店の厨房に再び立ちたい~収容施設での記憶を絵に描くペニャさんの変わらぬ夢
チリから来日して26年。仮放免・収容を繰り返す生活で何を見たのか
安田菜津紀 フォトジャーナリスト
冬の寒さの中にも、わずかながら春の兆しを感じるよく晴れた日。訪ねた都内の小さなアパートの玄関は、ぽかぽかとした光は届かず、頬で感じる空気はひんやりとしていた。中に入ると、ささやかなキッチンとユニットバスが続き、奥にはベッドと小さな机をひとつ置くとスペースがほとんどいっぱいになる寝室兼居間がある。
仮放免で生活の幅が極端に狭くなり……
「前のアパートはキッチンと風呂がなかったので、今は随分と快適になりましたよ」と朗らかに語るのは、チリ出身のクラウディオ・ペニャさん。彼が最初に日本の地を踏んだのは1996年のことだった。
以来、日本での生活は足かけ26年近くに及んでいるが、今、生活の幅は極端に狭められている。ペニャさんは在留資格を失ってしまった後、入管施設への二度の収容を経て、仮放免(外での生活が認められる状態)の立場にある。仮放免では労働は許可されず、健康保険に入ることもできない。

クラウディオ・ペニャさん。都内の自宅近くにて。
生活の合間に、ペニャさんは机に向かい、画用紙に絵を描く。アートが趣味の母の影響で、ペニャさん自身も子どもの頃から描くのが好きだったそうだ。けれども今、彼の机に並ぶのは、胸を締め付ける作品ばかりだ。
自画像の隣のげっそりとした自分
チリで暮らしていた頃、シェフのコンテストで金メダルを取ったときの輝かしい表情の自画像の次に現れたのは、鉄格子の向こうに追いやられた、げっそりとした自身の顔だった。

左はシェフとして輝かしい時を送っていた頃と、鉄格子の向こう側の表情はまるで違っていた。
「これは外の病院に行くときにつけられた手錠」
「これは同じ時期に収容されていた人。自殺未遂で運ばれていった」――。
窓の外を見ていたペニャさんのもとに、一羽の鳥が下りてくる。その日はペニャさんの誕生日だった。ペニャさんのお祝いをするように歌声を奏でる鳥に、ペニャさんは優しくこう告げる。
「帰りなさい。もし捕まったら、また君の自由をとりもどすために、とても長い時間をとられるんだ」
やがてその鳥は、大空を飛び交う仲間と共にどこかへ去っていった。

誕生日に歌いかけてきた小鳥たちの漫画
収容が心に残した深い爪痕
ペニャさんはこうして、外の目がほとんど届くことのない、収容施設での記憶を絵にしてきた。
「入管はカメラを中に入れてはいけないでしょ。だからこうして絵を描いて伝えるんです」
自ら描いた絵を淡々と紹介してくれていたペニャさんの手が、ふと止まった。その絵には、クリスマスの日、ボランティアたちが差し入れてくれたオリガミを壁に貼ってツリーに見立て、部屋の外をぽつんと眺めるペニャさんの背中が描かれていた。
ふうっと深いため息をついた後、涙がペニャさんの頬をつたった。約4年半にも及んだ収容がペニャさんの心に残した爪痕は、今なお深い。

収容施設でぽつんとクリスマスを過ごしていたペニャさん
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