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ウクライナの「人道回廊」は要注意!~血迷っているプーチン政権

一般市民を避難させるための「退避ルート」。ロシアの提案にひそむ「非道」の気配

田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

「人道回廊」につきまとう危うさ

 会談では、攻撃を一時的に止めて住民を避難させる「人道回廊」についても協議されたという。ロシア側の記者会見でも、ウクライナ国民のために「人道回廊」を設けて奉仕しているという旨の発言もあった。

 そもそもロシアが軍事侵攻していなければ、「人道回廊」などは必要ない。おそらくロシアがウクライナの女性や子どもたちの避難に協力しているという“映像”が必要なのだろう。

 実は私はこの「人道回廊」なるものを、最も警戒している。

 ロシアとウクライナは3月7日の停戦協議では、戦闘地域の一般市民を避難させるための「退避ルート」について協議。翌8日からロシア側が提案した「人道回廊」による避難が始まった。

 「人道回廊」には“前例”がある。2015年にロシアがシリア内戦に軍事介入した際、ロシアの支援を受けたアサド政権が、ロシアの助言に基づいて用いた戦術と同じだ。反体制派の戦闘員や民間人を指定された地域に退避させ、従わなければ攻撃の強化を警告。都市の掌握を進めた。このやり方は民間人に多くの被害者が出て問題となった。

 シリアではロシアが内戦の一方に加担したわけだが、今回は戦争の当事者だから、なおさら奇妙な話だ。加害者が被害者のために「人道回廊」を設けるとは、一体どういうことなのか。停戦さえすれば、すべて解決する話ではないか。

拡大リビウ駅の前の広場でたき火にあたる避難者たち=2022年3月6日、ウクライナ西部・リビウ

ウクライナ国民を人質に

 もちろん、ウクライナ側はロシア側のそんな偽善的な芝居は百も承知なのだろう。そのため当初は、ロシアからのこの提案を受け付けなかったが、激しさを増す一方のロシア軍の攻撃に背に腹は代えられず、やむなく同調するに至った。

 「人道回廊」の問題点は数多くある。はっきり言って、「人道」というより「非道」というべきであろう。

 なにより、ロシアがウクライナ国民を実質的に人質にとるということである。片方の手で人質の女性や子どもを抱き、もう片方の手で残った男たちに銃を向ける。そういう光景が脳裏に浮かぶ。これが“人道”であるはずがない。

 ロシア側が発表した「人道回廊」のルートは6本ある。激戦が予想される都市が起点になるのはいずれも同じだが、待避所がウクライナ国内にあるのは2ルートしかない。それ以外の4ルートを見ると、キエフを出発点にするルートはベラルーシのゴメリ、その他は敵対するロシア国内だ。さらに、ウクライナを待避所とするルートには、もう一つのルートとしてロシアを待避所とするものが加わっている。だから、避難民がすべてロシア国内に連行される可能性がある。最悪の場合、ロシアに強制移住させられることも考えられる。

ロシアに“連行”された人を待ち受ける境遇

 すでに200万人のウクライナ国民が、国外に退避しているといわれる。受け入れる側のポーランド国民の様子を見ていると、人間が持つ最高度の高貴さを感じずにはいられない。それに比べて、東側に行くウクライナ国民を待ち受けているであろう境遇には、天国と地獄ほど違いを感じてしまう。

拡大ウクライナから来た人たちの避難所に並べられた菓子や飲み物=2022年2月27日、ポーランド南東部コルチョーバ

 ロシア国民にしても、ウクライナで起きていることを知っている人は、ポーランド人と同じ気持ちであるはずだ。ロシアのテニスプレーヤーのシャラポアがウクライナ支援に踏み切った勇気には頭が下がる。

 しかし、「人道回廊」を通じて、事実上、ロシアに“連行”された人たちは、収容施設に入れられ、ウクライナについての様々な情報を徹底的に聴取されるだろう。そして、ウクライナに残った成人男子は、家族から引き離された揚げ句、ロシア軍による容赦のない殺戮(さつりく)を受けるおそれがある。

 人質がウクライナに戻れるのは、プーチン大統領が要求するウクライナの「中立化」「非軍事化」「大統領退陣」が実現した後であろう。しかも、それさえ楽観視することはできない。

 かつてスターリンは、クリミア半島の先住民であったイスラム系のタタール人を、民族ごと中央アジアに移住させて、ロシア人と入れ替えた。スターリンよりもいっそう“スターリン的”なプーチン大統領が、同じようなことをしないと誰が断言できるだろうか。

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筆者

田中秀征

田中秀征(たなか・しゅうせい) 元経企庁長官 福山大学客員教授

1940年生まれ。東京大学文学部、北海道大学法学部卒。83年衆院選で自民党から当選。93年6月、自民党を離党し新党さきがけを結成、代表代行に。細川護熙政権で首相特別補佐、橋本龍太郎内閣で経企庁長官などを歴任。著書に『平成史への証言 政治はなぜ劣化したのか』(朝日選書)https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20286、『自民党本流と保守本流――保守二党ふたたび』(講談社)、『保守再生の好機』(ロッキング・オン)ほか多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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