョキニョキと伸びてしまうのはピノキオだっ…」という記事を紹介しよう。

 その冒頭は、「ウソをつくと鼻がニョキニョキと伸びてしまうのはピノキオだったが、人間にもやはりウソをつくことで悪い影響が出るらしい」ではじまる。そして、「西側の非難にも耳を貸さず、ウクライナ侵攻を続けるロシアのプーチン大統領である。この数日間、この大統領とその周辺からいったい、いくつのウソが発せられたことか」といった記述もある。「嘘の帝国」への言及はないが、おそらく「嘘の帝国」部分に過剰反応しているようにみえる。「嘘を数々ついてきたプーチンに「嘘の帝国」だとは言わせない」といった感情的な反発が透けてみえる。

 だが、優秀なジャーナリストであれば、決してこんな子どもじみた反応を示さないだろう。

 プーチンが話題にしたのは、2008年に刊行されたアンドリュー・クラヴァン著Empire of liesである。残念ながら、筆者はこの本を読んでいない。そこで、ウィキペディアに頼らざるをえない。そこでの説明には、つぎのように書かれている。

 「本書は、主人公であり語り手であるジェイソン・ハローが、精神を病んだ母親の死と、自分の前世の結末の両方に向き合うスリラーである。その過程で、彼はニューヨークでイスラム教徒のテロ計画の証拠に遭遇したと信じるようになるが、その計画が本当なのか、自分が母親のように狂っているのか、しばしば疑念を抱くようになる。ハローは自分の道徳的弱さに何度も悩むが、政治的には保守的なキリスト教徒であり、陰謀の疑いを晴らすために、警察、芸能界、学界、報道機関、つまり本書のタイトルにある「嘘の帝国」と対立することになる。」

 つまり、「嘘の帝国」とは、米国政府を指しているわけではなく、「警察、芸能界、学界、報道機関」による既存権力を堅持するシステム全体を指しているのだ。そう、プーチンの指摘は実は、少なくとも部分的には的を確実に射ていないか。その証拠に、西側のマスメディアのほぼすべてが2014年2月21日の協定を無視し、2022年2月24日のプーチン演説をまっとうに議論することさえないように思える。

「合意のでっち上げ」というメカニズム

 もう少し真正面からマスメディアを批判しておきたい。エドワード・ハーマンとノーム・チョムスキーの共著Manufacturing Consentと題された本がある。日本語訳すれば、「合意のでっち上げ」となる。

 彼らが「プロパガンダ・モデル」と呼ぶモデルでは、情報操作にかかわる五つのフィルターがある。

・・・ログインして読む
(残り:約1921文字/本文:約6562文字)