一般市民を避難させるための「退避ルート」。ロシアの提案にひそむ「非道」の気配
2022年03月13日
ウクライナ侵攻をめぐり、ロシアのラブロフ外相とウクライナのクレバ外相が3月10日、仲介役のトルコのチャブシュオール外相を交え、トルコ南部のアンタルヤで会談した。ただ、この三外相会談は、停戦に向けた進展のまったくない、無意味な結果に終わった。
今回の3外相会談は、トルコのエルドアン大統領がロシアのプーチン大統領と電話協議をした際に合意したものとされるが、会談後におこなわれたラブロフ・ロシア外相の記者会見を観ると、仕掛けたのはロシアであるようにみえる。
プーチン大統領の意を体して、ロシア国内に向けて、現実に激しさを増しているロシアによるウクライナ侵攻の“意義”を伝える必要があったのであろう。
それにしても、ラブロフ外相の「他国を攻撃するつもりはない。ウクライナも攻撃していない」という記者会見での発言には驚いた。これをロシア国民に向けて言うために、トルコにまで足を運んでニュースにしたのではないかとさえ感じる。だとすると、プーチン政権もいよいよ袋小路に入ったと思わざるを得ない。
ウクライナのクレバ外相にすれば、こうした展開は織り込み済みだったのだろう。会談前にSNSを通じてロシア側に三つの明確な要求をしていたという。それは、①停戦、②占領された地域の解放、③人道問題の解決、である。
しかし、これらの要求はロシア国内で報道されることはなかったし、会談後の会見でも「ロシア側は停戦を成立させる気がない。ロシアの要望はウクライナの降伏」と述べ、冷ややかな空気を漂わせた。
冷戦の終結から30年。共産主義から自由と民主主義の国になったはずのロシア共和国は、どこでどうなってしまったのか。あの“圧政者”のスターリンでも、ここまでぬけぬけと「ロシアはウクライナを攻撃していない」とは、さすがに言わないであろう。
※ロシアのウクライナへの軍事侵攻に関する「論座」の記事は特集「ウクライナ侵攻」からお読みいただけます。
会談では、攻撃を一時的に止めて住民を避難させる「人道回廊」についても協議されたという。ロシア側の記者会見でも、ウクライナ国民のために「人道回廊」を設けて奉仕しているという旨の発言もあった。
そもそもロシアが軍事侵攻していなければ、「人道回廊」などは必要ない。おそらくロシアがウクライナの女性や子どもたちの避難に協力しているという“映像”が必要なのだろう。
実は私はこの「人道回廊」なるものを、最も警戒している。
ロシアとウクライナは3月7日の停戦協議では、戦闘地域の一般市民を避難させるための「退避ルート」について協議。翌8日からロシア側が提案した「人道回廊」による避難が始まった。
「人道回廊」には“前例”がある。2015年にロシアがシリア内戦に軍事介入した際、ロシアの支援を受けたアサド政権が、ロシアの助言に基づいて用いた戦術と同じだ。反体制派の戦闘員や民間人を指定された地域に退避させ、従わなければ攻撃の強化を警告。都市の掌握を進めた。このやり方は民間人に多くの被害者が出て問題となった。
シリアではロシアが内戦の一方に加担したわけだが、今回は戦争の当事者だから、なおさら奇妙な話だ。加害者が被害者のために「人道回廊」を設けるとは、一体どういうことなのか。停戦さえすれば、すべて解決する話ではないか。
もちろん、ウクライナ側はロシア側のそんな偽善的な芝居は百も承知なのだろう。そのため当初は、ロシアからのこの提案を受け付けなかったが、激しさを増す一方のロシア軍の攻撃に背に腹は代えられず、やむなく同調するに至った。
「人道回廊」の問題点は数多くある。はっきり言って、「人道」というより「非道」というべきであろう。
なにより、ロシアがウクライナ国民を実質的に人質にとるということである。片方の手で人質の女性や子どもを抱き、もう片方の手で残った男たちに銃を向ける。そういう光景が脳裏に浮かぶ。これが“人道”であるはずがない。
ロシア側が発表した「人道回廊」のルートは6本ある。激戦が予想される都市が起点になるのはいずれも同じだが、待避所がウクライナ国内にあるのは2ルートしかない。それ以外の4ルートを見ると、キエフを出発点にするルートはベラルーシのゴメリ、その他は敵対するロシア国内だ。さらに、ウクライナを待避所とするルートには、もう一つのルートとしてロシアを待避所とするものが加わっている。だから、避難民がすべてロシア国内に連行される可能性がある。最悪の場合、ロシアに強制移住させられることも考えられる。
すでに200万人のウクライナ国民が、国外に退避しているといわれる。受け入れる側のポーランド国民の様子を見ていると、人間が持つ最高度の高貴さを感じずにはいられない。それに比べて、東側に行くウクライナ国民を待ち受けているであろう境遇には、天国と地獄ほど違いを感じてしまう。
ロシア国民にしても、ウクライナで起きていることを知っている人は、ポーランド人と同じ気持ちであるはずだ。ロシアのテニスプレーヤーのシャラポアがウクライナ支援に踏み切った勇気には頭が下がる。
しかし、「人道回廊」を通じて、事実上、ロシアに“連行”された人たちは、収容施設に入れられ、ウクライナについての様々な情報を徹底的に聴取されるだろう。そして、ウクライナに残った成人男子は、家族から引き離された揚げ句、ロシア軍による容赦のない殺戮(さつりく)を受けるおそれがある。
人質がウクライナに戻れるのは、プーチン大統領が要求するウクライナの「中立化」「非軍事化」「大統領退陣」が実現した後であろう。しかも、それさえ楽観視することはできない。
かつてスターリンは、クリミア半島の先住民であったイスラム系のタタール人を、民族ごと中央アジアに移住させて、ロシア人と入れ替えた。スターリンよりもいっそう“スターリン的”なプーチン大統領が、同じようなことをしないと誰が断言できるだろうか。
確かに「人道回廊」は、一時的にはウクライナにとって有益な面はあるかもしれない。だが、逆に勝利を困難にする面もあるに違いない。「人道回廊」がロシアに悪用される前に、なんとしてもウクライナが政治的・軍事的にロシアより優位に立つことことが求められる。
そのために、世界中の人たちが、様々な形でウクライナを支えるしかない。現在、ウクライナを支援する波は、世界中に広く、そして深く広がっている。日本でも国民の多くが青と黄色のマスクを着用して、ウクライナを支持している意思を表明したらどうか。
われわれが目にしている今は、人類史の中でも有数の危機の一つなのだろうと思う。ここは誰もができることを一つでもいいから実行するときだ。
※ロシアのウクライナへの軍事侵攻に関する「論座」の記事は特集「ウクライナ侵攻」からお読みいただけます。
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