帝国の衰退、攻撃国家の電撃戦、独裁者の暴発……ウクライナ侵攻の本質と世界の対応
長い時間軸で物事を見て21世紀という時代にどう関与するかが問われる
三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表
帝国による覇権の交代が起きるときには大戦争が誘発されやすいという仮説は、長期にわたって世の中に存在してきた。だが、歴史をひもといてみると、一般に考えられているのとは違って、新旧の帝国は必ずしも大戦争を経て覇権を交代したわけではない。
実際、帝国はその衰退期において、「手の広げすぎ」と「軍備の負担」によって弱体化する。つまり、覇権戦争における敗北というよりも、帝国が自滅するというのが、一般的な衰退のプロセスである。
衰退を招く原因は主に財政と経済だ。重い軍備負担や産業力の低下は、国家財政の破綻(はたん)を招き、軍事的プレゼンスの維持が出来なくなる。帝国がそうした現実に適時に賢く対応して撤退できればまだマシだが、それでも「力の空白」が埋まるまで、戦争が誘発されやすい状況は続く。また、帝国の衰退自体は長い時間をかけて進むので、同時代的にはなかなか全体像が分からない。
ウクライナ侵攻を理解する三つの観点

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さて、2月24日に始まったロシアのウクライナへの軍事侵攻は、国際政治において三つの観点から理解することができる。
一つめは、帝国がその衰退局面において、手を広げすぎたことで八方ふさがりに陥り、勢力圏に対する「反乱鎮圧」のような軍事行動に出たという見方だ。
二つめは、国際秩序を否定する現状打破志向の「攻撃国家」による電撃戦という見方。
そして三つめは、独裁国家の強権的指導者の暴発による戦争という見方である。
いずれも排他的なものではなく、どの観点から同一の事象を見ているかという違いに過ぎない。しかし、どこに軸足を置いて見るかによって、その事象への対応には自ずと違いが出てくる。
打ち砕かれた平和な世紀への期待
一つめの観点は、多くの民族を統合し、地理的な境界線があいまいな「帝国」という特異な存在に着目する。帝国の境界線は様々な理由によって引くことができる。例えば、民族や宗教、「生存圏」、政治イデオロギーなどが挙げられよう。
第2次世界大戦の後、国家主権の平等と攻撃戦争の禁止が謳われ、多くの植民地が独立を果たしてからは、帝国的な戦争は少なくなった。もちろん、帝国的な軍事行動がなかったわけではない。ソ連のアフガニスタン戦争や、アメリカが行ってきた戦争には、帝国的な側面が明らかに存在している。
藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)は、現代のアメリカに「帝国」概念を持ち込むことでその拡張性を論じ、民主国家が国内の民主的正当性に基づき是認する戦争が起こることは現代でも防ぎがたいことを、同時に指摘した。とはいえ、それでもアメリカによる戦争が、「併合」に行き着くことはない。
これに対し、今回のロシアによるウクライナ侵攻は、まるで19世紀を髣髴(ほうふつ)とさせるような軍事行動であったため、国際社会に第1次世界大戦前夜の亡霊が戻ってきたかのような衝撃を広げた。戦乱の20世紀を克服し、21世紀がもう少し平和な世紀になるだろうという甘い期待は、容赦なく打ち砕かれた。
※ロシアのウクライナへの軍事侵攻に関する「論座」の記事は特集「ウクライナ侵攻」からお読みいただけます。
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