ヨーロッパの市民によるロシア市民へのメッセージはどこまで届くのか……
2022年03月10日
ロシアのウクライナへの軍事侵攻は、世界中に影響を与えている。ウクライナに隣接するヨーロッパでは、その影響は日本でよりもずっと大きい。かねてよりウクライナやロシアとの関係が深いフランスも例外ではない。
「毎日のようにロシアの同胞から情報が入るが、ここ1週間でロシア国内の市民社会は急変している。失業者が増え、反戦の動きが路上と地下で拡がっている。また知識人やIT関係者を中心に、母国を離れ出している。行先は、アルメニア、ジョージア、トルコ、カザフスタンなどだ」
筆者の取材に応じたパリ在住ロシア人のベロニカ・トゥマーノワはこう語る。彼女とは数日前、パリのウクライナ教会の支援活動を通じ知り合い、取材を依頼していた。
彼女は、モスクワ生まれのモスクワ育ち。19歳でロシアを出て、もはやドイツとフランスでの生活が長くなったアルゼンチンタンゴのダンス講師だ。家族の一部はウクライナ南東部の村におり、18歳までは夏休みの多くをそこで過ごしたという。
こうした経験を踏まえ、ロシアとウクライナの二つのサイドから、歴史(旧ソ連時代から現在まで)と、いま両国で起きていることを見ていることを、1時間以上の取材を通じて強く感じた。
他方、パリでは市民がロシアの市民の背中を押そうとする動きも目立つ。
筆者は週末に2回連続してパリの共和国広場での反戦集会に参加したが、とにかく大きな市民パワーを感じる。会場には、子供連れ家族、老夫婦、政治家、若いカップル、メディアなど多く集まる。国籍も、フランス人やウクライナ人はもとより、ロシア人、ジョージア人、アフリカ系、アジア系市民など様々だ。
彼らが掲げるプラカードを見ると、ロシアの市民に向けたメッセージが目に付く。「ロシア人よ、プーチンを止めて、ヒーローになれ」「ロシアとベラルーシの皆さん、反戦のために立ち上がれ」などだ。
※ロシアのウクライナへの軍事侵攻に関する「論座」の記事は特集「ウクライナ侵攻」からお読みいただけます。
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このような西側市民によるロシア市民へのメッセージ投げかけの本質を理解するには、近代欧州の「人は東から西へ流れ続けてきた」という歴史を知る必要がある。
まず、移民や難民だ。20世紀に入り、これが顕著になった。とりわけフランスは、人権の国として、また経済的な人手不足もあり、多くのロシア人やウクライナ人に国境を開放してきた。
1917年にロシア革命が勃発する前、フランスに住むロシア人は約5万人だった。ところが、1920年代になるとこれが急増する。時の政府による虐殺を逃れてきた約50万人の難民が、フランスに入ったからだ。
さらに、第2次世界大戦直後にも、大量のロシア人が押し寄せた。現在フランスに住むロシア人は5万3000人と推定されているが、前述した20世紀前半にやってきた移民難民の子孫(多くはフランス人国籍)を加えると、ロシア系住民の数は計り知れない数にのぼる。
ウクライナ人も多い。1909年にはパリにウクライナ協会が設立されるなど、古くからコミュニティが存在した。それもあって、1920年前後と第2次世界大戦の直後には、それぞれ数千人規模のウクライナ人がフランスに移住している。
現在、フランスに住むウクライナ人は2万人弱といわれているが、初期移民の子孫の多くはフランス人として暮らしているので、ウクライナ系住民となると、その数十倍になるであろう。
東から西への流れの二つ目は、1989年のベルリンの壁崩壊、冷戦終結後の旧ソ連構成国の西欧化だ。具体的には、権威主義から民主主義への転換であり、ロシアによる援護から対ロシア防衛への安全保障体制シフトである。
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