「煽り」「冷笑」を選り分け、再確認したい「表現の自由」の本義
2022年03月07日
2月24日以来、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が世界中を震撼させている。経済制裁や非難決議でことが収まらず、欧米諸国が軍事行動に出た場合には、大規模な世界戦争になる可能性があるとも言われる。この危機の中で、様々な情報や意見が、様々な人々から発信され、SNSなどを介して世界へ広がっている。
この状況を前に、「表現の自由」の意味と価値と責任について、あらためて考えてみたい。
ウクライナ市民の発信した、市街が攻撃を受けている様子を撮影した動画が、SNSからリアルタイムで流れてくる。またロシア国内での批判デモも激しさを増し、これをロシアの警察が拘束し、被拘束者は数千人に上っているとの情報もある。新聞報道によれば、ロシア国内の科学者や芸術家など、影響力のある識者が批判を表明したり、批判のために役職を辞任したりしているという。
このように、当事国内外の一般市民が進んで現地の状況を知らせ、これを世界の一般市民とメディアがリレーする形で情報共有が瞬時に進んでいく、という流れが、SNS社会特有の展開である。それに加え、今回は、すべての人にとっての当事者性が格段に高まっていることも関係しているだろう。サイバー戦が世界のインターネット空間や生活インフラに与えうる影響や、経済制裁が世界市場にもたらす波及力、まして核攻撃を示唆したプーチン発言を考えたとき、今、地球上に暮らすすべての人が瞬時に当事者となりうるのである。
しかし同時に、この危険性・当事者性を理解しているとは言い難い発言を、一定の影響力をもつ公人・著名人が発していることに、日本社会特有の危なさがあると感じる。
安倍晋三元首相は、橋下徹・元大阪市長とともに出演した2月27日のフジテレビの番組で、米国の核兵器を日本に配備し、有事に日本が使えるよう協力する「核共有」について言及し、「議論
またSNS上では、今、かなりの数の著名人や有力者が、言論や法を無力であるとする発言をしている。
公人や著名人の個人としての発言は、法的には「自由」ということになり、なんらかの法的責任が生じるわけではない。しかし政府要人の「個人として」の発言が、実質的に公共的意味を帯びると受け取られる可能性は十分にあり、日本でもこのことが問題視された例がある(「心はイスラエルと共に」 中山防衛副大臣がツイート:朝日新聞デジタル2021年5月12日)。
公人・要人のSNS発信は日本国内だけでなく、海外からもウォッチされている。この軍事的緊張下で、こうしたことに無頓着な(元)公人や著名言論人が日本に多いことには憂慮を感じずにいられない。この危うさは、言葉や法を軽視・冷笑するマインドと同根・表裏のものに思える。
この冷笑とセットになった軍備増強論が、SNSやネットメディア上で今後を占う重大発言のように取り上げられ拡散されていく様子を見ると、言葉は無力どころか、深刻な社会的伝搬力をもつことがわかる。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください