ウクライナで生まれ日本で育ち、「日本とウクライナの架け橋」となって今、思うこと
2022年03月15日
2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻して以降、メディアでもSNSでも凄まじい量の情報が溢れてきた。病院への空爆、市民の犠牲、隣国へ逃れる人々の様子など、連日厳しい状況が伝えられている。
今後の見通しについて悲観的なニュースが飛び交い、恐怖で縛られそうになるなかで、あえて「ポジティブなことにフォーカスをしていきたい」とユーチューブ(YouTube)やインスタグラム(Instagram)なども駆使して首都キエフから情報を伝え続けているのが、パルホメンコ・ボグダンさんだ。
お年寄りや、ケアする人がいなくなってしまったペットたちに対する現場での支援活動の様子などからは、そこで生活をつなごうとする人々の確かな息遣いが聴こえてくる。国際女性デーを祝う家族の様子などからは、ささやかな喜びも垣間見える。
連日の日本のメディアでの発信に加え、YouTubeなどを通しての発信を始めてからは、毎日のようにLIVE配信を続けている。
「元々こうした配信をやっていたわけではないので、配信機材が十分ではないんですよね。ずっと繋いでいるか らケーブルなどにもガタがきていますし、開いている家電屋さんを見つけては、買えるものから集めています」。
物資の支援を求めたくても、戦時下では、運搬ルートが確立されているわけではない。隣国ポーランドまで届いたとしても、ボグダンさんのいるキエフをはじめ、ニーズのある地域まで運べるかは不透明だ。
そのキエフにあるボグダンさんの母の家は、築120年にもなり、二度の大戦で周囲が焼け野原になっても残ったものだ。
「おばあちゃんは1938年生まれで、貧しかった子どもの頃は、太めのスパゲッティ3本をフライパンで焼いて食べるのが夢だったと何度も話していました。だから物を無駄にしない。ティッシュ一箱を半年以上使っている。そういう経験してきたからこそ、今の状況を受け入れているんだと思います。“私たちはどこも行かない”と」
ボグダンさんの祖父母と母は、みな科学者だ。祖父はウクライナの教育大臣を務め、母はキエフ工科大学の教授として講義や磁気開発の研究をしていた。ボグダンさんが生まれたのは1986年、チェルノブイリ原発で事故が起きた年だ。
放射能の影響から逃れようと、母はキエフから東部ドニプロに避難し、事故から2カ月後にボグダンさんを出産。そしてボグダンさんが4歳の時に、日本の大学での職を見つけ、神戸に移り住むことになる。
1991年、ソ連の崩壊に伴い、ウクライナは独立した。母は日本に残ることを決め、日本企業に就職した。大学にいた時も、企業でも、女性であることでお茶汲みを命じられるなど、年功序列や女性蔑視に苦しんだという。
その後も激動の時は続く。ボクダンさんの小学校時代に、阪神淡路大震災が起きた。神戸を離れ、大阪へと暮らしの拠点を移し、中学卒業までを大阪府内で過ごすことになる。
実はボグダンさんは、日本の小中学校とウクライナの小中学校の両方を卒業している。
「夏休みの40日間、キエフ近くの保養施設で家族と滞在していました。でも、休むわけではなく、祖母たちからスパルタ教育を受ける毎日で、朝から晩までウクライナ語、ロシア語、その他の教科もあわせて一年分の勉強をするんです。祖父も祖母も、ものすごく厳しかったし、高校卒業まで、夏休みを満喫したことってなかったんですよ」
ウクライナでの「夏休み」は気が重かった一方で、どこか日本にも馴染めずにいる自分がいた。
「僕はずっと日本人として育ってきましたが、容姿が違うのでいじめを受けたこともあります。高校受験前の模擬試験の会場に行ったとき、周りから“なんで外国人がいるの?”みたいな声があがったんです。今冷静に考えると、おしゃれが好きだったし、“かっこいい”という目線もあったのかもしれません。でも、その声が我慢できなくて、教室を出ました」
そうした“好奇の目”は、当時のボグダンさんにとって耐えがたいものだった。中学を卒業後、日本を離れ、ウクライナの高校に通い始める。シルクロードの通り道でもあったこの地の社会には、様々な文化がまじり合っている雰囲気があった。
ただ、ウクライナでの生活のあり方も、すんなりと受け入れられたわけではない。日本はカラー画面の折り畳み式携帯電話が一般的だった一方で、当時のウクライナの携帯電話はモノクロの小さい画面、ネット環境も「ダイアルアップ」でつなげていた頃だった。
「メンタリティもあまりにも違っていて、女の子とデートに行っても価値感が合わない。“帰りたい”って何年もうなされましたね。でも一方でこっちは、フリーで開放的なんですよ。日本では、誰かと出会って心を開くまで何年もかかったりしますけど、ウクライナでは最初から仲良くなるれる」
日本の学校ではずっと締め付けられるような感覚を抱いていたこともあり、ウクライナの自由な環境は、とても気に入っているとボグダンさんは語る。
「こっちの学校では、朝遅刻するのが当たり前だし、教室でサイダーを飲んだりポテトチップス食べてたっていい。日本の小学校ではお茶と水しか飲んではいけなかったんですが、僕はお茶が苦手で、いつも水筒に水を入れてました。大阪の中学校は、細かい髪型の指定があったり、下着の色まで決められていたり、軍隊みたいなところで、黒い靴下をはいて学校に行ったときには、自分が犯罪者かのように謝らなければならなかったんですよね」
思えば日本での生活は孤独でもあった。忙しい母が家にいられるのは一日2、3時間。朝起きると3食分の食事がラップをかけてテーブルに置いてあり、それを温めて食べていた。「こっちに来たら祖父母も叔父さんも知り合いもいて、一人じゃないなって思えました」
大学院卒業後、日本の大手商社に現地採用で就職。退職後、一時は書道の道に進もうと、大きな展示会を2回開いたこともあったが、スポンサーがつくような経済基盤が、まだこの国には乏しかった。現在は独立して、美容健康器具の代理店を営んでいるが、その前に就職していた別の日本企業では、日本、ロシア、ウクライナを行き来する仕事を手がけていた。
初めてロシアを訪れたのは2017年8月。その3年前の2014年には、ロシアのクリミア侵攻があった。
「モスクワで仕事するのは、正直恐かったですよ。職務質問された時に“ウクライナ人”って答えたらどうなるのか、びくびくしていました」
ウクライナとロシアは戦争している、と伝えても、会社の日本人にはあまりピンときていないようだった。ロシア側には、プーチン大統領の“おひざ元”であるサンクトペテルブルグに親戚もいる。クリミア侵攻を巡って、意見がぶつかったこともあった。
「今回の侵攻があってから、当時の社長さんたちからも、ロシア側にいる親せきからも、“あの時はごめん”と連絡がありました。皆、ここまでの状況になると思っていなかったんです」
ロシアに対する経済制裁が本格的に始まる中、ボグダンさんはモスクワにいる知人たちの生活が気がかりだという。「シングルマザーになったばかりの人もいますし、経済制裁の影響が出てくるのはこれからだと思います」
今後、ロシアによる軍事侵攻は長引くだろうとボグダンさんはみている。たとえ目に見える戦火がおさまったとしても、そこから街や生活を立て直していくには長い時を要するはずだ。長期的な目線でのケアと再建には、「どのような社会を目指したいのか」という視点も欠かせないだろう。
「今の時代は“ボス”の時代ではなく、“リーダー”の時代」とボグダンさんは語る。
「日本って“ボス”のスタイルから抜けられていないんですよね。指示を出して、怒鳴りつけて、みなが我慢する、とか。一方でウクライナは、雇っても次の日に来なかったり、腐敗した社会に長くいるとさぼり癖がついてきてしまう。
前に立っていくというよりも、後ろから背中を押せるようなリーダーになっていく必要があるんだと思います。みんながハッピーで自由で、タテ社会じゃなくて横社会、分裂分断ではなく、統合や優しさや理解で成り立つ社会の基礎作り。今自分がやっていることは、そういうことだと思っています」
そんな社会を目指すためには、身の回りの「システム」を変えていく必要もある。
「日本って色んなものをガチガチに固めてしまっていますよね。たとえば日本の電話番号が欲しくても、eSIMの契約がきでない。他にも、僕がこれだけ日本のテレビ番組に出ていても、海外からその放送を見ることはできません。なので、YouTubeでそれをアップしてくれているようなメディアとは、積極的に関わっていきたいと思っています」
ボグダンさんはかねてから、「日本とウクライナの架け橋」となれる仕事をしたいという夢を持っていた。こうした非常時にその夢が叶うことには複雑な思いもあるが、やるべきことが与えられているとも感じるという。そんなボグダンさんのもとには日々、「日本から何をしたらいいですか」という声が届く。
「でも、僕が結論を出すのではなくて、みなが考えて、みなが行動する必要があると思っています。今は世界が不健康で、戦争が起きているのはその結果の“症状”ですよね。その“症状”だけに注目するのではなくて、病気の理由を見なければならないと思います。例えば健康になるためには、お酒やたばこをやめたり、スポーツをしたりする必要がありますよね。体が整うと心が整うんです。
戦争を仕掛けるのは、誰かが得をして、儲かる仕組みがあるわけですよね。そしてそれを、許してしまう人間がいる。だから、戦争を始めた“システム”そのものを変えなければならないと思っています」
※「論座」では、ロシアのウクライナへの軍事侵攻に関する記事を特集「ウクライナ侵攻」にまとめています。ぜひ、お読みください。
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