山口 昌子(やまぐち しょうこ) 在仏ジャーナリスト
元新聞社パリ支局長。1994年度のボーン上田記念国際記者賞受賞。著書に『大統領府から読むフランス300年史』『パリの福澤諭吉』『ココ・シャネルの真実』『ドゴールのいるフランス』『フランス人の不思議な頭の中』『原発大国フランスからの警告』『フランス流テロとの戦い方』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
メディアを巧みに使う元コメディアンの「才人」に元KGBの権力者はどう出るのか
このパリでの会談が注目されたのは、ゼレンスキーの初の国際舞台登場に加え、「モデル・ノルマンディー」が3年ぶりに開かれたからだった。
1回目の会談は2014年6月6日、第2次世界大戦の連合軍勝利を決定的にしたノルマンディー上陸作戦70周年の記念式典を利用して、仏北部ノルマンディー近くのホテルで開催された。
ドンバス戦争の当事者であるポロチェンコ・ウクライナ大統領(当時)とプーチンに加えて、仲介役のオランド仏大統領とメルケルの4者が会談した。会談の場所にちなんで、「モデル・ノルマンディー」と命名された会談は、その後、イタリア、パリ、ベルリンでも開かれたが、結論が見いだされないまま5回目の2016年10月のベルリンでの会合を最後に途絶えていた。
6回目の会談になった2019年の会談では、4者会談の後、ゼレンスキーとプーチンのサシの会談もおこなわれた。ゼレンスキーは当時、ウクライナ国民からプーチンに譲歩し過ぎないように圧力をかけられていたが、会談後の会見では、「自分は“大物の主人たち(プーチンを含む仏独)”が出す料理は拒否する。彼らと同等の立場で今後も(交渉の)テーブルにつく」と宣言した。
エリゼ宮はこの日の会談について、「停戦、この地帯全域の地雷撤去、新たな非参加地域の定義、新たな捕虜交換の見通し」などだったと発表している。しかし、現在に至るまで、ドンバス戦争は続行中だ。ロシアがこうした会談内容をほとんど反故(ほご)にしたからだ。
ゼレンスキーは1978年1月25日、当時はまだソ連だったウクライナ南西部の鉱業地帯クリヴィー・リフで生まれた。父親はクリヴィー・リフ公立情報経済技術大学教授、母親もエンジニアという知識階級の出身。自身も国立キエフ経済大学卒で、法学士の免状がある。仏各種メディアによると、学生時代は優秀な成績で教授からの信頼も厚かった。
ゼレンスキーの名が一般的に知られるようになったのは、90年代にテレビのクイズ番組に出演し、難問を次々に回答して注目された時だ。2003年には25歳でテレビの制作会社を創立。当時、大ブームだったカフェ・テアトル式のお笑い番組を放映。知的なギャグで政財官界の大物をやり玉にあげた。一方で自らバラエティー番組に主演し、歌手やダンサーとしての才能も発揮した。