コロナ禍のもと、病院や診療所、福祉施設などで働く人たちが窮地に立たされています。一方、これらの人たちは、自身の労働条件の改善とともに、人びとのいのちと健康を守るために声を上げてきた歴史があります。その運動を担ってきた日本医療労働組合連合会(日本医労連)の佐々木悦子委員長と森田進書記長に、これまでの歴史や現状とともに、これからどうしようと考えているのかをうかがいました。企画・司会・執筆は政治学者の木下ちがやさん。上に続いて、下をご紹介します。上はこちらから。
(論座編集部)
佐々木悦子
(ささき・えつこ)
日本医労連中央執行委員長
1989年看護師免許取得。以降大学病院や自治体病院、国立病院で看護師として勤務。国立病院で勤務しながら労働組合活動を行う。2012年から全日本国立医療労働組合の専従役員となり2020年から日本医療労働組合連合会の専従役員に着任。
森田進
(もりた・すすむ)
日本医労連書記長
1964年生まれ。東京の民間病院で医療事務として働きながら、労働組合役員となり、単組専従者、東京医労連専従を経て、日本医労連専従者として2014年から着任。
司会・木下ちがや
(きのした・ちがや)
政治学者
1971年生まれ。一橋大学社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。工学院大学非常勤講師、明治学院大学国際平和研究所研究員。著書に『「社会を変えよう」といわれたら』『ポピュリズムと「民意」の政治学』『国家と治安』など。
松下秀雄
(まつした・ひでお)
朝日新聞「論座」編集長
1964年生まれ。朝日新聞政治部記者、論説委員、編集委員を経て現職。

2018年10月に開催した「いのちまもる国民集会」=日本医労連提供
デモが世論を動かし、政策を変えてきた
松下)医療運動の歴史やご自身の経験を振り返っていただきましたが、その中で、運動をするといろいろなことが改善されていく、それが面白く、楽しく感じられるというお話がありました。そういう成功体験は、社会運動や労働運動を支えるとても大切な動機だと思います。しかしこの社会ではなかなかそうした成功体験を持ちにくいとおもいます。なぜ医療労働者の運動はそれを持てたのでしょうか。
森田)かつての労働組合運動の高揚期は、さまざまな産別がストライキをやっていましたが、わたしたちはそうはいっても患者さんもいるし、なかなかできないという時代をすごしています。労使間だけではなく、つねに政府や自治体に向けた運動をやってきた。ですからナースウェーブなどの運動で政府の政策が変わったとなると、全体が成果を感じやすいということがあると思います。自分が参加したデモが世論を動かし、政府の政策を変えてきたという実感ですね。
松下)成果を感じやすい、世論の注目を浴びやすいということでしょうか。その源はなんでしょうか。
森田)悪くなることも感じやすいですからね。春の診療報酬の改定で下げられたら、夏の一時金で「下がったぶん収益が減ったから、一時金を数分の1か月ぶん下げますよ」となりますから。今回の診療報酬改定でも下げる下げないの応酬があり、「薬価なども含めた診療報酬の総体として下げるが、そのうち医師らの技術料などの本体部分は下げない」となった。財務省は下げると主張したが、運動の力でおしとどめたわけです。不十分ながらも賃上げもいいはじめました。
ですからこうしたことを聞けば、「ああ運動の成果なんだな」と感じやすいということはあると思います。私たちの労働条件は国の医療政策にもろに影響を受けますから、変わったことを感じやすいことがあります。
戦後の医療労働運動から一貫して、私たちは自分たちの権利や処遇改善とともに、医療や介護の改善要求もセットで主張してきました。対使用者だけではなく必ず国や自治体にむけても働きかけて春闘をやります。結核の治療薬の保険適用や、差額ベッド代をとらない病院が増えるなど、患者さんにも目にみえるかたちで医療政策を変えたのがわかる運動をやってきました。ですから署名を集めても支持が集まるんだと思います。
松下)それが、成果が世論に結びつきやすい理由なわけですね。

1989年に実施した白衣の銀座デモ=日本医労連提供
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